「人間って、死ぬもんなんだよね……」

私が明日、死ぬとわかったら「自分にも相手にも優しくなる」
人間は、いつ死ぬかわからないんだ…みんなに優しくしよう。

「より良い心(マインド)に、変容できる 本」05

2013-06-26 10:49:49 | 気づき



…文庫本(P.260~261)

……略)
脳卒中により、わたしは内なる自分を発見しました。

ほんの少し、考え方や 感じ方を変えるだけで、深い心の安らぎが 得られることに気づいたのです。

安らぎを 体験する といっても、人生が いつも歓喜に満ちあふれている、という意味ではありません。

あわただしい人生の、あたりまえの混乱の中にあっても、心の 歓(よろこび)に 触れることが できるという意味なのです。

多くの人にとっては「考える頭」と「思いやる心」の あいだの距離は、ときとして 遠く離れているように 感じられるでしょう。

ある人は、この距離を 思いのままに横切って進みます。

また ある人は、絶望や 怒りや みじめさに深くとらわれて、心の安らぎなんて 別世界のものです。


左脳マインドを 失った経験から、深い内なる安らぎは、右脳にある 神経学上の回路から 生じるものだと 心の底から信じるようになりました。

この回路は いつでも機能しており、いつでも つなげることができます。


安らぎの感覚は、現在の 瞬間に起こる何かです。

それは 過去を反映したものや、未来を 投影するものではありません。


内なる安らぎを 体験するための 第一歩は、まさに「いま、ここに」いる、という 気になること。


どんなときに、深い心の安らぎの ループが働いているのかに 気づくことができれば、その回路に 意識的に つなげることが容易になります。


(つづく)


「より良い心(マインド)に、変容できる 本」04

2013-06-24 22:51:15 | 気づき



(文庫本) 奇跡の 脳
「脳についての解説」P. 310

…(略)…「感じる」という言葉は 漫然と 使われているので、ここでは、脳内で起きる「感じる」の違いを ハッキリさせたいと 思います。

まず第一に、悲しみ、喜び、怒り、欲求不満、あるいは興奮した「感じ」は、辺緑系の細胞に よって生じる情動が もたらすもの。

第二に、あなたの 手の上で 何かを「感じる」ことは、触ることを 通して 感じる 触覚、あるいは 運動感覚の体験を 意味します。
この種の感じは、
接触の感覚系を 通じて起き、大脳皮質の中心後回に 関係しています。

そして最後に、直感的な感じ ( しばしば「腹の底から湧き起こる感じ」と表現される ) を 理性的な判断と 比べる場合。

この直感という 新たな発見に満ちた知覚は、大脳皮質の 右半球が もとになっている、高いレベルの 認知なのです(「2 右脳と 左脳は ちがう!」で、脳の左右の半球の 働きの ちがいについて、よりくわしく論じています)。

……(略)


「より良い心(マインド)に、変容できる 本」03

2013-06-24 21:49:56 | 気づき



「・・・ 人間とは、考える 生き物だ 」そして「感じたりすることも できる・・・」

…一般人なら、きっと この↑ような判断をしてると思います。

しかし、この (文庫本 - P.309)「脳についての解説」には、下のように記されていて、これを見た 私は、一瞬! あの「天動説 / 地動説」を連想していた……。


…(略)… ですが、外界からの メッセージが 大脳皮質に届いて、高度な思考に 入る前から「これは苦痛だろうか、それとも 喜びかしら?」という具合に、その刺激を どう とらえるかを 感じています。

みなさんの多くは、 人間は 考える生き物だ けれど 感じもするのだと 考えているかも知れませんが、 生物学的には、 わたしたちは 感じる生き物だ けれど考えもするのです。

……(以上)
******* *** *******


…専門的な 知識を持っていない人間の殆どは、子供の頃から、まわりの 大人たちに
「・・・ ものごとを よく考えて、判断しなさい!」などと 言われながら 育ってきました。ですよね ?

しかし、実際は、「・・・ よく感じて、そして よく考えてから 判断し、答を出しなさい!」が、大人としての 正しい表現法 なのですね。

・・・・・ 小(中)学校の先生や ご両親、そして、塾の先生方!

