「人間って、死ぬもんなんだよね……」

私が明日、死ぬとわかったら「自分にも相手にも優しくなる」
人間は、いつ死ぬかわからないんだ…みんなに優しくしよう。

ディヤン-スートラ (瞑想の道) 第一章 11

2013-02-28 21:49:49 | OSHOの講話
(…決意を強固にする手法を理解しよう。
そのやり方はこうだーーー)

まず、ゆっくり深呼吸する。
できるだけ深く自分を満たし、肺を満たす。

最大限に 息を吸い込んだら、「わたしは瞑想を体験する」という思いを保ち続け、この言葉を繰り返す。
そして 息を吐き出す。

ある時点で、これ以上 吐き出す空気はないと感じるだろう。
だが、空気はあるーーーそれも 吐きだし、言葉を 繰り返しなさい。

今度は、もう空気は まったく残っていないと感じるだろうーーーでも、まだある。
吐きだしなさい。
恐れては いけないーーーあなたは、決して 完全に吐き出すことはない。
だから これ以上 息は残っていないと感じても、常にあるーーー吐きだそうと努めなさい。

できるかぎり徹底的に 吐きだし、「わたしは瞑想を体験する」 と繰り返し続けるのだ。


それは 奇妙な現象だーーーそれを通して、思考の過程は 無意識のマインドに きっかけをつくる。
強い決意が生まれ、明日には早くも その成果を理解するだろう。
だから、決意を 非常に強固にすることだ。

今晩 この場所を去る前に、実験を始めよう。
あなたは それを五回 繰り返すことになる。
つまり 五回 息を吸い込み、吐きだし、内側で 思いを 五回繰り返す。

心臓に 問題がある人、もしくは そのほかの問題があったら、一生懸命やらないように、穏やかにやりなさい。
できるだけ やさしく行いなさい。
具合を悪くすることはない。


わたしは 体験すべき意志について話した。
この三日間、毎晩 寝る前にそれを実践しなさい。
ベッドに 横たわり、次第に眠りに 落ちていきながら言葉を繰り返す。
この過程に従って 精一杯励んだら、あなたの声は 無意識に届く。
成果は 簡単にあがり、間違えようもない。

今日は、こうした いくつかのことについて話したかった。
あなたは、すでに比較的重要な要点を 理解してくれたことと思う。
言ったとおり。
話は ご法度だ。

自然と 新聞を読まなくなり、ラジオを 聞かなくなるだろう。
それもまた 一種の話なのだから。


わたしは、あなたが沈黙して独りになると言ったが……これは、できるだけ 人と一緒にいるのを避けるという意味だ。
ここに わたしたちが集まるときや、食べるとき以外……だが、そのときも あなたは静かになり、沈黙することになる。

まるで あなたが そこにいないかのように、完全な沈黙があるべきだ。
ここへ 瞑想に来るときも、沈黙して来ることだ。
沈黙の 三日間の成果が わかるだろう。

道を 歩くときは 静かにーーー座ったり、立ったり、動き回ったりするときも 静かにすること。
そして、たいていは独りでいるようにしなさい。
美しい場所を選び、そこに
静かに座りなさい。
もし 誰かが あなたとともにいたら、その人たちも 静かに座っていることだーーー話してはいけない。
さもなければ 山も、その美しさも 無駄になる。
あなたは目の前にあるものを 見ない。
話で すべてをぶち壊してしまうだろう。

独りで ありなさい。


わたしは、どの人にも重要な いくつかのことに触れたかった。
内側に 渇きがないなら、また この渇きを 目覚めさせるすべがないように思えたら、明日 それについて わたしに話しなさい。
自分に あまり望みを持っていなかったり、見込みがあるとは 思えなかったり、または 決意を強固にするのが 難しいと感じたり、瞑想するのは無理だと 感じていたら 教えてほしい。

