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家族旅行の記

3年ぶりの東北へ 石巻市・大川小学校慰霊の旅

2013年05月11日 | Weblog
 震災から2年、いつか被災地でボランティアか慰霊を行いたいと思っていたが、ゴールデンウィークにまとまった休みが取れたので満を持してでかけた。

5月4日(土)
 渋滞を見越し、深夜2時に出かけた。高崎IC(北関東道-東北道-仙台南部道-三陸道)宮城県松島に朝7時に到着。途中、仮眠もとったがスムーズに流れ、予定通りの到着だった。
松島は朝7時といっても、観光客はたくさんいた。五大堂に行った後、朝一番の遊覧船に乗り松島湾クルーズに。50分もかかった。国宝本堂を改修中の瑞巌寺を訪れ、焼きがきと牛タンを門前で食し、石巻へ。三陸道は車線数の増減にあわせ渋滞が発生した。それだけ被災地域に訪れた人がたくさんいたことになるだろう。
 まずは「石ノ森漫画館」と思ったが、入場制限がかかるほどの人でごったがえしていたので、翌日に再訪することとした。そして、今回の目的である大川小学校跡地へ。途中、悲劇の舞台には似つかわしくないほど、広々とした北上川畔がすがすがしかった。
 大川小学校は荒れた浸水域に同化・埋没するように、目の前に現れた。連休中で三十組ほどの来訪者があった。カメラを向けるのは誰もが不謹慎と思っているのか、じっと校舎を見つめる人ばかりだった。市内で買い求めた花束を供え、しばらく黙祷した。避難誘導にあたった学校側の過失責任は免れないだろう。しかし、仕事柄、殉職した教員を責めることもできない。せめて、悲劇を教訓に思い続けよう。
 この日の宿は、金華山を望む、牡鹿半島の突端「ホテルニューさかい」。トップシーズンゆえ、家族計70,000円弱の痛い出費だったが、夕食の豪勢さには手応えあり。ただ建物は昭和レトロ。相当痛んでもいた。でも復興支援!!牡鹿半島もそこここに震災の傷跡がそのままだった。

5月5日(日)
 早めに宿を出て、石ノ森漫画館へ。連休の人出に対してのキャパが少なくあまりじっくり見られなかった。1/3は、ご当地ヒーロー「海斗」?で、過去のヒーローを懐かしんでもいられなかった。
 すぐに、次の宿、裏磐梯の「ホテル白雲荘」への移動を開始。東北道の渋滞が始まっていそうだったので、亘理から七が宿街道を抜け、山形の南陽市へ。やはり思いの外時間がかかった。
 南陽に来たから、赤湯温泉の龍上海に寄って、遅い昼食をと思ったが、せっかく訪れても長蛇の列。あきらめて結局米沢でコンビニ。宿には健全に16:30着。スカイバレー越えは爽快だった。
 「白雲荘」は、とても清潔で広々したホテル。特に洗面室のゆとりは高級感たっぷり。それでいて前日の宿の半値。

5月6日(月)
 心のふるさと会津柳津で福満虚空蔵尊をお参りし、小池家のあわまんじゅうを買い、帰路。六十里越の開通が遅れているようなので新潟まわりで15:00自宅着。
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