バンマスの独り言 (igakun-bass)

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陛下の思いと安部談話

2015年08月17日 | 社会・政治
安倍内閣は戦後70年の首相談話(安倍談話)を閣議決定し発表しました。

多くの日本国民はもとより諸外国の政府関係者・政治家などの人々はこの談話をさぞ注意深く聞いたことでしょう。
そしてその内容に「侵略」「植民地支配」「反省」「おわび」という言葉が入っているか否か・・・大方の興味はここにありました。

僕は安倍晋三を歴代最悪、しかも過去最も危険な政治家と思っているので、その全文をネットから取って注意深く読んでみました。
まずすぐに感じたのはいかにも「官僚の作文だ」ということと「さまざまな力学の合作」であるということでした。

確かに上記4つのキーワードはその脈絡とは関係なしに挿入されてはいました。
しかし安倍自身の心から出た言葉では、やはり、ありませんでした。自身の基盤である極右をなだめ、党内の反対勢力を静めさせる意図がありありで、多方面の力関係を考慮し作文をしたので、最終的には彼の本心が読み取れないきれいごとの談話となりました。

注意すべきは彼自身が4つの言葉を使いたくなかったという「本心」が見え隠れする点でしょう。だってちっとも自身では謝っていないのですから。彼は過去の首相談話を引用する手法で謝るふりをしただけでした。

ただ諸外国に配慮して無難な着地点に落ち着くことを最優先にしたおかげで、中韓両国が振り上げた拳をやんわりと下げさせて、今後に期待、と含みをもたせました。安部談話の目的のある部分は一応成功したとみるべきでしょう。

この談話、アメリカは歓迎しましたがヨーロッパ諸国の反応・評価は意外にも厳しいものでした。
そりゃそうでしょう、彼らは安倍が本当は謝るどころか後ろを向いて舌をだしているのを見透かしているからです。

彼は日本の戦後の平和国家としての歩みに誇りを抱くと言っていますが、これまでそれを実現した「戦後レジーム」に対しては敵意むき出しだったことを考えあわせても、いかにも歴史修正主義的(=自分が新しい歴史を作りたい)な、過去を否定する思考がちらほらと見えて、彼の今日までのかたくな戦後レジームへの思いと今回の談話の間には隠しようもなく大きな矛盾があると思えます。


さて、天皇陛下が70回目の終戦記念日である15日、政府主催の全国戦没者追悼式で「さきの大戦に対する深い反省」に初めて言及されたことについて、アメリカの主要メディアは安倍首相の戦後70年談話とは「対照的」などと報じたようですね。

これはすごく興味深い話でした。

アメリカの通信社ブルームバーグは「天皇、戦争に反省表明、安倍首相と対照的」との見出しで記事を配信し、ニューヨーク・タイムズ(電子版)は「安倍首相の政策に対する静かな反対」との見方が強まると紹介しました。

全米公共ラジオ(電子版)も第二次大戦に関する「前例がない謝罪」であり、安倍首相の談話より踏み込んだもの、と評価したそうです。

僕ごときが陛下の心情をあれこれ想像するのは不謹慎でしょうが、陛下は最近の平和憲法を軽んじ、国民の大きな声をも聞こうとせず、ひたすら自身の信念のおもむくままに突っ走る安倍政権の危うさに危機感を抱かれているのではないかと考えます。

アメリカの報道における「安倍への静かな反対」は実に的を得ている見方であって、今、日本国民の多くが戦前の暗い政治に逆戻りすることへの危惧を感じているように、陛下ご自身もお父上・昭和天皇の苦悩を近くからずっとご覧になってきたお立場から湧き出る痛切な思いを限られた表現範囲の中で精一杯表明されたのだと信じます。

次回の選挙で安倍さんはもういないと確信しはじめました。
そしてすっかり変質してしまった自民党や支持母体からも疑問の声を突き付けられている平和の党:公明党に対しても、自民政治になんの歯止めもかけられないどころか、脇から悪政の協力者となっている事実をもって、彼らに多くの不支持が集まるであろうことが現実のものとなる日が近いと思えるのです。


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