昼飯に家に戻ると、向かいの家の親族の爺さんがラーと一緒に瓜の唐辛子和えを食べていた。
彼はオムコイからかなり離れた山奥の村に住んでおり、今日は向かいの家の先祖供養に呼ばれて来たのだという。
ラーによれば、昔の彼の村は桃源郷のようなところで、川の水は澄み、その川で水浴びをする女たちの肌はこのあたりでは珍しいほどに白く、美人の産地としても知られていたという。
かつては象もたくさん飼っていたのだが、「今はわずか数頭になってしまった」と爺さんが哀しそうに首を振った。
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その爺さんが、私に戦争中の日本人の思い出話をしたいという。
しかし、あご髭は白いものの髪の毛は黒々としており、顔色もツヤツヤして、60歳くらいにしか見えない。
そこで、まず彼の年を聞くと「70歳くらいだと思うが、生まれた年は分からない」のだそうな。
それなら、敗戦直前には5~6歳にはなっていたろうから、又聞きではないだろう。
「その頃、村の西側の方にあるビルマ(ミャンマー)で日本人とファランが戦争をしていた。ある日、ビルマの方から日本の兵隊が逃げてきて、たくさんの戦闘機が空を舞うようになった。兵隊は大人たちを駆り出して防空壕を掘ったので、自分は訳も分からずそこに逃げ込んでばかりいた。日本兵たちは腹を空かしていたから、いつも食べ物を分けてやった。ろくに歩けないような病人や怪我人がいっぱいいたのに、兵隊たちは彼らを見捨てて、どんどん逃げて行った」
「じゃあ、村で亡くなった兵隊もたくさんいたんですか?」
「それは、覚えていない。とにかく、薬も病院もなかったから大変だった。戦闘機と防空壕と歩けなくなった兵隊の姿だけは、今も目に焼き付いている」
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これは、あの無謀なインパール作戦からの敗走途上であったことは間違いないだろう。
以前にも書いたことがあるが、実はわが村にも日本軍は駐留している。
馬に乗った兵隊がたくさんやってきて、村人の家に分泊し、食事を分けてもらい、戦闘機が爆撃に来るようになったので村人を駆り出して防空壕を掘った。
娘だったラーの母親などは、その中のひとりから求婚され断ったというエピソードも持つ。
地理的にみれば、やはりインパール作戦からの敗走途上に思えるのだが、村にはこの爺さんのように悲惨な状況を物語る古老がおらず、むしろ規律やゆとりを保っていたような印象が強いのだ。
病人や怪我人を置いて逃げ出すような状況の中で、娘に求婚などしている余裕などないだろう。
そこで、これはビルマを目指しての進軍中のことだったのだろうと考えていたのだが、爺さんの話を聞いているうちに、やはりこれは同時期のことで、これも地理的に見て爺さんの村から逃げてきた兵たちがオムコイに辿り着いて、それからチェンマイ方面に向かったのではないかと思えてきた。
そして、その中に私のような能天気な兵がいて、すでに許嫁のいたラーの母親に言い寄り、求婚までした。
不謹慎きわまる想像だが、悲惨な戦争の中で、人間の心には時として真空状態のようなものができると聞く。
追いつめられたその兵は、65年前のオムコイに遠く離れた故郷の幻でも見たのだろうか。
それとも、壊れかけた心に何かの救いでも見いだしたのか?
ちなみに、オムコイ周辺に戦争が終わっても敢えて日本に戻らなかった“残留日本兵”がいたという話は、まだ耳にしたことがない。
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日本兵も悲惨ですが、連合軍の戦闘機を引き連れて敗走兵に逃げ込まれた村の人たちは、本当に迷惑だったと思います。それでも、日本人の悪口を言う人は誰もいません。
死の行軍をさせられ大変な数の兵隊さんが死んでいったと聞きました。頭が良いはずの参謀はなぜあんな作戦をたてたのでしようか、信じられません。それから「ビルマ」という
国の名前でミャンマーを読んでおられたのには、好感を持ちました。