朝7時の気温は、なんと21℃。どんよりとした曇り空で、ときおり吹き抜ける風は肌寒いほどだ。
*
さて、昨日のこと。
夕方になって豚の世話と野菜の水やりに行くと、畑の草取りをしているはずのラーの姿が見えない。
「仕様がないなあ、また茸とりにでも行ったのかなあ」
ぶつぶつ言いながらまわりに集まってきた鶏に餌をやり、裏庭ですべての作業を済ませて店に戻ろうとすると、隣家のメースアイが声をかけてきた。
「クンター、鶏が死にかけているよ。その黒羽の母鶏が突っついたんだよ」
指差す方を見ると、茶色の幼稚園雛がうずくまってもがいており、その脇に8羽のひよこを従えた母鶏が興奮して羽をふくらませている。
おそらく、1ヶ月ほど前に産まれた茶羽が生まれたばかりのひよこにちょっかいを出したので、防御のために攻撃したのだろう。
瀕死の雛を手に取って見ると、首筋がざっくり裂けて肉が飛び出している。
以前にも、雄鶏のジャラケー(ワニ)が隣家から侵入してきた雄鶏を一撃で仕留めるシーンを目撃したことがあるが、カレン地鶏とミャンマー闘鶏のクルン(混血)の攻撃力はすさまじい。
すぐさま喉を絞めて、昇天させた。
*
店に持ち帰り、羽をむしると傷口が大きいためか、はかないほどに薄い皮が一緒になってずるずると剥ける。
これなら、皮ごと丸焼きにする手間もない。
腹を裂くと、これまた切ないほどに愛らしい心臓と肝臓と砂肝が現れた。
村の衆は、腸にも細い棒を突っ込んできれいにしてからバーベキューにするのであるが、面倒なので、これは寄ってきた隣家の鶏にプレゼントした。
食べる肉などほとんどないが、まあ、調理の実習にはちょうどいい。
湯を沸かした鍋に丸ごと放り込んで、水浴びを始めた。
*
そこへ、興奮した様子のラーが戻ってきた。
「こら、どこへ行ってたんだ?俺は、すべての作業をひとりで済ませて鶏までさばいたんだぞ」
「村長のところ。従兄のベッの女房がとんでもないことを言ったんで、相談に行ってきたんだよ」
話を整理すると、こうだ。
一昨日の夕方、牛の世話から戻ってきたベッに野菜畑の鶏よけネットを張るための竹を切ってもらった。
そのお礼に焼酎をプレゼントすると、彼は晩飯の支度をする家族を放ったらかして飲み続け、今度はわが店にやってきて、また飲み続けた(確かに。やたらとうるさかったが、作業を手伝ってくれたというので、我慢して放っておいた)。
そして、2時間ほどすると「家に帰る」と去って行ったのだが、恐妻家の彼は家には戻らなかったらしい。
そこで、女房の怒りが亭主に焼酎をプレゼントしたラーに向けられ、翌日やけ酒で酔った勢いで彼女がラーを口汚く罵った。
「それでパンチを喰らわせて怪我させたのか?」
母鶏のすさまじい反撃を思い出したが、まあ、致命傷までは負わせてはいまい。
「違う。 あたしの悪口だけだったらパンチで済ませるけど、 彼女の悪口はクンターの名誉にもかかわることだから、村長の前できちんと謝らせたいんだよ」
なるほど、そういう類の罵りであったか。
莫迦な酔っぱらいを相手にするのは面倒だが、「クンターの名誉のため」と言いつつ涙を流す嫁を放ってはおけまい。
ゆがきあがった鶏肉に未練を残しつつ、村長の家に向かった。
*
しかし、親戚同士のこうした争いは、村長でも裁きようがないだろう。
しかも、相手はさらに焼酎を飲んだらしく、途中からその攻撃が脇に控えている亭主の方に集中し始め、ついには離婚の宣言にまで発展した。
村長も、私に目配せをして苦笑するばかりだ。
「とにかく、この嫁さんは酔っぱらっているから、今夜は話にならない。明日、冷静になってから、ふたりの言い分をきちんと文書にするから。そして、副村長とも相談して裁定をくだすよ」
村長が、膝の上の「揉め事ノート」をぽんぽんと叩いて、解散を告げた。
そのノートには、訴えた者と訴えられた者の言い分、それに村としての判断を書き記した上にそれぞれのサインが入っており、後腐れがないようになっている。
それでも話がこじれると、秋のロイクラトーン(精霊流し)における“ムエタイ決着”となるのであるが、ラーも相手も、もうそんな年ではない。
やれやれ。
村長に挨拶して腰をあげようとすると、先に立ち上がった女房が強い調子で、なにやら捨て台詞を吐いた。
途端、ラーが猛烈な勢いで突進して彼女を突き飛ばした。
もともとふらついていた足がもつれて、石段から転がり落ちた。
あちゃーっ。
「こら、やり過ぎだ!」
「だって、こいつ、またクンターの悪口を言ったんだよ」
*
泣きわめく女房を病院に担ぎ込むと、幸い、右腕の打撲傷だけで済んだ。
右腕を吊った彼女が、「警察に訴える!」と叫ぶ。
やれやれ。
警官は、全員顔見知りである。
飲み仲間のひとりが、ニヤニヤしながら私にウインクをした。
事情を説明すると、警官が苦笑しながら女房に説教を始めた。
「酔っぱらい亭主が家に帰ってこないからといって、自分も酔っぱらって人のせいにしちゃいけない。ラーさんには旦那さんがいるんだし、あんたにも亭主がいる。もしも、誰かがあんたに同じような汚い悪口を言ったら、あんたも怒るだろう?今回の件は、あんたが悪い。しっかり、反省しなさい」
女房が、しゅんとなって頷いた。
これで、村長の手間も省けたようだ。
ふと気づいたら、亭主の姿がどこにも見えない。
そういえば、あいつ、病院にもいなかったっけ。
また、どこぞに雲隠れして呑んだくれているのだろうか。
やれやれ。
すでに、10時。
腹が、ぺこぺこだ。
店に戻り、ゆがいた雛肉に醤油をかけて飯を食べた。
甘くて、口の中で溶けるような柔らかい肉である。
*
今朝起き出してみると、店横に停めていたバイクのミラーが2本とも消えていた。
これ、ささやかなる報復?
☆応援クリックを、よろしく。
ははは!最後の『ささやかな報復』には笑いました。2、3日したらそっと置いてあるんじゃないですかね。...ないかな。
しかしクンターさんの悪口言われた瞬間に飛びかかったラーさん、凄いですね!読んでいて正直羨ましくなってしまいました。
ベッさんの奥さん、酔ってたとはいえ去り際に毒吐くとこなんかうちのお店のタイ人皆さんにそっくりです。お店の整理整頓で毎日の様に僕に怒られた時等『はいわかりました』と言い振り向きざまにタイ語で何か言っています。多分理解出来たら相当頭に来る事なのでしょうね...。はぁぁ...。
お互いに、大変ですねえ。もしも、私がカレン語の捨て台詞まで理解できるとしたら、今頃はかなりの村人を病院送りにしているか、逆にされているに違いありません(笑)。