昨日は、夕焼けがきれいだった。
雨雲のせいで壮麗とはいかないのだが、それがかえって淡い色合いを醸し出し、一日の終わりにはふさしい落ち着きをもたらしてくれる。
願わくば、日々をこうした淡麗な心持ちで暮らしたいものだ。
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秋の彼岸を過ぎて、確実に冷涼な季節に向かいつつある。
明け方には厚い毛布で肌寒さを感じるようになり、囲炉裏で熾す火が心地よい。
鶏鳴に目覚めると、村はすっぽりと霧に包まれている。
と、その静寂を破るように豚の悲鳴が聞こえてきた。
向いのプーチョイの家で、先祖供養のための調理が始まったのだ。
近隣の衆も集まって、すでに焼酎の献杯が始まっている。
すぐにお呼びがかかったのだが、こちらは一昨日の「ターン・カーオサラーク」に全力投球をしたばかりだ。
ラーとも話し合って、今朝は静かに過ごすことにした。
裏庭に成った蔓状の花野菜を摘み、これを香辛料と煮込んで淡い味のスープを作る。
なんだか、体の中が洗われるような感じである。
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食後に囲炉裏端でくつろいでいると、3男のポーが「出家したい」と言い出した。
小乗仏教のタイでは、僧侶が厳しい戒律に従って修行をしている(ときに、とんでもない破戒層も出現するが)。
反面、還俗も容易なので、1週間や1ヶ月といった短期修行も可能であり、子供たちが学期休みを利用して出家することも珍しくない。
それにしても、突然、どうしたというのだろう。
「家のまわりに阿片やヤーバーを吸う人がいっぱいいて、近隣ではそれを原因とするいさかいの声も絶えない。だから、お寺で暮らせば静かに勉強できる」
ラーの通訳によれば、そういうことらしい。
また、彼の友だちのひとりが酔っぱらった父親から暴力を振るわれ、体に残った痣をみるたびに哀しくなるのだという。
村には朝から焼酎を酌み交わす習慣があり、そのまま度を過ごしてしまう人も多いのだ。
うーん、子供心にそんなことを考えていたのか。
いつも、元気いっぱいで魚獲りやカブトムシ獲りに走り回っていると思っていたのに・・・。
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「で、どのくらいの期間出家するんだ?第一、彼は医者になるのが夢なんだろう?」
「そこまでは、まだ考えていないらしい。とりあえず、試してみたいんだって。出家してもお寺から学校に通えるし、夜も勉強するしかないから、成績ももっと良くなるはずだって言ってるんだよ」
「でも、ポーは甘えん坊だからなあ。母ちゃんがいないお寺なんかで、暮らせるのか?」
「あたしも、あの子が家にいないと寂しいよお」
「・・・」
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というわけで、話はまだ本決まりにはなっていないのだが、本人にとっては自立心を養うのに、ラーにとっては子離れをするのに、それぞれいい機会かもしれない。
出家を通じて、彼がどう変わるのか、それを見るのも楽しみだ。
この週末を利用して、ゆっくり話し合ってみるか。
そうだ、家族全員で出家を体験してみるという手もあるなあ。
まあ、そんなに甘くはないか。
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環境が人を作るのですね.
さて,しかし,せっかくですから一人で出家を経験した方が吉なのでは....家族総出って...
僕も(いろんな意味で…)出家が必要かしら.
出家願望、実は僕も持っていまして...。とはいってももっぱら宗教的な思想等は無く、タイを知るにはまず仏教だろうという考えからですが。
しかし、毎日タイ人皆さんと接していると“人を許す心”というのが半ば強制的に身に付いて来ているので必要ないかなぁ...なんて。はぁ...
アハハ・・・誰かさんを初めとして、あまりにも煩悩の多い家族ですから、まとめて全員と思ったのですが。ハイキングじゃあるまいし、ねえ。
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しんちゃん
うーん、「出家」は「家出」に通じるものがある、と。
次の家出のいい口実が見つかりました。
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なかちゃん
日々タイの人々と接することは、即ち「悟り」につながる道でありましょうか。
私も別に求めるものはないのですが、タイにいる以上、一度は体験してみたいものです。