子どもたちがそれぞれ家を巣立ち、夏恒例の家族旅行は夫婦旅行となった。
まだ行ったことのない都道府県は、沖縄・鹿児島・和歌山。今年の夏休みは連続した休みが取れなかったので、和歌山あたりにするかとも思ったが、パンダが居なくなったから魅力半減だという妻の声に悩んだ挙句、萩・津和野を提案したところ関心を示したので、山口に出かけることとした。
8月22日(金)
安中榛名駅発で新幹線を乗り継ぎ、新山口駅に14時前に到着。予約しておいたレンタカーはダイハツタントだった。天井の異様な高さにびっくりした。
この日訪問予定の中原中也記念館と瑠璃光寺に移動する途中、第一名物「瓦そば」の店を見つけ、遅めの昼食にした。妻は気に入ったようだったが、猛暑日に熱々の麺・ツユなのでちょっと圧倒された。予想よりしょっぱく、あまり味もしなかった。
30分弱で中原中也記念館到着。関心の高い妻はつぶさに見入っていて時間を食った。退館後、近くにあった「豆子郎」で現地でしか食べられないという生ういろうを2つ買って食べた。上品な味で好みだった。
国宝瑠璃光寺五重塔は、一度見てみたかった遺跡。ついこの間まで令和の改修でフェンスで覆われていたらしいが、ようやく覆いが取れ、美しい姿を見ることができた。司馬遼太郎の「長州はいい塔を持っている」という言葉に同感した。
この日の宿「ゆとりろ津和野」まで行かなければならないので、初日の見学はこの2か所で、ひとまず山口を離れた。
1時間ほどタントを走らせ、17時津和野へ到着した。
夕食は、宿の前の「福寿司」でとった。
8月23日(土)
この日のメインは萩の史跡観光の予定だったが、津和野の森鴎外記念館に立ち寄り、これまた妻の好みでそこそこの時間を使って見学した。
萩到着は11時前。まずは早めの昼食に、秒速着丼で有名な「うどんどんどん土原店」に行き、人気の肉うどんとわかめおにぎりを食べた。ギリギリモーニングで安く済んだし、甘めの味付けで美味しくいただいた。続いて松下村塾跡・松陰神社に行った。20年ほど前に訪れた時には無かった資料館にも入ってみた。維新の志士にはあまり関心がないが、津和野といい萩といいこの狭いエリアによくも多くの傑物が登場したものだと思った。しかも若い!師と慕われた吉田松陰が30代で処刑されたなんて!
続いて萩の城下町散策を考えていたが、志士に興味がなく旧宅を見ても仕方ないし、あまりの暑さに、伊藤博文旧宅と萩城を遠くから眺めただけで、道の駅萩しーまーとに行って一休みして軽くミニ海鮮丼を食べた。期待したほどの味では無かった。そしてなぜか反射炉跡が見たいと妻が言うので、自分は関心なかったが近いので行ってみた。係の人が詰めていたが、仕事があるのかなと心配した。
下関への移動の過程で、秋吉台を通った。妻が、まるでただの草原のようで、以前に比べ白い岩の露出がないとつぶやいたが、後で聞くと、昨年は山焼きをしておらず、草が伸びすぎているようだと伝えられた。
山陽道を使って下関入りし、まず関門海峡沿いの史跡を巡った。みもすそ川公園で、壇ノ浦の戦いの義経像をみたり、赤間神宮に行ったりした。
2日目の宿は「東横イン下関海峡ゆめタワー前」。ダブルの部屋で宿泊費を節約したが、大きなベッドで広々支えて良かった。チェックイン後に「ゆめタワー」に登ってみた。ちょうど馬関まつりというのをやっていて街路は人が溢れかえっていたが、タワーはすごく空いていた。夕食はホテルの裏にあった「美食宝仙」で刺身を中心に食べた。たまたまクーポンがもらえて安く済んだ。
8月24日(日)
同じ下関市内だがちょっと距離のある有名スポット「角島大橋」に行ってみた。ミーハーっぽいかなと思ったが、コバルトブルーの独特な海と白い橋はやはり感動もの。行ってみて良かった。天候にも恵まれたが、特に朝イチで出かけて早い時間に景色がみられたのが良かったのだと思う。光の当たり方次第で価値が半減しそう。
