「人間って、死ぬもんなんだよね……」

私が明日、死ぬとわかったら「自分にも相手にも優しくなる」
人間は、いつ死ぬかわからないんだ…みんなに優しくしよう。

生涯を 幸せに過ごした、スーフィの神秘家「アブドゥラー」

2013-06-18 15:48:07 | 気づき


【シンプル is ベスト】
あなたへの質問 (二者択一)
「あなたは、この地球に〝成長〟するために 生まれてきたと感じますか?」

【イエス!】*?*?*?*?*【ノー!】

イエスの人は…
*** ↓





*** ↓





*** ↓

イエスの あなたに質問、二者択一です、どちらかを選んで下さい。
「あなたは、だまされる人に なりたいですか? *** だます人に なりたいのですか?」

【だまされる人】を選んだ人は…↓
*** ↓


*** ↓


*** ↓

最後の質問
…あなたは「幸せに なりたいですか?」

【イエス!】 *?*?*?* 【ノー!】

【イエス】を選ばれた方へ
…最初だけ、ほんの少し努力すれば「幸せになれます!」



(MEDITATION The First and Last Freebom より転載)

「アブドゥラー」

生涯を 幸せに過ごした、あるスーフィの神秘家がいた。

彼が不幸なのを 見た者はいなかった。

彼は つねに笑っていた。 笑いそのものだった。

彼の全存在が 祝祭の香り、喜びの香りだった。

晩年、彼が死んでゆくときに 弟子が尋ねた。
彼は、死の床でも、死を楽しみ、呵呵大笑していた。

「あなたは 不思議な方です。
いまにも死のうとしているのに、なぜ笑っていらっしゃるのですか?
いったい 何がそんなに おかしいのですか?

私たちは とても悲しんでいます。
いままで、なぜあなたが けっして悲しまないのか 何度も尋ねたいと思ってきました。
もう死が そこまで来ている というのに、せめて こんな時ぐらいは、人は 悲しんでもよいでしょう。

それなのに あなたは まだ笑いつづけている!
どうして、そんなことができるのですか 」


すると、老人は言った。

「それは簡単だ。 私も師匠に 聞いたことがある。

ひとりの若者として 師のもとにいたとき、たった 十七歳なのに、私はすでに 苦しんでいた。

師は 七十歳の老人なのに、ただ わけもなく笑いながら 樹の下に坐っていた。
他には 誰もおらず、何かが 起きたわけでもなく、誰も 冗談を言ったわけでもない。

それなのに、師匠は腹をかかえて 大笑いしていた。

私は尋ねた、『どうしたのです、気でも狂ったのですか?』

すると、彼は 言った。
『ある日、私もまた 同じように悲しかった。
だが、そのとき、これは 自分の選択であり、自分の生だ ということを、さとったのだ』


その日以来、毎朝 起きて最初に決めることは・・・・・・眼を開く前に 自分にこう言うのだ。

『 アブドゥラー ーーー( これは私の名前だ )ーーー 何が望みか。苦悩か 至福か。 今日は どちらを選ぶのか 』

そして、私は いつも至福を 選んでいる というわけだ」



それは ひとつの選択だ。 試してみるがいい。

朝、もう眠りは去ったと わかったら、自分自身に 尋ねるのだ。

「 (アブドゥラー)よ、また新しい日だ!

どうする、おまえが選ぶのは みじめな苦悩か 至福か?」

そして、誰が わざわざ みじめな苦悩を選ぶだろう。 何のために?
それは まったく不自然だ、苦悩のなかに 至福を感じないかぎりは。

だが、そのときですらーーー苦悩を 喜ぶという 選択をしているわけだからーーーあなたは、苦悩ではなく、喜びを 選んでいることになる。


Osho,