5月27日に「知恵泉」で放映の蔦屋重三郎(1750年江戸吉原生まれ)
25歳で本を売り、貸本屋も。その後、本を出版したというが、今日の「TSUTAYA」とは関係なさそう。
まず、作ったのが、吉原細見(ガイドブック)
当時の吉原は2万坪。200軒の大小の店。2000人の遊女でガイドブックが必要。
参考までに、吉原は当時グルメタウンでもあった。
吉原のヒット商品「山屋の豆腐」(当時は風流なおつまみだった)
工夫した点
1 レイアウトを工夫
たて長本にして、通りを中心にして店と遊女を記載、遊女のランクも
2 値段を下げた
3 平賀源内のような著名人に序文を書いてもらった。
次に、狂歌(五七五七七で読まれる川柳のようなもの
例「世の中は色と酒とがかたきなり 早くかたきに巡り会いたい」 )が当時はやっていたが、
自分が狂歌の愛好者になり、
1 一流とつきあえ!
四方赤良(よものあから)らに蔦唐丸(つたのからまる)というペンネームで接する
2 安定した収入源を確保しろ!
今まで、読み捨てだった狂歌を「狂歌集」として出版。
3 組み合わせろ!
独占文字だけの狂歌集に浮世絵を添えて、「狂歌絵本」として大ヒット
また、1787年 松平定信による寛政の改革が始まると蔦屋の本が発禁処分となり、財産の半分を没収されるが、こだわりを貫き、
将来性のある若者を育てた
喜多川歌麿→狂歌絵本の挿絵を任せる
1794年 東洲斎写楽をデビューさせる。
滝沢馬琴(南総里見八犬伝) 十返舎一九(東海道中膝栗毛)を育てる
江戸の文化に革新を起こした。今と言うより、江戸文化の将来を見ていた。
どん底の中でも屈しない精神。愚痴は言わない。反省して前を向く。
人の集まるところに知恵が生まれ、ヒットが生まれる。
ウィキペディアによると、48歳の時、脚気で亡くなったとか。短い人生でも立派な人は多いなあー。