「踊り子蘭」の開花を楽しみに待っていた原田さんが、ついにわが宿にやってきた。
同行は、ロングステイ仲間の黒木さんである。
実は、今年はもう駄目なのかと諦めていたのだそうである。
だから、私が開花の一報を入れたときは、風邪をひいていたこともあって心がすぐには反応しなかったそうだ。
だが、電話を切ったあとでじわじわと嬉しさが込み上げてきて、すぐさま黒木さんに声をかけたのだという。
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「ああ、これなんだあ。本当に不思議な花ですねえ」
花棚の前にしゃがみ込んで、感動のご対面。
踊り子たちも、この日を待ちわびていてたかのように、4房に30数人が勢揃いして歓迎のダンスを舞っている。
最初の開花から、およそ1週間。
よくぞこの日に最盛の姿を見せてくれたものだと、番頭さんは秘かに感涙にむせぶのだった。
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オムコイもそろそろ雨季に近づきつつあるのか、このところ昼前後に山際に黒雲が顔を見せ始める。
遅めの昼食が終わると、小雨が降り出した。
二人は宿前のテラスでくつろいでいる様子だったが、いつの間にか話し声が聞こえなくなった。
あとで訊くと、2時間ほどぐっすりと昼寝を楽しんだそうである。
「こんなに昼寝で熟睡したのは、チェンマイで暮らし始めてから初めてのことだから、そうだなあ、9年ぶりくらいかしら。風が爽やかで、とっても気持ちのいいところですねえ」と原田さん。
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晩のおかずは、お馴染みゲンカブワッ(豚骨ベース粥状緑野菜スープ)と豚皮のカリカリ揚げと蕗のような食感の里芋の茎を酸味の利いたマカームの実であえたカレン料理2種。
当日は私の誕生日ということもあって、女将のラーは午後3時から七輪に火を熾して料理づくりに取りかかった。
午後7時頃。
ようやく料理ができあがって、ビアチャンで乾杯。
大量のビールは、誕生祝いということで黒木さんからの差し入れである。
そういえば、原田さんからもお菓子、文庫本、ラーへの洋服などたくさんのお土産を頂いたのだった。
実にありがたいことである。
黒木さんは「酒には強いが辛い料理は苦手」と事前に聞いていたので、ちと心配だったが、どちらもおいしいということでひと安心。
ロングステイに至る経緯話などで賑やかに盛り上がるカントーク(タイ式卓袱台)のまわりでは、「チョチョッ」とヤモリが鳴き、光の尾を引きながら蛍が飛び交うのだった。
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翌日の朝食後。
ガイド犬の元気と一緒にひと足先に散歩に出た黒木さんを追って、川沿いの散策に案内した。
まずは、川向こうの展望台へ。
今年は例年になく山焼きが長引いて煙った空が続いたのだが、久しぶりにすっきりとした空色が広がっている。
「こんな青空の色、チェンマイでは滅多に見られませんよ」と黒木さん。
さて、古い竹橋まで足を伸ばそうとすると原田さんは「恐いからひとりで先に戻ります。高いのは、見るだけでも恐いんです」とのこと。
そこで、棚田の中を歩き、作業小屋で待ってもらい、黒木さんだけを竹橋まで案内することにした。
間もなく始まる田植えに備え、すでに耕耘機を入れて田起こしにかかっている田んぼもある。
牛に与える藁を積んだ藁小屋では、田んぼの肥料にするために藁を燃やしているところもあった。
そこで原田さん、何を思ったか燃えかすの中に足を踏み入れて飴色に焼けた竹を拾い上げた。
こうした自然のものをこすったり磨いたりして、置物にするのが趣味なのだそうだ。
作業小屋にひとりで上がり込むと、さっそくその作業に取りかかった。
古い竹橋を渡って、向こう岸の道を歩いて戻るという黒木さんと別れ、作業小屋に引き返した。
原田さんは、日除けの傘を広げ横になってくつろいでいる。
「ここで昼寝をしたら、またまた気持ち良さそうですね」
待っている間に石でこすってみたという焼け竹は、まるで金粉を散らしたような不思議な模様を醸し出していた。
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「水琴窟のような音がしますねえ。あれは何ですか?」
ところで、川沿いの道を歩いているときに原田さんが妙なことを言い出した。
水琴窟?
実際に聞いたことはないが、妙なる音であることは聞き知っている。
耳を澄ますと、川向こうの棚田からカウベルの響きが風にのって流れてきた。
そういえば、遠くから聞こえてくるこの音に首をかしげるゲストは数多い。
具合のいいことに、高台の展望台には放牧の牛がいっぱい居て、この音をじかに聞いてもらうことができた。
黒木さんは、カウベルをお土産にしたいという。
そこで親戚に声をかけてみると、実際に牛の首にかけていた紐付きの古いカウベルを譲ってくれた。
結局、これは原田さんのお土産になったようだが、カウベルをお土産にしたゲストは初めてである。
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そろそろ出発という時間になって、黒木さんの姿が見えなくなった。
テラスでくつろいでいる原田さんに訊くと、ラーと一緒に向かいの家にカレン織りの様子を見に行ったのだという。
戻ってきた原田さん、「8月に1週間ほど弟子入りして、カレンバッグを織ることになりましたあ!」
嬉しそうに宣言した。
「じゃあ、私もそれが織り上がるころに別の友だちを誘ってきますよ」と、こちらは原田さん。
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さて、早めに町のバス停まで送って昼寝をしていると、ラーの大声が聞こえた。
原田さんから、バスが故障してチェンマイに戻れないという電話がかかってきたのだという。
あわててバイクを走らすと、確かにバスの姿がない。
訊けば、ホートの近くで故障したらしい。
ホート行きのソーンテーオも、すでに出発したようだ。
さて、どうしたものか。
手を拱いていると、一台のピックアップが側に停まった。
助手席の女性が、「あたしたちホートへ行くんだけど、この二人チェンマイへ行くんでしょ? よかったら、乗っていかない?」と声をかけてきた。
バス停で二人のことを目にしたらしい。
これはありがたい。
さっそく、同乗を頼んで二人を見送った。
あとからもらった電話によれば、ホートで無事にチェンマイ行きのバスに乗り換えたそうだ。
やれやれ。
これもまた、踊り子蘭が授けてくれたオムコイへの旅の醍醐味(?)であろうか。
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珍しい、可愛い踊り子さん達にも会えたし、元気ちゃんとのお散歩もとても楽しかったです。
ラーさんのおもてなし料理も珍しいもので美味しくて感激しました。
クンターさんに案内して頂いた村の絶景ポイントも、なにか懐かしい感じがして心が休まりました。
村の自然、空気、蛍まで見る事ができ心の休養が必要になった時は《オムコイ》に限りますね。
8月には機織り修行に参りますので、又又宜しくお願いします。
こちらこそ、ありがとうございました。昨日あたりから踊り子蘭が枯れ始めたので、本当に間に合って良かったと胸を撫で下ろしました。それでは、8月の再訪を楽しみにお待ちしております。