古くから日本でも信仰されている毘沙門天王。
四天王の中で、単体で信仰されているのは毘沙門天さんだけです。
三日が、毘沙門天さんの御縁日です。
神仏習合の歴史の中では、ニギハヤヒノミコトと習合していると言われます。(ニギハヤヒノミコトは様々な仏と習合されていますが、毘沙門天との習合も有名です)
ただ、今まで数多くの寺院を参拝した経験では、
毘沙門堂など、本尊として祀られる毘沙門さんは、神仏習合している感じは受けますが、かなり古い寺院で、十二天や四天王の一尊、または天部の尊として祀られている場合は、神仏習合している仏像とは感じません。インドの天部そのものの尊像のように感じます。
四天王としては、三十三天の王インドラの配下神として、北方を守護する「北方天」であり、梵語から多聞天と訳されました。
財宝神クベーラとも言われます。何度か前述してますが、インドでは本来、別々の神である、「クベーラ (毘沙門天) 」と「クンビーラ」が、発音が似ているため同一視されて、クベーラ毘沙門天とクンビーラ金毘羅が一体となって、金毘羅大権現となったと思っています。(四国愛媛・満願寺の金毘羅大権現の脇侍に、毘沙門天の妃である吉祥天がまつられているため)
クンビーラは、「(クビラ・・・金毘羅)・・・ガンジス川のワニの神が仏教に取り入れられ、薬師十二神将の筆頭、宮比羅大将 (くびらたいしょう) となった」ものです。財宝神クベーラ (毘沙門天) は人間の神です。
毘沙門天は、財宝神としての性格に加え、配下に多数の夜叉神を従えるため、インドの暗黒界を統括する武神の側面も持ちます。
原始仏典などにも古くから登場し、お釈迦様に帰依し、仏弟子の修行を守護する面も現れています。
中国及び日本の寺院では、強面のお顔立ちで表現されています。
東大寺金堂の尊像。
ただ、源流のインドでは、全く似ても似つかない御姿です。
カルカッタ、インド博物館蔵
以下、ウィキより。
「上座部仏教のパーリ仏典において、毘沙門天はヴェッサヴァナ(Vessavaṇa)と呼ばれる。上座部仏教において、ヴェッサヴァナはチャートゥルマハーラージカ・デーヴァ(Cāturmahārājika deva)、または「四天王」の一柱である。ヴェッサヴァナはウッタラクル(鬱単越、北倶盧洲)を含めた北方を守護するとされる。いくつかの経典では、ヴェッサヴァナの名前の由来はヴィサーナ(Visāṇa、角)にあるとし、また彼はアーラカマンダー(Ālakamandā)という、富の代名詞でもある都市を持つという。さらに、ヴェッサヴァナは夜叉を従えているとされる。
ヴェッサヴァナにはブニャーティーという名前の妻と、ラター(Latā)、サッジャー(Sajjā)、パヴァラー(Pavarā)、アッチマティー(Acchimatī)、スター(Sutā)という5人の娘がいる。また、ヴェッサヴァナは、ナーリーヴァーハナという戦車を持つ。彼はまた、「棍棒で武装した者」と意味するガダーヴダ(gadāvudha、梵:ガダ―ユダ、gadāyudha)という名前も持つが、仏教に帰依してからは使わなくなったとされる。
ヴェッサヴァナは過去世において「クベーラ」という名前を持ち、スリランカで、サトウキビ畑を有するバラモン階級の富豪として生き、7つ所有していた工場のうち一つで生産されたものをすべてを2万年間貧しい人々に施し続けたとされる。その後クベーラは、善果を得たことで四天王天に生まれ変わった。
他の天部と同様に、ヴェッサヴァナは永久的な存在ではなく、終身的な役職として捉えるのが適当である。ヴェッサヴァナは定命であり、死んだ場合は他のヴェッサヴァナが後任を務める。他の四天王天に住まう天部と同じく、寿命は9万年(経典によっては900万年としている)であるとされる。ヴェッサヴァナは、夜叉に特定の地域(例えば湖)を保護する権限を与える。この割り当ては通常、ヴェッサヴァナの治世の初めに行われる。
釈迦が生まれた際に、ヴェッサヴァナは帰依し、ついには預流に至ったとされる。ヴェッサヴァナはしばしば、天部や他の人間からの伝言を釈迦とその弟子たちに伝え、彼らを守護した。ヴェッサヴァナはまた、釈迦に『アーターナーティヤの護経』を伝えたとされる。これは、林のなかで修行する比丘・比丘尼が、仏法に従わない危険な夜叉や超自然的な存在から襲われないようにするための護呪である。ヴェッサヴァナによってもたらされたこの詩は、パリッタの初期の形であった。
『ジャナヴァサバ経』によれば、マガダ国の王、ビンビサーラは死後ジャナヴァサバという夜叉に生まれ変わり、ヴェッサヴァナの眷属になったという。
初期仏教においては、ヴェッサヴァナは木々において祀られていた。また、子宝に恵まれるようにと願う人々もいた。」
・・・私論では、真言や天台などの寺院で本尊として、または、毘沙門堂などのお堂の本尊として祀られている場合は、ニギハヤヒノミコトと習合している「感じ」を受けます。たいてい、吉祥天が一緒に祀られています。(吉祥天は、本来、毘沙門天の妻ではないですが、日本では妻です。吉祥天は、ミカシキヤヒメノミコトと習合していると言われます)
伽藍の守護を受け持つ形で四天王の一尊として祀られる場合は、習合している感じは受けません。あくまで私論です。
御真言・・・オン ベイシラマンダヤ ソワカ (毘沙門天に帰命したてまつる、スヴァーハー)
毘沙門天王信仰として有名な信貴山 (朝護孫子寺) では、寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻に毘沙門天が出現したことから、「寅 (とら) 」が有名ですが、
毘沙門天さんのお使い (神使) は、「白いムカデ」または「ムカデ」です。
朝護孫子寺の三大本山のうち、某大本山管長が、昔、深夜寝ている時、大ムカデが顔の上を「もぞもぞもぞもぞもぞ」と這っていき、顔の横から降りた瞬間、「まるで人間の速さとは思えんスピードで俺は逆側に退避した」と笑わせてくれました。
「ムカデ? もちろん殺さんよ。毘沙門さんのお使いやからなぁ」
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