続いて長門市にある、これもまた話題になっている「元乃隅神社」に向かった。思ったより人も少なく、赤い鳥居が連なる新名所の良い写真がとれた。
適当な食事場所が見つからず、結局下関に入ってジョイフルで軽食を食べ、「巌流島」の船に乗ろうと先を急いだ。ギリギリ乗船でき、迎えの船が来るまで小一時間、暑い島で過ごした。
この日の宿は「関門海峡を一望できる是系の宿満珠荘」。チェックイン後に市街地で夕食を取ろうと思ったが、不覚にも公共交通手段が夜間はないことに気づき、帰りは当てにできないタクシー覚悟で路線バス最終便でカモンワーフに行った。たくさんある飲食店で選んだのが「からと屋」。ここで念願の「ふく刺」が食べられた。きちんとお金を出せば心からうまいと思える料理に出会えるのだろうけど、節約してるとそれなりの味にとどまるものだろう。人生初のふぐ料理は、それほどの感動ものでもなかった。
案の定、タクシーを拾うのに難儀したが、なんとか手配に応じてくれた1台にお世話になって帰れた。
8月25日(月)
ホテルの品数の多い朝食をいただいた。山口の料理の味付けは、ややしょぱめなのか?どの料理も塩分が多いように感じた。
12時までにレンタカーを返す必要があったので、余裕はないがそれでも赤間神宮の御朱印をもらうこと、関門海峡の人道トンネルを歩くことはやりたかった。
トンネル先の福岡県の和布刈神社まで往復し、海底の徒歩横断を達成した。
12時に間に合うよう下道を飛ばし、新山口駅に帰った。新山口には気の利いた食事処がない。結局居酒屋のランチメニューで昼食を済ませ、土産物を丁寧に選んで14時ののぞみに乗り、乗り継ぎも順調に20時過ぎには自宅に無地帰着できた。
山口は地味だが見どころ多く、時間も上手に使えて良い旅ができた。

まだ行ったことのない都道府県は、沖縄・鹿児島・和歌山。今年の夏休みは連続した休みが取れなかったので、和歌山あたりにするかとも思ったが、パンダが居なくなったから魅力半減だという妻の声に悩んだ挙句、萩・津和野を提案したところ関心を示したので、山口に出かけることとした。
8月22日(金)
安中榛名駅発で新幹線を乗り継ぎ、新山口駅に14時前に到着。予約しておいたレンタカーはダイハツタントだった。天井の異様な高さにびっくりした。
この日訪問予定の中原中也記念館と瑠璃光寺に移動する途中、第一名物「瓦そば」の店を見つけ、遅めの昼食にした。妻は気に入ったようだったが、猛暑日に熱々の麺・ツユなのでちょっと圧倒された。予想よりしょっぱく、あまり味もしなかった。
30分弱で中原中也記念館到着。関心の高い妻はつぶさに見入っていて時間を食った。退館後、近くにあった「豆子郎」で現地でしか食べられないという生ういろうを2つ買って食べた。上品な味で好みだった。
国宝瑠璃光寺五重塔は、一度見てみたかった遺跡。ついこの間まで令和の改修でフェンスで覆われていたらしいが、ようやく覆いが取れ、美しい姿を見ることができた。司馬遼太郎の「長州はいい塔を持っている」という言葉に同感した。
この日の宿「ゆとりろ津和野」まで行かなければならないので、初日の見学はこの2か所で、ひとまず山口を離れた。
1時間ほどタントを走らせ、17時津和野へ到着した。
夕食は、宿の前の「福寿司」でとった。
8月23日(土)
この日のメインは萩の史跡観光の予定だったが、津和野の森鴎外記念館に立ち寄り、これまた妻の好みでそこそこの時間を使って見学した。
萩到着は11時前。まずは早めの昼食に、秒速着丼で有名な「うどんどんどん土原店」に行き、人気の肉うどんとわかめおにぎりを食べた。ギリギリモーニングで安く済んだし、甘めの味付けで美味しくいただいた。続いて松下村塾跡・松陰神社に行った。20年ほど前に訪れた時には無かった資料館にも入ってみた。維新の志士にはあまり関心がないが、津和野といい萩といいこの狭いエリアによくも多くの傑物が登場したものだと思った。しかも若い!師と慕われた吉田松陰が30代で処刑されたなんて!
