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タツノヒノエ

神仏への道-神社仏閣巡りから、古代の神々との出会い

メジロ鳴く・・・

2022-04-09 20:17:01 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

ヒヨドリと同じで、花の蜜や柑橘系など、甘い物が大好きな小鳥のメジロ。スズメより小さい。

今朝、玄関を出た際、頭上から小鳥のさえずりが聞こえた。

久しぶりにメジロちゃんがやってきた。

玄関の階段には、小さな黒い粒。

普段は、ドアに留まっている「羽虫のコッチ」が佇んでいる。

踏まないように気を付けて移動する。

スズメたちは、私の気配を察すると、「ちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅ」と鳴きながら、やってくる。

太陽が輝く中、トンビの金若がやってきた。

お日様に照らされて、見事な金色になった。

遠くでウグイスも鳴く。

キジ坊も鳴いた。

今日は、ヒヨドリのヒヨは、控えめに鳴いた。

・・・・・


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西国霊場 第六番「壺坂山 南法華寺」 (壺坂寺)・・・

2022-04-09 17:22:25 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

208社寺目です。

西国霊場 第六番「壺坂山 南法華寺 (壺坂寺) 」。

平成13年7月22日御朱印いただいております。

西国観音霊場は、御朱印帳が「歯抜けだらけ」なので、参拝日時が一定しません。ご容赦ください。 西国霊場御朱印帳 で正式に御朱印いただく「前に」、ふつうの御朱印帳で御朱印もらっている札所も多いため・・・です。

ウィキより、伽藍画像もウィキより

南法華寺(みなみほっけじ)は、奈良県高市郡高取町壺阪にある真言宗単立寺院山号は壺阪山。本尊十一面千手観世音菩薩。一般には壺阪寺(つぼさかでら)の通称で知られる。西国三十三所第6番札所。

本尊真言:おん ばざら たらま きりく そわか   

ご詠歌:岩をたて水をたたえて壺阪の 庭のいさごも浄土なるらん

草創については不明な点が多いが、伝承によれば大宝3年(703年)に元興寺弁基上人により開かれたとされる。後に元正天皇の祈願寺となった。

平安時代京都清水寺が北法華寺と呼ばれるのに対し当寺は南法華寺と呼ばれ、長谷寺とともに古くから観音霊場として栄えた。承和14年(847年)には長谷寺とともに定額寺に列せられている。貴族達の参拝も盛んであり、清少納言の『枕草子』には「寺は壺坂、笠置法輪・・・」と霊験の寺の筆頭に挙げられている。また、寛弘4年(1007年左大臣藤原道長吉野参詣の途次に当寺に宿泊している。

往時は36堂60余坊もの堂舎があったが、嘉保3年(1096年)に火災にあい伽藍のほとんどが灰燼に帰した。その後、子島寺の真興上人が当寺の復興にあたり、これにより当寺は真言宗子島法流(壷坂法流)の一大道場となった。

奈良県高市郡高取町壺阪3」

大きなお寺です。

神仏の霊気が感じられます。

ではまた。

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西国三十三霊場 第五番「葛井寺 (ふじいでら) 」・・・

2022-04-09 16:24:23 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

207社寺目です。

西国三十三霊場 第五番「葛井寺」。

平成8年12月7日御朱印いただいております。

ウィキより、伽藍画像もウィキより

Fujiidera hondo1024.jpg

葛井寺(ふじいでら)は、大阪府藤井寺市藤井寺にある真言宗御室派寺院山号は紫雲山。本尊は十一面千手観世音菩薩(千手観音)。藤井寺、剛琳寺とも称する。西国三十三所第5番札所。

本尊真言:おん ばざら だらま きりく そわか 

ご詠歌:参るより頼みをかくる葛井寺 花のうてなに紫の雲

国宝の御本尊、

乾漆千手観音坐像(十一面千手千眼観世音菩薩像) - 1952年昭和27年)11月国宝指定。

「本堂宮殿内に安置される当寺の本尊像。毎月18日以外は開扉されない秘仏である。寺伝によると神亀2年(725年)に行基によって開眼法要が営まれたとされる。8世紀半ばごろの作で、記録によれば鎌倉期には六角宝殿内に安置されていたという。八稜形框上に宝瓶を据えた五重蓮華座上に坐し、像高(髻頂部まで)は130.2cm(頂上仏面を含めた像高は144.2cm)。胸前で合掌する2本の手を中心に1039本の大小の脇手が円形に展開している。
合掌する本手を含む本体は大陸から伝来した脱活乾漆法(麻布を漆で貼り重ねて像の形をつくる)で造られ、これに木心乾漆の大小手(脇手)を組み合わせた構造で、X線透視による内部調査では天平前期乾漆像の特徴を示している。
脇手は持物をもつ大手38本、小手1001本(右500本、左501本)で、造像当初にはすべての脇手に墨描で眼が表されていたと考えられており、現在も一部の墨描が残存している。合掌手を除く大小の脇手は、像の背後に立てた2本の支柱に打ち付けられており本体とは離れているが、正面から見ると像本体から千手が生えているように見える。
日本に現存する千手観音像としては最古のものの一つ。脇手の一部、頭上面の一部、持物のすべて、台座蓮弁の大部分などを後補とする。彫像の千手観音像は40本(合掌手2本を合わせて42本)の手で「千手」を代表させるものが多いが、本像のように実際に千本の手を表現する千手観音像は少ない(本像のほかには唐招提寺金堂像などがある)。図像的には、宝鉢手を表さず、大手を通例の42本ではなく40本に表す点が珍しい。」

ではまた。

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