新函館北斗駅を利用して「楽しもう・道南観光」
更新は 私が「元気で自遊人」している写真記録の便りです
行雲流水 坂口一弘さんを偲ぶ会・山仲間の絆
北海道北斗市から「ふるさと&道南情報」を発信しています
中学・高校の先輩「登山愛好家・(故)坂口一弘さん」が生前発信していたブログ癌春(がんばる)日記 by 花sakagは今でも訪問者が「800人/日」ありの私です
その登山愛好家・坂口一弘さんを偲ぶ会が「はこだて自然倶楽部」鎌鹿代表の尽力で開催されたという
全国各地から山仲間が参集して開催された様子をブログで拝見し「山仲間の絆」の強さを再認識させられました
坂口一弘さんを偲ぶ会
主催は、坂口さんが2007年に発足した・・登山者に差別無く左右上下大小に関係ない団体思想の垣根を越えた山を愛する仲間の集いであるHYML道南登山親睦会(引き継いだ呼びかけ人、鎌鹿)です。
私のブログ思い出の過去記事
故・坂口さん著書「ほっかいどう山楽紀行」表紙で使用された徳舜瞥岳
紹介見出しに「花と展望 どちらも見事」と記されています
(下記写真・私が徳舜別岳で撮った過去写真です)
追悼②「白雲抱幽石」坂口一弘登山愛好家 2021年03月03日
行雲流水追悼「白雲抱幽石」坂口一弘登山愛好家
北海道函館市 登山愛好家・坂口一弘さん逝く
ひと一倍 体調管理に気遣っていたので信じがたいが・・・世は無常
著書「北海道山楽(さんがく)紀行」にサインしてくれた「少年の心で山へ」を肌身離さず人生後半を歩まれた
「白雲抱幽石(はくうんりゅうせきをいだく)」 この禅の言葉を実践したように私には映ります
毎日パソコンを開いて見る癌春(がんばる)日記 「訃報」の文字に接した時は・・・合掌
北斗市(当時旧大野町)大野中学校の先輩・坂口さんは 私が山でバッタリ会うことが一番多い方でした
会うたび登山のアドバイスをしていただきました
月間「山と渓谷」で毛無山を取り上げてくれ また北海道新聞社発行の「夏山ガイド」にも掲載する応援をしてくれました
毛無山は全国に多い山ですが 登山者に知られる存在になり 登山道も国と函館山楽クラブのボランティアによって笹刈や丸木橋整備が継続されています
マラソン練習で鍛えてる坂口さんも カヤックの速さに降参の苦笑い
詳しく記されている坂口さんのブログ
「一人歩きの北海道山紀行」ブロガー・坂口一弘さんと山登りすると・・・驚くことがあります
登った山の詳細を その日のうちにブログアップされることです
私は疲れて帰りイネムリするのが得意で 思考力も薄れます
とても写真を整理したり データや文章を考える余力は残っていません
坂口さんは下山後作成し 夜にアップしました
翌日もブログアップは登山日夜でした
見習いたいが とてもムリムリムリ
ガムテープで・・・大事にしてダメになるまで使用する姿勢・・・私は反省
合同登山会(2日目)
「通称・中二股山」(818.2峰)<林道~南尾根(周回)>
行き当たりバッタリのことも・・・しました
函館市汐首漁港 田中陽希さんの本州への出航当日
何気なく眺めていたら ガレキの中に鳥居がポツン
田中さんを見送りに来ていた物好きな3人で登った
簡単簡単と見えた山は 手強かった
景色は良かった
山登りの名人・坂口さん この日は迷人になりました
やっとのことで迷人が道らしきを発見
甘く見て登っては ダメッ ということを教えられた
他所行き用の靴が・・・トホホの状態
いつも通っている国道ですが 気付かなかった
海ばっかり見ていたのでしょう
詳しいことは坂口さんのブログでどうぞ・汐首漁港上の海神社
「海(かい)神社」
奉納まつり 最近は休止しているそう
ガレバを下ったあとの道が荒れていて 下りも難儀しました
このテッペンは汐首岬
坂口さんの山仲間が悲しい事故に・・・捜索から慰霊碑建立・以後の草刈り整備などに汗を流されました
北斗市中山の毛無山で遭難死した方の慰霊碑を建てるための開削作業
毛無山登山口はわが家から車で10分ほどにあり 親近感のある山です
15日に発見場所までの開削作業をすると知り 見学・研修させていただきました
毛無山登山道は 最初一気に高度を上げるので 九十九折りの道で登ります
その途中から現場への道が付けられました
赤テープの方向へ進むと 遭難場所
右へ大きく曲がって進むと毛無山です
刈り払いをする人 枝葉を除ける人 歩きやすく均す人
先輩の作業は手慣れています
現場へは急斜面も通ります
草丈が高く 現場の方向を見失いそう
平面で草刈りをするような訳にゆかず 悪戦苦闘の場面もありました
采配をされたのは 坂口さん
身軽で猿飛佐助さんのように飛び回っていました
ここが遭難地
赤テープの辺りが発見地
冬場は横たわった木の影響で 雪面は平らな状態だったそう
慰霊碑を建てたり 遺族を案内したり いろいろと考えているらしい
山仲間のあたたかい配慮に 私は感服の一語です
急傾斜地も 歩きやすい道に早変わり
この日開削に参加されたのは 山仲間13人
それに労いのために豚汁を差し入れてくれた女性
山仲間の絆の深さ ますます強くなったよう
目立つ赤 坂口さんです
慰霊の行動は 一周忌を過ぎるまで続く
参加された方 お疲れ様でした
見学させていただいた私 いろいろと勉強させてもらいました 感謝
以下のようなバッタリ出会いもありました
2018年3月3日の楽々散策3回目は 北斗市中山・大野ダム専用道路かんじき散策です
国道227号線・ダム道路門扉からダム本体の見える場所までの往復です
往復1時間弱ですが かんじき歩きは雪が深いと体力を消耗しますので 無理せず散策します
門扉の前に先着の車が数台止まってました
「ほっかいどう 山楽(さんがく)紀行」著者・坂口一弘さんの山仲間一行が 目の前の三角山に登るそう
門扉出発 AM11:15
背にするのは標高605m三角山です
今にも雪崩が起こりそうな急傾斜は 不気味です
追悼のブログをたくさん目にしました
故人の人柄によるつながりの広さを感じます