9/11、もうこの日は人類にとって忘れられない悲劇の日として今後ずっと人々の記憶に残るだろう。あれから6年が過ぎた。
僕はあの日、NY時代の友人を何人も無くした。実際に彼らの亡き骸を見たわけではない。ただ、あの日以来彼らと連絡が取れなかったので(本人の両親や家族への連絡方法を聞いていなかった)、後々、彼らの友人のつてでその不幸を実感した。
(僕はあのWトレードセンターで働いていたことがある)
悲しくて何も言えなかった。
それからというもの、911になるともう会えないNYの友人の顔が目に浮かぶ。
nynynynynynynynynynynynynynynynynynynynynynyny
今日、新たに悲しいニュースが飛び込んできた。
ジョー・ザヴィヌルが死んだ。
もちろんあの「ウェザー・リポート」のリーダーであり、キーボード・プレーヤーの彼だ。
音楽の都、ウイーンで生まれ育ち、後にバークリーの奨学生となりボストンの地を踏んだ。古くはグラミー賞を取った「マーシー・マーシー」などの作曲をしたし、あのマイルスの「ビッチェズ・ブリュー」にも参加した。
しかし彼のキャリアで特筆すべきはサックス奏者:ウェイン・ショーターと共に立ち上げたフュージョン音楽のパイオニア的バンド「ウェザー・リポート」での活躍だろう。
70年後半に産声をあげたこのバンドは以降15年にわたりポピュラー音楽シーンに君臨する。
ウェザー・リポートを、ジョー・ザヴィヌル(key), ウェイン・ショーター(sax)、ジャコ・パストリアス(b)の三人が主役のバンドだと思われているようだが、これは率直に言って違うと思う。
僕は当初から相当熱心な彼らのファンだが、基本的にウェザーリポートは、ジョー・ザヴィヌル、ウェイン・ショーターとミロスラフ・ヴィトウス(b)のトライアングルで始まったと思っている。
そして、よりビートを効かせたエレクトリック・サウンドが醸成されるにしたがいベーシストも、
アルフォンソ・ジョンソン、
ジャコ・パストリアス、
ヴィクター・ベイリー
と名うてのベーシストたちに替わっていった。
もちろん、ジャコがウェザー・リポートに加入して、自分自身の才能を大きく開花させただけではなく、ウェザー・リポートの音楽性をさらに質の高いものに押し上げたのはいうまでもないが、リーダー、ジョー・ザヴィヌルの音楽的資質とリーダーシップ無しのウェザー・リポートは考えられない、という意味でもこのバンドはザヴィヌルのバンドであったと思う。
同じ様に、ジャコ・パストリアス在籍時、ドラムスがピーター・アースキンになった時が、ウェザーの絶頂期であったことは間違いないが、ジャコが脱退した後、ヴィクター・ベイリー(b)とピーター・アースキン(ds)のリズム隊、
ヴィクター・ベイリー(b)とオマー・ハキム(ds)のリズム隊の時も、ウェザーリポートの音楽性と演奏力はずばぬけており、ジャコがウェザー・リポートで果たした役割はきわめて重要だったとしても、ウェザーはジャコのバンドではなかったと考える方が自然であると思う。
ジョー・ザヴィヌルの目指した音楽は、晩年のザヴィヌル・シンジケートで聞ける音楽ではなくウェザー・リポートの1976年の作品「ブラック・マーケット」で打ち出した音楽性にその基本を見ることができる。
あの曲の騒々しくたくましいたくさんの人種が集まる交易広場の混沌。原色の衣類や珍しい調度品の数々。いろいろな食材や見たこともない香辛料。物々交換で行われる商売。
それらの鮮烈な印象と香りがこの曲のイメージだが、ザビヌルはまさしくこの一見秩序の無い喧騒をみごとに音楽にしてみせた。
この曲はある意味でフュージョン音楽の原点だ。
ザヴィヌルおよびウェザー・リポートはこの一点のみですでに偉大だ。
この僕のブログの「僕のNY生活シリーズ」では書かなかったが、実は僕はピーター・アースキンと出かけたとあるライブハウスで今の僕と同じ歳くらいのザヴィヌルと会っている。ただしあまり記憶が鮮明ではないので「話」として書けなかった。
彼は気難しいおっさんという感じで正直、その印象はあまりよくなかった。
でも偉大な音楽家できわめて優秀なバンドリーダーだということはピーターからイヤというほど聞かされていた。
聞くところによると来月、東京の<ブルーノート>に出演のため来日予定だったそうだ。
もう彼はこの世にいないと思うとどこか寂しい。
しかし彼が最高に輝いていた頃はよく知っている。それだけで十分だ。
人は必ず死ぬんだ・・・911にまたこんな言葉を思い出してしまった。
僕はあの日、NY時代の友人を何人も無くした。実際に彼らの亡き骸を見たわけではない。ただ、あの日以来彼らと連絡が取れなかったので(本人の両親や家族への連絡方法を聞いていなかった)、後々、彼らの友人のつてでその不幸を実感した。
(僕はあのWトレードセンターで働いていたことがある)
悲しくて何も言えなかった。
それからというもの、911になるともう会えないNYの友人の顔が目に浮かぶ。
nynynynynynynynynynynynynynynynynynynynynynyny
今日、新たに悲しいニュースが飛び込んできた。
ジョー・ザヴィヌルが死んだ。
もちろんあの「ウェザー・リポート」のリーダーであり、キーボード・プレーヤーの彼だ。
