メディカル・ヘルスケア☆いのべーしょん

医療と健康(ヘルスケア)融合領域におけるイノベーションを考察するブログ

河口湖マラソン完走! 3ヵ年計画、完遂

2010-11-29 19:16:52 | Runnig
 28日(日)さわやかなランニング日和の中、河口湖マラソンを走ってきた。ホノルルマラソンを走ってみたい、というミーハーな動機から3年、ついにフルマラソンを走破した。
 日本一美しい景観のレースとされる河口湖マラソンは、初のフルマラソンに臨む私に、晩秋の晴れ間の紅葉と富士山と湖の澄んだ空気とランナーの熱気と沿道の方の暖かさというまたとない最高の舞台を用意してくれた。それは、走ったことのない想像の中にあるホノルルマラソンに勝るとも劣らないシチュエーションだろうと断言できる。
 やや風邪気味な上、前日に職場のゴルフコンペに参加し太もも裏に筋肉痛を感じるというコンディションが余りよくない状態で臨んだものの、途中、給水の水にあたったか急にお腹が痛くなりトイレに駆け込む以外は特に痛みやトラブルもなく完走でき、ゴールした時は走りきった自分に少し感動してうるっときた。
 タイムはNETで4時間40分余りと平凡だが、十分達成感を感じることができ、栄光の完走証と完走Tシャツを手にすることができた。
 20キロ地点までは思っていた通りのペース運びで行けてたのだが、25キロ過ぎあたりから徐々にペースがスローダウンし、ハーフも走ったことのない私にとって未知の領域である30キロを超えたあたりから足が自分の足でないような感覚になり、息は上がってないけど足がしんどくて、歩いてしまおうという自分と、もう少し頑張ろうという自分の対話が続いた。給水ポイントがきっかけで少し歩いた(給水を大義名分としてしまったかな)けれど、最後の7キロは同じペースの年配の方に負けじとしっかりついていきゴールにたどり着くことができた。

 途中、カラフルなカツラを被ったカップルのランナーのTシャツの言葉が目にとまった。

「走れることにありがとう」

 そのカップルはペースが同じくらいなのか、なんどか目にしたが、改めてその言葉をかみしめながら走った。こうして走れるのは有り難いことなのかもしれない。

 ただ30キロから先はやはりマラソンという競技の過酷さを実感し、もうフルマラソンは二度と走りたくないと走っている最中もそしてゴール後も思った。でもあの美しい富士(雪を頂上より3,4割いただいている想像の中にある富士と略同じ)が目に焼きついていて、心地よい筋肉痛と疲労感を感じている今日はのど元過ぎればなんとやらで、、、。
 これから河口湖を走ろうとする人がいたら、のために1点コメント。基本的に前泊を前提とした大会なので、車で当日入りする人は相当早く(朝4時とか5時とか)到着しないと受付から遠い駐車場に止める羽目になる。結構受付までの距離があり、早朝の寒い中河口湖大橋を渡り20~30分歩くことになるのでご注意(当方は6時少し前に河口湖についたが駐車場の空きを探し回り受付にたどりついたのは締め切り10分前だった)。当然受付が遅いと並び順も遅くなり、フル以外の河口湖1周組や11キロのファンランの人たちに交じるため、ペースが異なり道中力を使うことになる。レース後に20~30分歩くのも想像以上にきついものがあるので、くれぐれも会場入りは余裕を持って。

医療・健康 融合領域のイノベーションにおける2つのアプローチ

2010-11-09 00:39:01 | ヘルスケア
 医療、健康領域にイノベーションを起こすには、2つのアプローチがあると考える。

 一つは、心拍、血圧、体動などのバイタル情報をPHRとして記録し変化をモニタすることで健康状態を管理する方法。これは疾患を予防するために、既存のヘルスケアを拡張する手法である。
 もう一つは、医学的指標をより簡便に頻繁に管理する方法。望ましくはセルフモニタが可能なパーソナル機器によって医学的に意味をもつ情報を直接的に見える化すること。これは疾患の状態が悪化しないように、医療の領域にあるモノをヘルスケア側に歩み寄らせる手法である。

 前者の課題は、取得したバイタル情報から意味ある情報を抽出する効率的なデータマイニングと、バイタル情報と医学的な情報との関連付けである。どの情報をどのくらいの頻度でとれば、あるいはデータがどのようになったら医学的な観点で有意な情報となりうるのか、バイタル情報を管理することは本当に疾患予防につながるのか、といったことがクリアにならないと、その先へと展開しにくいと考える。

 一方、後者の課題は、医療機器という範疇から民生機器というジャンルへ括り替える上での法規上の制約である。医学的に意味のある情報、例えば血液検査における血糖値やヘモグロビンA1cは糖尿病または糖尿病予備軍における有効な指標であるが、このような情報を簡便にセルフでモニタできることは非常に意義がある。しかしながら採血という行為やクリーニングやメンテナンスということを含めて一般の民生機器として実現できるかどうかは、薬事法に照らさなければならない。

 現状、医師の側に抱え込まれている技術や知識が解き放たれ、それをブレイクダウンして何らかのアルゴリズムに展開することができれば、診断はできなくとも変化が検知できたり、何らかの判断ができるなど、予防をアシストする上で充分有用なものとなるのではないか。