明日 あなたは、これからの三日間に 直面するであろう困難について、わたしに 質問することができる。
そうすれば、後で時間を無駄にしなくて済む

自分を 瞑想から阻む 個人的な問題や、痛みや、悲しみを抱えていて、それから解放されたいなら、または 瞑想中に 困難に遭遇したら、個別に質問できるということを思い出しなさい。
その質問は 全員には当てはまらないだろう。
それは あなた個人のためのものであり、あなたは 別の手順に従うことになる。

だから どんな問題を抱えていようと、これからの三日間に 備えるため、明日の朝には はっきりさせておくように。

わたしは こうしたいくつかのことを言っておきたかった。


視点を 一点に定めつづけなさい。
そして 明日から為すべきことを開始し、明日から 本当のワークを 始めよう。


さあ、お互いに 少し離れて座りなさいーーーホールは 充分大きいから、みな広がれるだろう。
ここを 立ち去る前に 決意を固めよう。

……ごく ゆっくり、ゆっくりと、あまり とぎれとぎれに ならないように、肺を 完全に満たしていきなさい。

肺を いっぱいにしたら、「わたしは瞑想を体験する」 と 自分に向けて 繰り返す。
この言葉を 繰り返しなさい。

そして 肺が 最大限に満たされたら、しばらく息を止め、言葉を繰り返す。

いらいらするかもしれない。
吐き出したい と思うだろう。
だが 息を止め続け、言葉を繰り返しなさい。

次に 再び言葉を繰り返しながら、ゆっくり 吐き出しはじめる。
空っぽだと 感じるまで 吐き出し続けなさい。
吐き出し…、言葉を繰り返し続けなさい。

完全に 空っぽだと感じたら、この空虚さを保つ。
まだ息を 吸ってはいけない。
できるだけ長く 言葉を繰り返しなさい。

それから ゆっくりと 息を吸い込みはじめる。

一回 息を吸い込み、一回 息を吐き出す。これで ワンラウンドだ。

みな この手順に ゆっくり、段階的に従うこと。


これを 五回 行ったら、背筋を 真っ直ぐに伸ばし、ゆっくり呼吸し、五分間 静かに座って リラックスする。

このエクササイズを 十分間行う。
それから 全員この場を 静かに立ち去ることになる。

覚えておきなさい。
あなたは 話さないことになっている。いまからだ。

その意味では、瞑想キャンプは まさにいまから始まる。
眠りにつくとき、このエクササイズを 五回から七回、自分にとって いいと思えるだけ繰り返しなさい。
それから明かりを消して眠る。
「わたしは沈黙する。これが わたしの目的だ」と考えながら眠りに落ちなさい。
すると 眠りが あなたを包み込むとき、この思いは あなたと ともにある。


このエクササイズを 五回終えたら、しばらく静かに休み、穏やかに 呼吸しなさい。
今度は、背筋を真っ直ぐにする。
体の力を 緩めなさい。
背筋は伸び、体は くつろいでいる。
目を 閉じなさい。
静かに深呼吸して、わたしが言うように 五回言う。
「わたしは沈黙を体験する。瞑想を体験する。わたしは瞑想を体験すると決めた」。

あなたの 全存在に、瞑想へと入っていくのだ と誓わせなさい。
あなたの 全存在に その言葉を 響き渡らせなさい。
これは 意識の もっとも深い層に 達するはずだ。

これを五回行ったら、ごく穏やかに、くつろいで座る。
背筋を伸ばし、呼吸の速度を 落としなさい。
ゆっくり吐き出し、呼吸を 見守り続ける。五分間 休みなさい。
この 休止の間、あなたが固めた決意は 内側深くに 沈んでいく。
五回、決意をしなさい。
そして静かに座り、五分間 呼吸を見守り、ゆっくり呼吸しなさい。


(第一章、おわり。 次の、第二章「身体から始めなさい」に つづく…)

ディヤン-スートラ (瞑想の道) 第一章 10

2013-02-27 23:39:11 | OSHOの講話
(…エクササイズを教えよう。ここでも、夜眠る前にも、わたしたちはこのエクササイズをすることになるだろう。)

完全に 息を吐きだし、吸わないでいたら 何が起こるだろう?

