goo blog サービス終了のお知らせ 

「人間って、死ぬもんなんだよね……」

私が明日、死ぬとわかったら「自分にも相手にも優しくなる」
人間は、いつ死ぬかわからないんだ…みんなに優しくしよう。

臨済録 by OSHO「第七話 不動の 全一さ」06

2013-05-29 18:34:55 | OSHOの講話



(…禅は 勝利や敗北には 何の注意も払わない。
どちらも無意味だ。
意味があるのは 内発性だ。
内発的な人が敗北し、勝者が 無心でない場合もありうる。
禅の見地では、敗者の方が 高い境地にいることになる )

そういうことが 昔にあった。

禅の サムライ、禅の武士が戦場から 早々に帰宅すると、下男が妻と密通していた。
禅者として、その男は 下男に言った。

「心配するな、ことを すませるがいい。 私は 外で待っている。
おまえは剣を手にして、私と戦わねばならぬ。
ことが どうなろうと、少しもかまわない。
私は 外で待っているぞ」

哀れな下男は 震えはじめた。
彼は 剣の 握り方さえ知らないのに、主人は 有名な武士だった。

彼は下男の首を 一刀のもとに 切り捨ててしまうだろう。

そこで、下男は 裏口から逃げ出して、その武士の師でもある 禅師のもとへ駆け込んだ。

下男は 禅師に言った。
「困ったことになりました。
すべて 私の落度です。
ですが、ともかく こうなってしまったのです」

禅師は 男の話を聞いて 言った。
「心配する必要はない。
おまえに 剣の握り方を 教えてやろう。
それに おまえの主人が優れた武士だとしても関係ない。

肝心なのは、ただ臨機応変に振る舞うことだ。
無心に振る舞えば、おまえの方が 上だ。
どうやら彼は、この下男が生き延びる余地はない、猫が鼠を 弄ぶようなものだ と 自惚れているようだからな」

「だから、心配しなくてもいい。
全力を上げて彼を 強く打つのだ。
これは おまえが生き延び、救われる 唯一のチャンスなのだから。
だから、半身では いけない。

もしかすると 許してもらえるかもしれない と考えて、手加減しては いけない。
彼は絶対に おまえを許すまい。
おまえは彼と 戦わねばならない。

おまえは 彼を挑発し、激怒させてしまった。
だが、問題は何もない。
私の見るかぎりでは、おまえの勝利に 終わるだろう」


(つづく)

…(おっちゃんの)「 こだわり…& … 突っ込み…」(言葉づかい)

2013-05-28 11:46:00 | 日記



【胸に 手を当ててーーー考える?】

… ↑ 読んでいる人のなかには、「ーーー考えている人」&『ーーー感じている人』が、居ると思う けど……。

…【考える】のは、頭 なんだよね?

…【胸は】(heartで) 感じる スペース なのだ と思い出してね~!


だから、こう理解できる『(胸) ハートに 手を添えてーーー感じる』

…今の 自分のまわりに、起きている問題に “決着″を つけるのには、胸に手を当てて【決 頭】はないだろ…?

やはり【…決心!をする】が、ピッタリ! 正解 だね。
…もちろん、最後の 決心に到るまでは、じっくりと【頭で】熟考してくれ……。

*** *** ***

もうひとつ、【 四 合わせ 】幸福。

(私見だから…ね)
【 真、善(愛)、美、自由 】この四つ(どれでもいい) を 【しあわせ】なんだと、おっちゃんは 理解している。

…↑四つの 共通点は「目には 見えない」。

幸福(しあわせ)自体が、「目に見えないもの」だから、当然! のことなのだ。けどーーー、
…どうだろう?
『目に見える物』(外側)に、焦点を合わせて「しあわせ だ!」って、やってないかな?

食卓テーブルに、“大好物″が 有って、食べてから『…し あ わ せ~!』って 言ってない?
恋人から、プレゼントを もらったとき、『しあわせ~!』と 言ったこと あるんじゃない?

…↑これらは、『うれしい~!』、満足/喜び なんだよ…ね?


なにが言いたいのかーーー外側の物(人間も)は、きっかけだ と言いたい。

「(とにかく) 結婚したら、しあわせになる…」
ではなくて、
「愛する人と 結婚できたら、しあわせになる」だよね。

これに、突っ込みを 入れたら、愛する 人 の【人も、きっかけ】ではないかな????

*** *** ***

…外側の 目に見える物が、しあわせ!だと思い込んで、追いかけて 追いかけて、失望した人に、聞きたい。

…自分の内側を 探したことある…かな?


メーテルリンクの「青 い 鳥」を 読んだことあるよね?