 二つのアプローチは互いの融合領域に互いが歩み寄るものであるが、どのようにイノベーションが生じていくかのシナリオは別途考えてみたい。

米国の医療事情

2010-11-07 21:30:33 | 医療
米国の医療状況に触れてみたいと思う。

国民皆保険の日本の医療制度と異なり、米国におけるそれは、高齢者、障害者対象のメディケア、貧困者や低所得者対象のメディケイドという公的保険制度があるが、約5000万人の人は無保険者であり社会問題の一つとなっている。オバマ大統領は医療保険制度改革を推進して可決されたが、先の中間選挙では小さな政府を志向する結果が出て早くも厳しい道のりとなっている。
公的保険制度が十分ではないため、民間保険は多種多様にあるものの、保険料は比較的高額であり低所得者層は加入できても適用制限がかけられていて、医療機関は赤字になるため対象外とするなど問題は根深い。

プラグマティズムに象徴される合理主義は医療の現場でもみることができる。

まず、Evidenced Based Medical(EBM)という考え方が通念としてあり、臨床や治験でのデータは特に尊重され重要視される。手術の場合でも、オペを行う医師以外の関係者として、保険査定士はもとより、オペレーションスーパーバイザーやメディカルコーディネータ、ヘルスエグゼクティブディレクターなどの様々な名前の医療コンサルタントが介在することとなり、方針決定や評価検証するためデータを管理する。上質の医療が提供されるかは別として、医療の質を測る体制が充実している。
日本でもテレビドラマの影響でチーム医療という言葉がめずらしくなくなったが、早くから分業体制を確立するとともに、コメディカルという医師以外の医療スタッフの存在が欠かせなくなっている。

また、医療保険においても様々なグレードの被保険者に対応するため'Disease Management'というITを最大限に活用しデータに基づいたリスク管理によって医療費の節約を図る疾病管理が徹底されている。

ITの導入も、どちらかというと倫理観や実績を大切にする石橋型の日本よりも進んでおり、IT事例コンテストなるものが有力な医療誌が主催で実施されているのがいかにも米国らしい。Personal Health Record(PHR)やElectirical Health Record(EHR)の構築、推進がthe Health Information Technology for Economic and Clinical Health act(HITECH)という政府主導の政策によって積極的に推進されている。
i-Padを医療の現場で利用することを想定した画像解析アシストなどの医療ソフトも様々なものが開発されており、先進的な医療施設での導入が進みつつある。

課題はネット経由でホストのソフトを活用するシステム構築とセキュリティの確保等が考えられるが、中でもマニュアルやガイドラインの整備など標準化が普及のカギとなる。

日本が試されている

2010-11-05 22:02:45 | 日記
 尖閣の映像が流出がニュースになっている。

 政府はその対応に追われているようだが、なぜ流出してしまったのか、情報管理体制は大丈夫なのか、犯人はだれなのか、に論点が移ってしまっている。
 北方四島の問題もそうであるが、どこまでお人よしなのだろうか。

 国民は真相を知りたかった。そして、なぜもっと早く公開しなかったのか、というのが多くの人の偽らざる気持ちだと思う。
 あの映像をみて、漁船が故意に衝突したのは明白であるが、当の中国では、この期に及んでも、日本の巡視船が邪魔をした、船長は英雄だと奉っているとのことである。逆に日本の漁船が中国の巡視船に衝突していたらどうなっていただろうか。故意ではなくとも船員の身の安全は保障されなかったかもしれない。
 もはや善悪は捻じ曲げられている。
 今度は沖縄まで捕られかねない。実際、沖縄は中国領であるという主張をし始めているらしい。
 こうなってくると、身内の犯人探しをやっている場合ではないと真剣に思う。

 「日本人は怒りを忘れてしまったのだろうか」 by 田原総一朗氏
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20100929/246798/

ランニングは新しい自分を獲得すること

2010-11-02 23:33:51 | Runnig

 空前のランニングブームである。

 以前、ジョギングがブームとなったことがあるが、発作などを誘発するなどという理由からいつのまにかしぼんでしまった。なぜここにきてまたブームなのだろうか。
 ブームなどどうでもよいし、大会にエントリーしようにもすぐに申込多数で締切になってしまうのははっきり言って迷惑ですらある。

 走ることは今でもあまり好きではないし、やはり長距離を走るのは辛い。今だにお金を払って大会に出て辛い思いして走るのは理解しづらい面があるし、走っているその時に楽しいと感じることはまれである。
 ただ一つ言えることは、走った後は体調がよいし、特に次の日はすこぶる調子がよい。走った日は疲労するから睡眠が深くなるのかもしれない。あるいはズボンが少し緩くなった気がして気持ちがよい。いずれにしても本能的に身体に良いことを感じ取っているから、走ろうと思うのかもしれない。

 フルマラソン挑戦まで一カ月をきった。先月の走行距離は150キロ。しかしながら最長距離は22キロどまりである。どうも2時間を過ぎると息は上がってないが、足がしんどくなり気持ちが萎えてくる。30キロは走っておきたいが、、、

 一つ感じたことがある。20キロを一度走るとそれまで大変だった10キロが非常に楽に思え、2回目に20キロを走ると最初に20キロ走った時よりも余力が残っている。初めて10キロ走った時も似たような感覚をもった。それまでは3キロだってしんどかった。身体が慣れてくるのか、考え方が変わるのか。

 マラソン以外に通じることでもあるが、未経験のものを経験すると、それまでの最高だったものが大したことなく感じられ、それほど難儀でなくなる。これはある意味すごいことである。慣れとは怖いものであるが、見方を変えれば、いま大変と感じていることも、それよりも高い、大変なものを経験すれば、大変と感じなくなるに違いない。