右肩甲骨上部、右肩、右首筋、右鎖骨、4カ所の凝りと痛みに悩まされている。
これは、書き物に集中したり、ひどいストレスを感じたときに起きてくる症状である。
すでになじみの症状なのだが、息が詰まるような感じが伴うので、なかなか辛い。
*
原因は、日本での出版をめざしている原稿の書き直し作業である。
主題となっている村の暮らしと、タイに関心のない、あるいはタイに関する知識をもたない読者との間の接点をどうつけるか。
言葉を換えれば、北タイの僻地であるオムコイと日本との距離をどう縮めるか。
その最後の難関がなかなか乗り越えられず、四苦八苦しているところなのだ。
たとえば、現在の日本を覆い尽くしているらしい「閉塞感」という言葉である。
これが、実感としてつかめない。
もちろん、長引く不況や経済沈滞については承知しているし、相変わらずの政治状況も分かる。
だが、私が日本に落ち着いていたのは6年ほど前のことで、同じ「閉塞感」でもいまの私が感じるそれと、日本で暮らしている人たちの間には大きな隔たりがあるのではないか。
なにしろ、日々「マイペンライ(大丈夫、気にしない)」で暮らしているのだから、オムコイの空はいつもスコンと突き抜けて、「閉塞感、なにそれ?」という感じなのである。
それでもうんうん唸りながら問題解決に取り組んでいるうちに、右半身上部にキリキリと痛みと痺れが走り出してきたという次第だ。
*
こうなると、頼みはマッサージの資格を持っているラーである。
薬草入りの塗り薬をたっぷり塗り付けて、指や掌底や肘を使って凝り固まった部分をゴリゴリと押し、揉みほぐす。
野山での自給自足で鍛えた膂力や指の力は並みの男よりも強いから、これが多いに効く。
一カ所に集中すると他への注意を忘れ、たとえばこめかみを揉むときに残った指が目の中に入ったりもするが、これはまあ「10日間講習」のご愛嬌である。
30分もするうちに全体がほぐれてきて、やっとひと息ついた。
持つべきものは、怪力の女房である。
*
それにしても、と考える。
いくら不景気とはいえ、このオムコイからすれば日本ははるかに豊かなはずである。
それが、「ジリ貧」だの「閉塞感」などとは、贅沢もはなはだしい。
年収が100万円もあれば、オムコイでは大金持ちではないか。
こちらは毎日、女房が川で獲ったエビや息子たちが捕まえてきたカブトムシを喰ってるんだぞ。
などと、訳の分からん八つ当たりをしながら、ふと思い当たる。
時おり返るニッポンは、なにやら嘘寒い感じがした。
成田から乗る電車はぴかぴかに磨き込まれ、電車に乗った人たちの服はやけにきれいで、顔は青白く無表情、ひたすら携帯電話を覗き込んでいる、あるいはひたすら目を閉じている。
破れ服の肩に粗末な散弾銃をかついだ男も、川猟用の丸網や魚籠を手にした女も、鼻くそをほじりながらぽかんと口をあけているガキもいない。
なんだか、ちっとも面白くないのである。
それが「閉塞感」につながるのかどうかは知らないが、人間観察をするのならチェンマイやオムコイの方がずっと面白い。
*
家に戻ってバッグを明けると、普段着のTシャツやズボンは薄汚れて穴だらけだ。
これでもオムコイでは上等の部類なのだが、日本じゃこんな服では近所も歩けやしない。
「いや、この黒い染みはバナナの葉っぱを切ったときに垂れた汁がついたもんで、決して怪しいことをしたわけでは・・・」
そんな言い訳をしても、不審者と思われるのがオチだ。
なんだか、息苦しい。
日本で私が感じる「閉塞感」といえば、こんなところなのである。
そこで、スコンと突き抜けたオムコイの空が途端に恋しくなる。
*
なんだか情けない話なのだが、一日中「閉塞感」の解釈と格闘したあとなので、息抜きを兼ねてこんな文章になってしまった。
明日はまた、真面目に「閉塞感」と向き合うことにしよう。
ところで、日本でこれを読んでいる皆さん、あなたも本当に「閉塞感」なるものを感じていらっしゃるんでしょうか?
