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わが深き淵よりー星野富弘さんのこと

2018年12月20日 20時22分25秒 | 宗教的世界の様相
そこを訪れたのはもう遠い昔の気がする。16年も前になるだろうか。足尾の山道をとおり、星野富弘美術館を目指した。そのとき前年の11月27日に父を失って次の年の春先だった。星野富弘の名前を知ったのは、もっとズーッと前で、父の蔵書の中に在ったものだ。次に星野さんに出会ったのは、詩画集であった。それは本屋の棚に縦置きに置かれた水彩画に目が行ってからだ。だからもう40年も前の事だ。星野富弘? 誰なんだ? 画家か? そうおもった。足尾を越えて出掛けた草木湖を望む、素晴らしい眺望の富弘美術館には彼が口に筆を咥えて描いた、沢山の水彩置かれていた。みな素晴らしいとおもった。そして絵に加えた、彼のことばがまた宝石の様な輝きを持っていた。

水彩画はとても優しく、絵の花々の片隅にはことばが置かれてあった。

それがとてもこころに染みる、美しいコトバだった。ああ宜しいなと素直に気持ちに染みた。



彼の略歴を見るとまた驚きであった。学校の体育の先生だったのだ。その人がなぜ水彩画を?

新たに新任として赴任した星野さんの輝ける未来の一歩は、一か月もしない内に失われた。

それは、担当教科の実習で、鉄棒の模範演技の際に転落し頸椎を損傷し首から下の運動力を失った。

誰もが思い描いても、言葉に出ない多大なショックである。どうしたらいいのか?

彼もまた一時は絶望の淵を彷徨ったに違いない。
(これから先の希望多い未来なのに、なぜ…)、本人も、両親はじめ、親類縁者も友人も悲嘆しただろう。

だが、なによりも彼自身が絶望の淵に立たされた筈だ。彼は、何を思い一日を過ごしたのだろう。

彼の凄い所はこころがこの危機から立ちあがったことだ。なによりも増して、もっと深くもっと大きく。

人生の平坦な道を歩くとして、雨も風も吹かず、暑くも無く、寒くも無く、
だがそう云う人生があるとして、それは人間を深めるのだろうか。雨風の無い平穏な人生が理想だと云う方も居るだろう。

星野さんも事故に遭わなければ、小中学校の校長として、或いは県の教育長などとして大成したのでしょうが、現在の星野さんのように影響力を持つ人生の教師としては存在しなかっただろう。

人の人生は、また危機は至る所にあり、また思っても見ない病気に侵されることもある。
思っても見ない災難に遭う事もある。どんなにか気を付けていても。

大切なのは、そこから立ち直る力である。辛い現実を超えるちからである。
それはなんだろうか、それはどんなものだろうか、ひとのこころの弱さを、つよさに変えるのは
それはなんなのだろうか?
コメント (2)
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