わたしが 完全に息を吐き切り、鼻を つまんで塞ぎ、息を 吸い込まないでいたら 何が起こるだろう?
まもなく、わたしの存在全体は 息を吸い込もうと あがく。

体のあらゆる毛穴や 数百万の細胞は、空気を求めて 叫ぶのではないだろうか?
息を 長く止めようと すればするほど、呼吸への渇望は 無意識のマインドに 深く浸透していく。
息を止めるのが 長ければ長いほど、わたしの存在の 最奥の箇所は 空気を求めようとするだろう。

そして 最後の瞬間まで持ちこたえると、わたしの 全存在が空気を要求する。

もはや それは、単純な欲求ではない。影響を受けるのは 表層だけではない。

いまや、それは生死に関わる問題だーーーいま、より深い層、奥底の層も、もっと多くの 空気を求めはじめる。

全存在が 空気に飢える状態に至った瞬間、「わたしは 瞑想を体験する」と 繰り返すのだ。

命が 空気を求めている その瞬間、「わたしは 沈黙の境地へ入っていく。これはわたしの 決意だーーーわたしは瞑想を体験する」という思いを 繰り返す。

マインドは、この状態で この思いを 繰り返さなければならないーーー身体(からだ)は 空気を求め…マインドは この思いを繰り返す。
空気への 要求が強ければ強いほど、決意は内側へ さらに深く入っていく。
そして
全存在が もがきながら この言葉を繰り返すと、決意の強さは 数倍に高まるだろう。

このようにして、それは 無意識のマインドに 達する。


あなたは 毎日、日々の瞑想の前に この決意を固め、夜 寝る前も そうすることになるだろう。
この言葉を 繰り返してから 眠りなさい。
眠りに落ちていくとき、その瞬間にも「わたしは瞑想を体験する。これは わたしの決意だーーーわたしは沈黙へと入っていく」という言葉を、絶えずマインドに 鳴り響かせなさい。

自分が いつ眠りに落ちたのか 気づきもしないくらい、この決意は 絶えずマインドに鳴り響いていなければならない。

睡眠中は 意識的なマインドが休止し、無意識的なマインドの 扉が開く。
意識的なマインドが 休止しているあいだ、マインドが この思いを繰り返すと、それは 半意識的なマインドに 入っていくことができる。
やがて、あなたは 意義ある変化を見るだろうーーーこの三日のうちにも 見るだろう。

では 早速、決意を強固にする手法を 理解しよう。


その やり方は こうだーーーまず、ゆっくり深呼吸する。


(つづく)

ディヤン-スートラ (瞑想の道) 第一章 09

2013-02-27 22:29:21 | OSHOの講話

要約すると わたしが言いたいのは、この三日間、あなたが 徹底的に内側に向かい、瞑想し、沈黙へと 入っていくよう努めることだ。

この旅では、非常に強固な決意が必要だ。

あらゆる思考の過程が生じる意識的なマインドは、ほんの一部にすぎない。
マインドの ほかの部分はさらに奥が深い。

もし マインドを 十の部分に分けると、意識的なマインドは 一箇所だけだろう。
ほかの 九箇所は 無意識的なマインドだ。

わたしたちの 思考や推論は、一箇所でしか 起こらない。
しかし 脳のほかの部分は、このことに気づいていない。
瞑想しよう、究極の至福であるサマーデイに入ろうと 意識的な決意をしても、脳の大部分は この決意に気づかないでいる。

この 無意識の部分は、この決意に関して わたしたちを援助してくれない。
だが、その援助を得なければ 成功は不可能だ。

援助を得るためには、断固とした 意識的な 努力が必要となる。

では、どうやって この意識的な努力をするかを説明しよう。


目覚めるときは、決意とともに目覚めなさい。
そして 夜 眠りに就き、ベッドに横たわったら、五分間 決意を思い返し、眠りに落ちていくときに 繰り返すのだ。

この、意志を 強固にする エクササイズについて 説明したい。
そうすれば、ここでも 普段の生活でも 実践できるだだろう。

説明したように、この決意とともに あなたのマインド全体は、意識的なものも 無意識的なものも、両方とも こう決意する。
「わたしは沈黙する、わたしは瞑想を 体験すると決めた」