ーーー 青い鳥を、チルチルと妹の ミチルが、隣のお婆さんによく似た 魔法使い ベリリウンヌから「探しにいってほしい…」と頼まれるーーー。

…光の精が、おとも (猫、砂糖、火、犬、水、パンの精、たち) の 引率者になり、思い出の国、夜の御殿(夢の花園、森、おとぎの花園)、魔法の花園、未来の国、という【外側】に 青い鳥を 探しに行ったけどーーー見つけることができずに 結局、【内側】自分の家に、元々 飼っていた鳥が、青い鳥だったーーー。

…という(深遠なる)この 話をもう一度、読んでほしいと 感じて、ここに書きました。

*** *** ***

どうやら…人間、として 成長するには、“人生劇場″ に、何らかの “ハードル″ が なければ、ならないようだ、何ごとも、必然だ という言い方が いいかな……。

ーーーありがとうございます。

OSHO Zen TAROT「SILENCE」[沈黙]

2013-05-27 18:19:49 | 気づき



(解説文)
…満月の、満天に 星の輝く夜、その沈黙した 鏡のような受容性が、霧の立ちこめた下の湖に映っています。
深い瞑想に入っている 空の顔は、深み、平和、そして 理解をもたらす 夜の女神です。

******* ******* *******

今は まさに貴重な時です。
内側で 休むこと、自分の 内なる沈黙の深みを 宇宙の沈黙と出会うポイントまで 垂直に下ろしていくことは、あなたにとって簡単なことでしょう。

******* ******* *******

することは なにもなく、行くところもなく、あなたの 内なる沈黙の質は あなたがする すべてのことに浸透しています。
それが、ある人たちを 落ち着かなくさせることも きっとあるでしょう。
その人たちは 世間のあらゆる雑音や活動に 慣れてしまっているからです。

気にすることはありません。
あなたの沈黙と 響き合うことのできる人たちを探すか、あるいは、独りあることを 楽しめばいいのです。

今こそ あなた自身に帰る時です。
こうした瞬間に あなたのところに やって来る理解と洞察は、後になって、あなたの生が もっと外に向かっている時期に、形として 現れて来ます。

******* ******* *******


(講話より…)

…全体なるものの エネルギーが、あなたを乗っ取っている。

あなたは 乗っ取られているのだ。

もはや あなたはなく、全体がある。

この瞬間、沈黙が あなたに浸透していくにつれて、あなたは その沈黙の意義を 理解できるようになる。
というのも、
それは ゴータマ・ブッダが 体験したのと同じ沈黙だからだ。

それは 同じ沈黙だ。

荘子や ボーディダルマや 南泉がーーーーーー。

その沈黙の 味は同じだ。

時代は変わる、世界は 変化しつづける。

だが、沈黙の体験、その喜びは 変わらず同じままだ。

それこそが 頼りになる 唯一のもの、けっして死ぬことのない 唯一のものだ。

それこそが、あなたの実存そのものと 言っていい 唯一の ものだ。

Osho,

臨済録 by OSHO「第七話 不動の 全一さ」05

2013-05-27 16:26:45 | OSHOの講話



【 金牛は わざと倒れてみせた。臨済は 再び打った。】



さて、この一撃は 金牛の “わざと″ に 対してだ ーーー この仕草だけでなく、金牛の 生涯すべてが 見せかけだ。
彼は 師(マスター) ではないのに、師のふりをしてきた。


【 金牛は言った。
「今日は 運が悪い」】

これは 理解している人の 応答ではない。
彼は まだ “運″ の見地で 考えている。

臨済の 振る舞いの意味を 理解していない。

彼は 責任を転嫁している。

世間の すべての人と 同じように、宿命、神の意思、手相、出生図など、ありとあらゆる馬鹿げたものを 口実にして、「しかたがない、今日は運が悪いのだ」と。

実のところ、臨済は やり過ぎたくらいだ。
金牛に 何度も何度も 理解する機会を与えたーーーそれは金牛の 生涯にとって最良の日だったことだろう。


招いてもいないのに、ひとりの師(マスター)が わざわざ山から 金牛の僧院に下りてきて、彼を 目覚めさせようとした。
だが、
彼は “運″ の 良し悪しを 考えている……。



【その後、イ山(イサン)が 仰山(キョウザン)に尋ねた。
「この二人の やりとり、勝負は あったのだろうか?」】


これは 禅において 何世紀にもわたって 問われてきた。
「あの日、何が起こったのか?
どちらが勝ち、どちらが 負けたのか?」


【その後、イ山が 仰山に尋ねた】ーーー二人は ともに偉大な 禅師だ。

【「この二人のやりとり、勝負はあったのだろうか?」
仰山は言った。
「勝つときは 無心に勝ち、負けるときには 無心に負ける」】


これはひじょうに 深遠な声明だ。

つまり、勝つか負けるかという問題は 無意味だ ということだ。

肝心なのは、何が起ころうとも 無心であること、内発的であるべきだという点だ。

内発的に 敗者であることには、勝者であるのと 同じくらいの価値がある。

真の価値は 内発性に、無心である ことにある。


しくじっても、それは自然の 贈り物だ。
自分の失敗を 喜んで受け容れる。

誰にも わからない。
暗い夜でさえ 美しい夜明けに変わるかもしれない。

どちらが勝ち、どちらが 負けたか、評価を 下しはじめるべきではない。

禅の出会いにおいては、何が 起ころうと 両者ともに内発的でありつづけるべきだ。
価値は 内発性にある。

禅は 勝利というものには まったく価値を認めない。


勝利は 闘争の世界、条件をともなう世界、欲望をともなう世界の 一部だ。

禅は 勝利や 敗北には 何の注意も払わない。
どちらも 無意味だ。

意味があるのは 内発性だ。

内発的な人が 敗北し、勝者が 無心でない場合もありうる。
禅の 見地では、
敗者の方が 高い境地に いることになる。


(つづく)