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古い諺に
「音楽家が完璧になると 楽器を捨てる」とあるのはそのためだ。
今や、彼の声そのもの、存在そのものが 音楽を奏でる。
今や、彼を取り巻く 空気そのものが音楽だ。
そして射手が 完璧になると、彼の 不動の全一さは、鳥の群れや 動物の群れを見つめるとき、ほとんど殺人光線のようなものになる。
師は 言った。
「戻って、このポイントから 学び直すがいい。
的は的ではない。
おまえ自身が 的なのだ。
全一に なるがいいーーーもし わしが生きていたら、五年後に おまえを訪ね、印可を与えてもよいか どうか確かめよう。
あるいは、わしが死んでいたら、わしの息子が 行くだろう。
あいつも わしと同じくらい 腕の立つ達人じゃ。
おまえは あいつを見分けられるだろう。
わしが 眼を使ってやれることは、すべて あいつにもできるからな」
五年後に 老人はやって来た。
若者は五年間、全一で あろうと必死に努力して、それを成し遂げていた。
老人は尋ねた。
「おまえの弓矢は どこにある?」
若者は言った。
「たしか、今から二年前のことだった と思いますが、何世紀も 過ぎたように思えます。
そのとき以来、私は 弓も矢も 目にしたことがありません。
今、私はあなたと 同じことがやれます」
老人は吟味もせずに、その場で 彼を認めて こう言った。
「おまえの眼に、不動の全一性を 見て取れる。
おまえの身体に、内から生まれた くつろぎを 見て取れる。
王の もとへ行き、老人が認めてくれた と告げるがいい。
ただおまえに 印可を与えるために、わしは山から 下りてきたのじゃ」
禅は、あらゆるものに 新しい価値をもたらす。
それは 生を放棄する宗教ではない。
それは生を 変容させる宗教だ。
禅は あらゆるものを 変容させ、何ものも 否定しない。
だが、
ひとつのことを 覚えておかねばならない。
無心で あること、全一性、作為の ないことだーーーそれは 奇妙な価値観だ。
というのも、どんな宗教も それについては語らないからだ。
だが、それらは 自らの 実存を変容させる錬金術を あなたに授ける 真正な価値だ。
(つづく)