「クンター、鶏にえさをあげてよ」
店の裏庭で朝飯を作りながら、ラーが声をかけてくる。
「鶏?家のか?」
「じゃなくて、ほら、そこの3羽だよ」
呼び指す方を見ると、いつも裏庭をうろついている丸々太った黒羽の母鶏と2羽のひよこである。
「だって、こいつらよその鶏だろう?」
「違うよ、ウチのになったんだよ。メータイが、あたしにくれるって言ったんだから」
そういえば、このところ2軒隣りで総菜を商うメータイの姿を見かけない。
「どうしたんだ?」
「家に戻ったんだよ」
「家に戻った?」
「うん、別居していた旦那さんが迎えにきて、やり直すことにしたんだって」
*
そう言えば、1ヶ月くらい前、夜になるとわが店の裏庭にバイクを隠すように停めて、メータイの家に忍び込むように近寄っていく男の姿を何度か見かけたことがある。
「なんだ、あいつ?挨拶もせずに、まるでコソ泥みたいだな」
「メータイの旦那さんだよ」
そんな会話を交わしたことがあったけれど、その後はすっかり忘れていた。
「あの旦那さん、酔っ払ってときどき暴力を振るうんだって。メータイは旦那さんが好きだからずっと我慢してきたんだけど、独立した子供たちや親戚連中にやいのやいの言われて、ついに別れる決心をした。そこで長屋に引っ越してきて、総菜屋さんを始めたって事情は前にも話したでしょ?」
「ああ」
「でも、旦那さんが反省して、何度も何度も謝りにきたから、メータイももう一度やり直そうって気持ちになったらしいんだ。もちろん、あたしのアドバイスも効き目があったみたいだけどね」
「アドバイス?」
「うん、たとえまわりが何と言おうとも、最後に頼れるのは夫婦だけなんだから、自分の気持ちに正直に行動した方がいいよって言ったの。そしたら、そのまま旦那さんのバイクのお尻に乗って家に戻っちゃった」
「偉そうに、まあ。お前さんがけしかけたおかげで、旦那がまた暴力を振るったらどうするんだ?」
「そのときはね、あたしがムエ(キックボクシング)を教えるって約束してあるんだ」
「・・・」
*
メータイの置き土産は、鶏だけではなかった。
自らナタをふるって割った大量の薪も、わが家に進呈してくれたらしい。
さらに、日本の三つ葉に似た香草を植えたふたつの鉢。
この香草は、すでにカオトゥム(おかゆ)と一緒にわが胃袋の中に収まって、すでに新しい芽を出しつつある。
メータイの鶏にえさをやり、メータイの薪で火をおこしてコーヒーを啜る。
「なんだか、寂しくなったなあ。お前さんも、しゃべる相手がいなくなってつまらんだろう」
「うん、でも毎晩のように別居の辛さを聞かされるよりはマシだよ。やっぱり、夫婦はいつも仲良く一緒にいるのが一番いいね」
「あれ、病気の旦那を放ったらかして毎晩魚穫りに行ってるのは、どこのどいつだ?」
「それは、クンターにおいしいスープを食べてもらうためなんだから仕方ないでしょ。でも、クンターが寂しいのなら、もう魚穫りには行かないよ」
「いや、そ、それは困る。うるさくて、本が読めなくなるからな」
つい、本音がぽろりと出た。
もちろん、日本語である。
「え、なんて言ったの?」
「いや、魚のスープは体にいいから、毎日でも食べたいなあと言ったんだよ」
「そうでしょ?よし、今夜も頑張るぞ」
わが家の場合、女房元気で留守がいい。
☆応援クリックを、よろしく。
メータイおばさんのお菓子が食べられなく(見られなくですね)なるのはちょっと寂しいですがやはり女性には幾つになっても女として幸せになってもらいたいものですよね。(^^)ただいくら反省しても3歩あるいたら忘れちゃうからなぁ..タイの人。(これはあくまで僕自信の経験に元づく勝手な私感です。)メータイおばさんの今後が心配です。(^_^;)
奥様ラーさんが言った『自分に正直に...』は素直に共感できますね。まったくその通りだと思います。
『クンターさんの為に仕方無く魚捕り』には一本取られましたけど...。(^.^;)
反省しても「3歩歩いたら忘れる』。アハハ、分かりますねえ、その実感。月面に到達した人類の偉大な1歩よりも、さらにパワフルな3歩に乾杯!