*写真は、パパイアの花。これを煎じて飲めば「閉塞感」に効くという村の言い伝えは、ありません。
☆応援クリックを、よろしく。
これは、書き物に集中したり、ひどいストレスを感じたときに起きてくる症状である。
すでになじみの症状なのだが、息が詰まるような感じが伴うので、なかなか辛い。
*
原因は、日本での出版をめざしている原稿の書き直し作業である。
主題となっている村の暮らしと、タイに関心のない、あるいはタイに関する知識をもたない読者との間の接点をどうつけるか。
言葉を換えれば、北タイの僻地であるオムコイと日本との距離をどう縮めるか。
その最後の難関がなかなか乗り越えられず、四苦八苦しているところなのだ。
たとえば、現在の日本を覆い尽くしているらしい「閉塞感」という言葉である。
これが、実感としてつかめない。
もちろん、長引く不況や経済沈滞については承知しているし、相変わらずの政治状況も分かる。
だが、私が日本に落ち着いていたのは6年ほど前のことで、同じ「閉塞感」でもいまの私が感じるそれと、日本で暮らしている人たちの間には大きな隔たりがあるのではないか。
なにしろ、日々「マイペンライ(大丈夫、気にしない)」で暮らしているのだから、オムコイの空はいつもスコンと突き抜けて、「閉塞感、なにそれ?」という感じなのである。
それでもうんうん唸りながら問題解決に取り組んでいるうちに、右半身上部にキリキリと痛みと痺れが走り出してきたという次第だ。
*
こうなると、頼みはマッサージの資格を持っているラーである。
薬草入りの塗り薬をたっぷり塗り付けて、指や掌底や肘を使って凝り固まった部分をゴリゴリと押し、揉みほぐす。
野山での自給自足で鍛えた膂力や指の力は並みの男よりも強いから、これが多いに効く。
一カ所に集中すると他への注意を忘れ、たとえばこめかみを揉むときに残った指が目の中に入ったりもするが、これはまあ「10日間講習」のご愛嬌である。
30分もするうちに全体がほぐれてきて、やっとひと息ついた。
持つべきものは、怪力の女房である。
*
それにしても、と考える。
いくら不景気とはいえ、このオムコイからすれば日本ははるかに豊かなはずである。
それが、「ジリ貧」だの「閉塞感」などとは、贅沢もはなはだしい。
年収が100万円もあれば、オムコイでは大金持ちではないか。
こちらは毎日、女房が川で獲ったエビや息子たちが捕まえてきたカブトムシを喰ってるんだぞ。
などと、訳の分からん八つ当たりをしながら、ふと思い当たる。
時おり返るニッポンは、なにやら嘘寒い感じがした。
成田から乗る電車はぴかぴかに磨き込まれ、電車に乗った人たちの服はやけにきれいで、顔は青白く無表情、ひたすら携帯電話を覗き込んでいる、あるいはひたすら目を閉じている。
破れ服の肩に粗末な散弾銃をかついだ男も、川猟用の丸網や魚籠を手にした女も、鼻くそをほじりながらぽかんと口をあけているガキもいない。
なんだか、ちっとも面白くないのである。
それが「閉塞感」につながるのかどうかは知らないが、人間観察をするのならチェンマイやオムコイの方がずっと面白い。
*
家に戻ってバッグを明けると、普段着のTシャツやズボンは薄汚れて穴だらけだ。
これでもオムコイでは上等の部類なのだが、日本じゃこんな服では近所も歩けやしない。
「いや、この黒い染みはバナナの葉っぱを切ったときに垂れた汁がついたもんで、決して怪しいことをしたわけでは・・・」
そんな言い訳をしても、不審者と思われるのがオチだ。
なんだか、息苦しい。
日本で私が感じる「閉塞感」といえば、こんなところなのである。
そこで、スコンと突き抜けたオムコイの空が途端に恋しくなる。
*
なんだか情けない話なのだが、一日中「閉塞感」の解釈と格闘したあとなので、息抜きを兼ねてこんな文章になってしまった。
明日はまた、真面目に「閉塞感」と向き合うことにしよう。
ところで、日本でこれを読んでいる皆さん、あなたも本当に「閉塞感」なるものを感じていらっしゃるんでしょうか?
*写真は、パパイアの花。これを煎じて飲めば「閉塞感」に効くという村の言い伝えは、ありません。
☆応援クリックを、よろしく。
ははは!その内オムコイの空の元で『ハーレムキング』を目指しますかね。
そしたらクンターさんの肩もほぐれて大っ嫌いな(こわい?)びょう○んに行かなくて済みますもんね...。
ネットの不具合で、掲載とご返事が遅くなったことをお詫びします。ご本人の要望で未掲載にせざるを得なかったものも含め、さまざまなコメントをいただき、皆さんの感じ方とそれほどズレがないようで安心しました。大変、参考になりました。
ありがとうございました。
バブル景気の時はどうだったといえば、閉塞感という雰囲気は感じ取れませんでした。大多数が豊かで楽しい雰囲気の時代だった。
経済的繁栄は閉塞感のない大きな要因になっていると思いますし、この先に希望や成長がまっていると感じ取れるなら閉塞感は、社会にも個人にもなさそうに思えます。
無策ともいえる、この十年を超える経済的沈滞、国家としての態をなしていないところから浮かび上がれない状況が続きこの国がはたしてこの先存続できる可能性がはたしてあるのかとの暗い未来。
以前は、まだ神仏への畏敬の念や信仰心が残っていたと感じたが、科学的というところの合理精神が大勢をしめてきたことによる精神的退廃、社会が固定化してきて、規制が多く個人の活動が阻害され努力したものが報われなくなってきている変化、社会も個人も明日に向かって希望があり、成長していけるところには、閉塞感なんてないはずと。
ちなみに,肩こりの原因は乱視や虫歯も悪さするといいますよね.一度お調べになったらいかがでしょうか?あー,"何とか"にいかなければいけなくなりますが.ねぇ,なかちゃんさん(^o^)
私の考える所、この閉塞感はこの国の未来に対する失望感だと思われます。
日々のニュースは気が滅入る事ばかりで、未来の予測は希望の欠片さえ見えない。
悪くなる出生率、超高齢化社会、危機的年金状況、増える国債の発行残高、低い新卒の有効求人倍率、その他色々な悲観的状況が有ります。
それに伴い国民のモラルというか品格、質が悪くなっていってる感じがします。
私はタイで人生を閉じたいと思ってます。
僕の肩こり対策は首下高い枕です。
結局肩こりは寝ている間の姿勢起因でしょう。
その遠因は精神状態に起因する寝姿かと思います。
それが閉塞感と言うものなのかは解りませんが今の日本、なんか落ち着いちゃってますよね。ただ時間だけが淡々と過ぎていくだけみたいな...。
僕が初めての海外旅行で訪泰した時、正直初めは単なる日本より貧しい国くらいにしか思ってなかったのですが実際タイの人達が生き生きしているのをみてカルチャーショックを受けた事を思い出し、今でもタイに魅了されているのはそこではないかと思っています。
生きる為に一生懸命になる事を忘れてしまうと今の日本の様になってしまうんですかね...。