ゴータマ-ブッダが 光明を得た夜、彼は 菩提樹の下に座って 言った。
「わたしは 光明を得るまで、この場所から 立ち上がるまい」

あなたは「でも、どんな関係があるというのだ? 立ち上がらないことが 光明を得ることを、どう助けるというのか?」と思うかもしれない。

しかし、「わたしは……すまい」という決意は 全身に広がっていくーーーそして彼は、光明を得るまで立ち上がらなかった!
驚くことに、まさに その夜、彼は 光明を得た。

彼は 六年間 試みてきたが、以前は これほどの強烈さを 抱いたことは なかった。


決意を 強固なものにするための、ちょっとしたエクササイズを 教えよう。

ここでも、夜 眠る前にも、わたしたちは このエクササイズをすることになるだろう。

(つづく)

ディヤン-スートラ (瞑想の道) 第一章 08

2013-02-26 23:59:49 | OSHOの講話
(…ここに居るときも、ここを離れていくときも、独りでありなさい。)

ほとんどの時間を 沈黙して過ごしなさい。
話してはいけない。
しかし 単に話をやめるだけでは充分ではない。
内側で続く 絶え間無いお喋りを止めるためにも、意識的に努力する必要がある。

あなたは 自分に向かって話し、自分に対して答えているーーー静かになり、それも 落としてしまいなさい。

この 内側のお喋りを止めるのが 難しかったら、きつく自分に この騒音を止めるよう、言い渡しなさい。
その騒音が 嫌いなのだと言いなさい。


あなたの 内なる自己に語りかけなさい。
自分に 示唆を与えるのは、瞑想者として重要なことだ。

ときどき これを試してごらん。
どこかに 独りで座り、マインドに お喋りをやめなさいと言い、自分は それが嫌いなのだと言う。

すると 一瞬、内側のお喋りがやむ。
そうと わかったら、あなたは 驚くだろう。


三日間 話さないよう、自分に 示唆を与えなさい
三日のうちに 違いに気づくだろう……徐々に、ゆっくり、ゆっくりと お喋りは減っていく。


四番目の 要点。
あなたは、何らかの 不満や問題を抱えているかもしれないーーーそれ に注意を払わないように。

小さな問題や 困難を体験しても、それに 注意を向けないことだ。

わたしたちは 娯楽のために ここにいるのではない。


最近、わたしは 中国の尼僧の話を読んだ。
彼女は 数軒の家しかない、とある村を 訪れていた。

夕刻、彼女は、集落の前に行って 村人たちに 頼んだ。
「どうか、どなたか 家に泊めていただけないでしょうか」


彼女は よそ者で、そのうえ 別の宗教の人間だったので、村人たちは 戸を閉ざしてしまった。

隣村は かなり遠く、暗くもなり 彼女は独りだったが、その夜は 屋外で過ごさねばならなかった。

彼女は 桜の木の下で 眠った。
真夜中、彼女は 目を覚ました……寒かった。
そのせいで 目が覚めて、眠れなかったのだ。

見上げると、花は 満開に咲き誇っていた。
木は 花に覆われ、月は 高く、月明かりは たいそう美しかった。

彼女は しばし、圧倒的な喜びを 体験した……。


朝、彼女は 村に引き返し、一夜の宿を拒んだ人たち 全員に感謝を捧げた。

彼らが「どうして また?」と 尋ねると、彼女は 言った。
「昨晩 わたしに戸を閉ざした あなたがたの愛のため、あなたがたの 慈悲と親切のためです。
おかげで わたしは、しばし 信じがたい歓びを 体験できました。
わたしは 桜の花が 咲き誇っているのを、月が 輝いているのを見ました。
そして……以前は見たこともないものを 見たのです。
もし あなたがたが 寝場所を 与えてくださっていたら、それを 見ることはなかったでしょう。
そのとき、あなたがたの親切、戸を すべて閉ざしてしまった理由に気づいたのです」


