先日、村を貫くロードサイドで熾烈な“ビジネス戦争”と“貸家戦争”が勃発したことについて紹介した。
この通りには、“バッファローシット・ストリート(水牛の糞通り)”という洒落た名前があるのだけれど(私が勝手に名付けただけだが)、2年半前に初めて村にやってきたときからは、すっかり様変わりしてしまった。
タイミング良く、昨日のブログで村の入り口の写真を掲載したので、今日はその先の道沿いがどうなっているか写真を中心に紹介したい。
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わが村へは、村名表示のあるオレンジ色屋根の看板の手前から左手に入って行く。
これが、水牛や牛の糞が点在している洒落た名前のメインストリートで、すぐ左手に新規開店した雑貨屋がある。
隣りは、私に材木の不良品をつかませて1,000バーツの損失を被らせた“困ったくん”経営するところのクルマの修理工場。
その隣りが、“ラーは犬のおちんちんを触った手でクッティアオを作っている”というきわめて戦略的な噂を流した古くからのクッティアオ屋である。
その隣りが、家主夫婦が経営する歴史の長い雑貨屋で、ここの雑然とした商品陳列には、私が子供のころの駄菓子屋を思わせるものがあり、なかなか心がなごむ。
その隣りに、先日の“クリスマス運動会”を主催した教会があり、週末になると民族服で着飾った多くの信者たちでにぎわう。
その向かい側では、家主夫婦の手によって3軒目の貸家が建築中だ。
今後のネット接続状況によっては、その手前に建てられる予定の4軒目にわが麺屋を移転するかもしれないことは、昨日の記事に書いたとおりである。
この“4軒長屋”の端っこにわが麺屋があり、向かい側に教会イベント用の空き地、その先に伸びた道路の左手に先日も触れたアパート形式の長屋が着々とその姿を現しつつある。
その隣りに、これまた古い小さな雑貨屋があり、店を始める前はもっぱらこの店で簡単な買い物を済ませていた。
それから先の道の両側には民家が建ち並び、村のどんづまりにわが家およびその親族の家が肩を寄せ合うように密集している。
道路はわが家のすぐ先で舗装が途切れ、川へと至る泥の細道に変わる。
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ところで最近、わが家の斜め前に近在では初めてのコンクリートブロック造一軒家が完成した。
建て主は、バンコクで働いている中年女性で、ファラン(欧米人)と同棲しているらしいという噂が流れているが、そのふたりはいっさい村に姿を見せず、思い出したように業者がやってきては、ほぼ1年がかりで完成に至った“ミステリー屋敷”である。
赤い屋根に水色の壁。
窓は、なんと村では見たこともないアルミサッシ枠のガラス窓である。
伝統的な割竹壁や切り出した材をそのまま釘で打っただけの素朴な高床式住居が並ぶ中、その近代的な造りは異様なまでの違和感を漂わせている。
まあ、森林伐採禁止令のせいで材木がなかなか手に入らない昨今(私たちも2年がかりで材を集めている)、コンクリートブロック造はむしろ安価で建築が容易というメリットがあるのだけれど、この違和感だけはどうしてもぬぐい去ることができない。
しかし、村人たちの目には魅力的で快適な住居に映るらしく、今後、この工法が急速に取り入れられてゆくだろうことは、想像に難くない。
もちろん、時代の流れは誰にも押しとどめることはできないのだけれど、せめて、わが村だけは素朴な高床式住居のままであって欲しいと願うのは、身勝手な願いであろうか。
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