音楽の都、ウイーンで生まれ育ち、後にバークリーの奨学生となりボストンの地を踏んだ。古くはグラミー賞を取った「マーシー・マーシー」などの作曲をしたし、あのマイルスの「ビッチェズ・ブリュー」にも参加した。
しかし彼のキャリアで特筆すべきはサックス奏者:ウェイン・ショーターと共に立ち上げたフュージョン音楽のパイオニア的バンド「ウェザー・リポート」での活躍だろう。
70年後半に産声をあげたこのバンドは以降15年にわたりポピュラー音楽シーンに君臨する。
ウェザー・リポートを、ジョー・ザヴィヌル(key), ウェイン・ショーター(sax)、ジャコ・パストリアス(b)の三人が主役のバンドだと思われているようだが、これは率直に言って違うと思う。
僕は当初から相当熱心な彼らのファンだが、基本的にウェザーリポートは、ジョー・ザヴィヌル、ウェイン・ショーターとミロスラフ・ヴィトウス(b)のトライアングルで始まったと思っている。
そして、よりビートを効かせたエレクトリック・サウンドが醸成されるにしたがいベーシストも、
アルフォンソ・ジョンソン、
ジャコ・パストリアス、
ヴィクター・ベイリー
と名うてのベーシストたちに替わっていった。
もちろん、ジャコがウェザー・リポートに加入して、自分自身の才能を大きく開花させただけではなく、ウェザー・リポートの音楽性をさらに質の高いものに押し上げたのはいうまでもないが、リーダー、ジョー・ザヴィヌルの音楽的資質とリーダーシップ無しのウェザー・リポートは考えられない、という意味でもこのバンドはザヴィヌルのバンドであったと思う。
同じ様に、ジャコ・パストリアス在籍時、ドラムスがピーター・アースキンになった時が、ウェザーの絶頂期であったことは間違いないが、ジャコが脱退した後、ヴィクター・ベイリー(b)とピーター・アースキン(ds)のリズム隊、
ヴィクター・ベイリー(b)とオマー・ハキム(ds)のリズム隊の時も、ウェザーリポートの音楽性と演奏力はずばぬけており、ジャコがウェザー・リポートで果たした役割はきわめて重要だったとしても、ウェザーはジャコのバンドではなかったと考える方が自然であると思う。
ジョー・ザヴィヌルの目指した音楽は、晩年のザヴィヌル・シンジケートで聞ける音楽ではなくウェザー・リポートの1976年の作品「ブラック・マーケット」で打ち出した音楽性にその基本を見ることができる。
あの曲の騒々しくたくましいたくさんの人種が集まる交易広場の混沌。原色の衣類や珍しい調度品の数々。いろいろな食材や見たこともない香辛料。物々交換で行われる商売。
それらの鮮烈な印象と香りがこの曲のイメージだが、ザビヌルはまさしくこの一見秩序の無い喧騒をみごとに音楽にしてみせた。
この曲はある意味でフュージョン音楽の原点だ。
ザヴィヌルおよびウェザー・リポートはこの一点のみですでに偉大だ。
この僕のブログの「僕のNY生活シリーズ」では書かなかったが、実は僕はピーター・アースキンと出かけたとあるライブハウスで今の僕と同じ歳くらいのザヴィヌルと会っている。ただしあまり記憶が鮮明ではないので「話」として書けなかった。
彼は気難しいおっさんという感じで正直、その印象はあまりよくなかった。
でも偉大な音楽家できわめて優秀なバンドリーダーだということはピーターからイヤというほど聞かされていた。
聞くところによると来月、東京の<ブルーノート>に出演のため来日予定だったそうだ。
もう彼はこの世にいないと思うとどこか寂しい。
しかし彼が最高に輝いていた頃はよく知っている。それだけで十分だ。
人は必ず死ぬんだ・・・911にまたこんな言葉を思い出してしまった。
ジャコのベースはもちろんすごいですが、ザビヌル氏のキーボードも冴え渡っていましたよね。
「ウェザーリポート」は大好きなバンドだけに、私もショックです。
ザビヌルさん、安らかに・・・「合掌」
でも、やはりウェザーにジャコが加入したのは必然(そうでなければBS&Tに加入していたらしいし)、そして彼のキャリアが開けたのも必然だったのでしょう。
余談ですがうちのギター、Kotaが「息子が出来たら名前をショータにする」と言っていましたっけw
「ヘビーウェザー」はライブの「8:30」とともにすばらしいアルバムでした。
ザヴィヌルさんは病気だったとはいえ、10月に来日も予定されていたほどのものだったので、やはり寿命という部分もあったんでしょう。
長期間にわたり、その特異なサウンドで他の追従を許さなかったばかりか、若い有能なミュージシャンを育てたという部分で
マイルスと似た部分を感じていました。
お疲れ様でした、と言いたいです。
(余談)
コンデンサーの取り付け部分を差込のソケットにしたのは素晴らしい(聞き比べのための)アイデアですね。
ネット上でもコンデンサー談義を熱心にしているギタリストのサイトがあります。オークションでも「ヴィンテージ・コンデンサー」の取引があって、賑わっています。
以前も書きましたが、世間で言われていた<ジャコは狂っていた>というのは、ちょっと違っているようで、実際は世間の常識からは多少逸脱した天才肌の人間で、しかもうつ病を発症していた男だったという感じだと思います。
ウェザーではザヴィヌルとショーターの間を音楽的によく取り持ったと思えます。そしてここでは3人がリード楽器になっちゃった。
こんなすごいバンドはそう易々と出てはきませんね、きっと。