(…行くところがどこにもないーーー。)
あなたは 最終的な目的地に たどり着いてしまった。
しかも、旅の途上で あなたは いっさいのものを失っている。
あなたは すべてのものを 失わざるをえなかった。
だから、
あなたは最終的な目的地に 裸で立って、ただ馬鹿のように あたりを見まわすことになるーーー
ーーーいったい 何のために ここに来たのだろう?
私は 懸命に急いでいたし、真剣に悩んでいた。
なのに、このありさまだ。
私は、ラビンドラナートの ある物語について 語ったことがある。
それは歌だ。物語は 歌で語られている。
「私は 何世紀にもわたり 神を探し求めてきた。
かつて神は 月の近くに おられたが、私が そこに行き着くと どこか別の星へ 行ってしまわれた。
別の星で 見かけたこともあったが、私が そこに行き着く頃には またもや行ってしまわれた。
こうしたことが 延々と続いたけれど、神が かならず どこかにおられ、いつかは お会いできるのだと思うと、私は嬉しくて しかたがなかった。
神も いつまで隠れていらっしゃれるだろう?
いつまで 逃げていらっしゃれるだろう?
そして ある日、ついに私は〝神の館〟という 表札のかかった家に たどり着いた。
私は、我が天命は 成就されたと 安堵のため息をついた。
だが、
階段を昇り、扉を たたこうとした ちょうどそのとき、私は突然 気がついた。
待てよ、少し考えるんだ!
もしも 神が出てきて 扉を開けたら どうする?
おまえは次に 何をするつもりだ?
おまえの 全生涯は 旅、巡礼、探索、探求だった。
おまえは久遠の過去から 走者(ランナー)として訓練を積んできた。
ところが、不意に 神に出くわしても 何も言うことがない。
おまえは いったい何を言うつもりだ?」
考えてみたことは ないだろうか?
偶然、神に出会っても、あなたには 何も言うことがなく、神にも 何も言うことがない。
あなたは 無用に精力を使い果して、こと切れる。
最終的な目的地とは、究極の死だ。
一休が「最終的な目的地もなく、いかなる価値もない……」と言うとき、彼は正しい。
すべては、ただ楽しみ、踊り、歌われるべきものだ。
だが、価値を問うてはいけない。
何が美徳で、何が善かを 尋ねてはいけない。
あらゆることを 楽しみなさい。
生は どこで終わることもなく、旅は 続き、キャラバンは続く。
そのことを よく心して、様々な 巡礼を続けるがいい。
道が途絶える ところはない。
(つづく)