「人間って、死ぬもんなんだよね……」

私が明日、死ぬとわかったら「自分にも相手にも優しくなる」
人間は、いつ死ぬかわからないんだ…みんなに優しくしよう。

【第八話 心地の法】11

2013-06-13 21:50:14 | OSHOの講話



(…〈信頼〉を、自分は ひとりのブッダになる定めだ という〈信頼〉を、あなたがたの内側につくり出すことだ。)


一休は書いているーーー

【このメッセージを 高めようと低めようと

天下の万物は 帝(ミカド)の領土だ

私は 挨拶をして言う

「そうであれ・・・・・そうであれ」】



これは〈存在〉との 全面的なくつろぎを 別の形で 述べたものだ。
〝手放し(レット・ゴー)〟の 別の表現、〝真如(サッチネス)〟〝これ(ディスネス)〟〝在ること(イズネス)〟の 別の表現だ。


彼は言っている。
「このメッセージを 高めようと低めようと、天下の万物は 帝の領土だ。

私は 挨拶をして言う、『そうであれ・・・・・そうであれ』何が 起ころうと、私のゆるがぬ決意、私のゆるがぬ立場は こうだーーー起こることは すべて良い、そうであれ」


ときには、何かが 不運に見えることが あるかもしれないーーーだが、それでも 一休は正しい。

祝福は 何度も姿を変えてやって来る。

そして、不運ですら 喜びに満ちて 受け容れる用意のある者たちーーー彼らは、その不運を 喜びに変容させる。

少しも 抗(アラガ)わずに、それらを ただ受け容れること、それが 不運を 美しいスペースに 変容させる方法だ。


【 そうであれ 】


何が起ころう、わずかの恨みも 抱いてはいけない。

〈存在〉に対して わずかの不平も こぼしてはいけない!

それが 禅の もっとも純粋な メッセージだ。


(つづく)

【第八話 心地の法】10

2013-06-13 07:07:55 | OSHOの講話



自分のまわりに 生きた火をつくり出さないかぎり、すべての 偉大な師(マスター)は 忘れ去られてしまう。

ひとりの師が 忘れ去られただけでも、人類は 多大な損失をこうむる。

数知れぬ神秘家たちがいたが、彼らの名前すら 忘れられている。



アナンドは、私が話した すべての神秘家についての本を編集している。
彼女は コールマン・バーク教授に そのことを話した。
彼は ひじょうに興味をそそられ、自分でも その本を出版したがった。

だが、彼は言った。
「和尚は どこでこの 三百人を見つけたのですか?
こんな名前は 聞いたこともありませんーーー三百人の覚者たちとは!」



彼は去ったが、もしここに残っていたら、私は こう伝えていただろう。

私は まだ生きているのだから、少なくとも あと二百人については話すつもりだ、と。

まだまだ多くの者たちがいる。

だが、彼らは その名前すら忘れられている。



あなたがたは、人類の 大多数に忘れ去られた人々と その経文(スートラ)に 耳を傾けている。

私の努力は、人類の意識の この黄金の最高峰を ひとつ残らず蘇らせることにある。
「これほど多くの人々が 光明を得たのだから、この私が 光明を得られないはずがない」と信頼できるように。


私が これらの人々について 話すねらいは ただひとつーーー自分自身に対する〈信頼〉をーーー自分は ひとりのブッダになる定めだ という〈信頼〉を、あなたがたの 内側につくり出すことだ。


(つづく)