どうぞ「 正しい〝表現〟を、よろしく お願いしま~す!」


( 04 につづく )

MEDITATION the first and last freedom 「マインドは あなたを だませる」02

2013-06-24 08:23:39 | OSHOの講話



(…あなたは エゴに動かされている。)


美しい夢のなかに住むのは、実にたやすい。

夢が 現実によって破られるのを見るのは つらいものだ。

東洋の 古い聖典によれば、それは「マーヤ」の力 と呼ばれている。

マインドには、幻想をつくり出す 催眠力がある。

特定のものを 死に物狂いで 追いかけていれば、その 死に物狂いを止めるために 幻想をつくり出すのだ。

それは マインドの 働きのひとつだ。

それは、毎日 あらゆる人の 夢の中で起きている。

しかし、
人々は 学ぼうとしない。


夜、空腹のまま ベッドに入る。

すると、その夜、すばらしい料理を食べる 夢を見る。

マインドは、眠りが 妨害されないようにしている。

さもなければ、あなたは空腹なので、その空腹感によって 目覚めてしまう。

マインドは、自分の好きな、おいしい料理を食べる 夢を見る。

それはマインドを 満足させる。

空腹は そのままだが 眠りは 妨げられない。

空腹は 夢という幻想で包まれている。

それは、あなたの 眠りを守る。


あるいは、眠りのなかで膀胱が いっぱいなのを感じる。

もしマインドが、「自分はトイレに行って 帰り、再び眠りについた」という 夢をつくり出さなければ、眠りが妨げられる。

睡眠は 体にとって 必要不可欠なものだ。

マインドは、あなたが 何度も邪魔されないように 気を配る。

あなたは 長い睡眠を得て、休むことができ、朝には 若返っている。


これは マインドの 通常の機能だ。

より高次の次元でも、同じことが起こる。

ひとつは、マインドが守る 通常の眠りと 通常の目覚めだ。


道においては、それは特別な 眠りであり、特別な 目覚めだ。

だが、マインドは すでにプログラム化 されている。

それは ただ機械的だ。 何の配慮もなく、たんに その仕事をするだけだ。

マインドには、それが 普通の眠りか 特別な眠りか、普通の目覚めか 特別な目覚めかを調べる すべがない。


マインドにとっては、すべて 同じだ。

その機能は、眠りを 守り、眠りを妨げるものに対して 防波堤を築くことだ。

空腹なら 食料を もたらす。

死に物狂いで真理を 探求すれば 真理をもたらす。 光明をもたらす。

何でも 求めてみるがいい。 そうすれば、それは与える用意が できている。

本物にかわる 幻想を つくり出せる。

これが、
マインドの 本来 備わっている能力だ。


Osho,

MEDITATION the first and last freedom 「マインドは あなたを だませる」01

2013-06-23 22:55:33 | OSHOの講話



「マインドは あなたを だませる」P.429


探求者の陥りがちな パターンがある。
第一に、
多くの探求者が「自分は 辿り着いた」という幻想的な 感覚のなかで、自己を 見失う。

それは、夢のなかで 自分が目覚めている と 感じるようなものだ。

あなたは、まだ夢見ている。
「目覚めている」という感覚は 夢の一部だ。

同じことが 探求者にも起こる。


マインドは、「いまや、辿り着いた。どこへも行くところはない」という幻想を つくり出せる。

マインドは ぺてん師だ。

そして、このような状態にいる者に対して 師(マスター)が することは、「辿り着いた という感覚は 現実ではなく、たんなる夢に すぎない」ということを 彼に(気づかせて) 目覚めさせることだ。



これは、さまざまな 地点(ポイント)で 何度も起こる。

そして、人は 師によって非常に いらだたされ、悩まされる。

というのも、「それ を得た」 と 感じると、師は すぐさま放り捨て、自分を再び「無知」の状態に 戻してしまうからだ。



それは、ひとりのドイツ人の弟子に 何度も起こりつづけた。

彼は 光明を得た と感じる。 そして幻想の力というのは 大したもので、彼は それを内密にできず 他人に話してしまう。

彼は まったく確信していた。
これは、いままでに 三度起こった。

そして その確信ゆえに、彼は 私の祝福を得るために インドに来るのだった。

それは 彼の確信ぶりを物語る。

彼は 私の祝福を受けるために やってくる。



その度に、私は言わねば ならなかった。
「あなたは マインドに だまされているだけで、何も起こっていない。古い人間に すぎない。
新しい人間は まだ到着していない。
そして、あなたの行為ーーー国連や他国の 政府に手紙を 書いたりすることーーーは すべてたんなる エゴ・トリップに すぎない。
あなたは エゴに 動かされている」。


(02に つづく)