これは ひとつの見方だ。

あの夜、あなたも いたるところで門前払いをくらい、夜通し怒りを 覚えていたかもしれない。
人々に 強い憎しみや怒りを 感じるあまり、桜の木に咲いている花に 気づかなかったかもしれないし、輝く月も 見なかっただろう。

感謝の念を 体験しなかったのは 言うまでもない。
あなたは こうしたことを、何ひとつ体験しなかっただろう。


生と関わる もう一つの方法がある……それは 生のすべてに対して 感謝にあふれていることだ。

そして 覚えておきなさい。
この三日間は、すべてに対して 感謝すること。

受け取るものに 感謝の念を感じなさい。

受け取らないものに 煩わされてはいけない。

これが 感謝の基本だ。

あなたの中に 気楽さと 明快さが生まれるのは、この基盤の上だ。


(つづく)

ディヤン-スートラ (瞑想の道) 第一章 07

2013-02-25 19:09:21 | OSHOの講話
(沈黙を体験するには、ただ山中にいるだけでは不充分だ。自分を他者から切り離し、独りになる必要がある。)

本当に 必要なときだけしか、人と 接触しないようにしなさい。
自分は この山中に たった一人で、周りには 誰もいないと想像してごらん。
ここへは 一人で来たかのように過ごしなさい。

あなたは 独りでいて、独りで動き回ることになるだろう。
木の下に 独りで座りなさい。
数人で たむろしてはいけない。

この三日間は、離れて 独りで過ごしなさい。

生の真理は、群衆の中で過ごしていては わからないーーーそんなふうには 体験できないものだ。

群衆の中で、意義ある体験が 起こったためしはない。

沈黙を 味わった者はみな、完全な孤独の中で、独りあることの中で 味わったのだ。


他人と 話すのをやめ、内側のお喋りも 外側のお喋りもやむとき、自然は神秘的なやり方で あなたと コミュニケーションを始める。
自然は常に、あなたと コミュニケーションをとっている。
でも、
あなたは あまりにもお喋りに夢中なので、彼女の やさしげな声を聞かない。

内側に 語りかけてくる声を聞くには、自らを 静かにさせなくてはならない。


だから この三日間は、常に 話を控えることだ。
うっかり 習慣から話しはじめたら、再び 思い出しなさい。
そして すぐにやめて、あやまりなさい。
独りでありなさい。

あなたは それを、ここで 実験することになる。
だが 自分自身でも 努めることだ。


どこでも 好きなところへ行き、木の下に 座りなさいーーーあなたは、自分が 自然の一部であることを すっかり忘れてしまった。
あなたは 自然の近くにいることが、究極なるものの体験を 容易にしてくれることも知らないーーーそれは ほかのどこよりも容易なのだ。


だから、この素晴らしき三日間を 充分に利用しなさい。
人から 離れ、独りでありなさい。
そして 不必要に 話さないこと。
みなが 静かにしていても、独りでありなさい。

瞑想者は 独りでなくてはならない。

ここに とても大勢の人がいる。
だから 全員が座って瞑想していると、瞑想している人の集まりがあるかのように見えるかもしれない。
しかし、すべての瞑想は 個人的なものだ。
集団は 瞑想できない。
ここに 座っていると、あなたは 大きな集団の中にいる。
しかし 自己の内側に 入っていくと、誰もが 独りだと感じるだろう。


目を閉じれば 独りだと感じ、沈黙すれば もはや集団はなくなる。
ここには 二百人の人がいるが、それぞれは ただ自分自身と ともにあり、ほかの 百九十九人の瞑想者と ともにいるのではない。

瞑想は 集団的には行えない。

すべての 祈り、すべての 瞑想は、個人的で 私的なものだ。


ここに 居るときも、ここを 離れていくときも、独りでありなさい。

(つづく)