先週の続きになるのだが、ニーチェの思想の中心である「永遠回帰」についての解説がされていたので、自分なりの解釈を記載することにする。
「永遠回帰」のことを「ツェラトゥストラ」で語っている場面では、牧人の口の中にへびがつまって、苦しそうになっているときに、牧人はへびをかみ切って「超人」(前回解説済み)になったということらしいが、ここでいうへびが(ルサンチマンやニヒリズム)を象徴しており、それをかみ切る(克服する)ことにより人生を肯定する超人になれるということらしい。
そう、人生を肯定するということが、なにより大切で、人間の一生はダイヤの指輪のようなもので、丸いリングには下り坂の部分があり、そこはさびているかもわからないが、そこを耐え抜くと上り坂になり、ダイヤのように光り輝く時がくる。(もう既に来ているかも?)
そこから先は、また下り坂になるだろうが、そうした人生全てを「運命」として受け止め、肯定することにより「喜び」がわいてくるという考えがどうも「永遠回帰」であるらしい。
ニーチェには好きな女性ルー・ザロメがいたが、結婚するに至らなかったが、彼女と一緒に散歩することができたことが、「私の人生の中で最も恍惚を持った時間だった」として肯定的に考え、「永遠回帰」というテーマを爆発的なエネルギーで書き記したとのことである。
中島みゆきの歌に「時代」というのがあるが、あそこの歌詞に出てくる、「回る、回るよ、時代は回る。喜び、悲しみ繰り返し、今日は別れた恋人達も生まれ変わって巡り会うよ」(間違っていたらごめんなさい)というのがどうも「永遠回帰」思想を象徴しているらしい。なぜか、前から気になっていたが、この歌詞に惹かれた自分はそういうことを感じていたのかと気づいた次第である。
「恨むのは良くない。喜びを求めて生きよう!」 素晴らしいじゃないか!