続いて萩の城下町散策を考えていたが、志士に興味がなく旧宅を見ても仕方ないし、あまりの暑さに、伊藤博文旧宅と萩城を遠くから眺めただけで、道の駅萩しーまーとに行って一休みして軽くミニ海鮮丼を食べた。期待したほどの味では無かった。そしてなぜか反射炉跡が見たいと妻が言うので、自分は関心なかったが近いので行ってみた。係の人が詰めていたが、仕事があるのかなと心配した。
下関への移動の過程で、秋吉台を通った。妻が、まるでただの草原のようで、以前に比べ白い岩の露出がないとつぶやいたが、後で聞くと、昨年は山焼きをしておらず、草が伸びすぎているようだと伝えられた。
山陽道を使って下関入りし、まず関門海峡沿いの史跡を巡った。みもすそ川公園で、壇ノ浦の戦いの義経像をみたり、赤間神宮に行ったりした。
2日目の宿は「東横イン下関海峡ゆめタワー前」。ダブルの部屋で宿泊費を節約したが、大きなベッドで広々支えて良かった。チェックイン後に「ゆめタワー」に登ってみた。ちょうど馬関まつりというのをやっていて街路は人が溢れかえっていたが、タワーはすごく空いていた。夕食はホテルの裏にあった「美食宝仙」で刺身を中心に食べた。たまたまクーポンがもらえて安く済んだ。
8月24日(日)
同じ下関市内だがちょっと距離のある有名スポット「角島大橋」に行ってみた。ミーハーっぽいかなと思ったが、コバルトブルーの独特な海と白い橋はやはり感動もの。行ってみて良かった。天候にも恵まれたが、特に朝イチで出かけて早い時間に景色がみられたのが良かったのだと思う。光の当たり方次第で価値が半減しそう。
続いて長門市にある、これもまた話題になっている「元乃隅神社」に向かった。思ったより人も少なく、赤い鳥居が連なる新名所の良い写真がとれた。
適当な食事場所が見つからず、結局下関に入ってジョイフルで軽食を食べ、「巌流島」の船に乗ろうと先を急いだ。ギリギリ乗船でき、迎えの船が来るまで小一時間、暑い島で過ごした。
この日の宿は「関門海峡を一望できる是系の宿満珠荘」。チェックイン後に市街地で夕食を取ろうと思ったが、不覚にも公共交通手段が夜間はないことに気づき、帰りは当てにできないタクシー覚悟で路線バス最終便でカモンワーフに行った。たくさんある飲食店で選んだのが「からと屋」。ここで念願の「ふく刺」が食べられた。きちんとお金を出せば心からうまいと思える料理に出会えるのだろうけど、節約してるとそれなりの味にとどまるものだろう。人生初のふぐ料理は、それほどの感動ものでもなかった。
案の定、タクシーを拾うのに難儀したが、なんとか手配に応じてくれた1台にお世話になって帰れた。
8月25日(月)
ホテルの品数の多い朝食をいただいた。山口の料理の味付けは、ややしょぱめなのか?どの料理も塩分が多いように感じた。
12時までにレンタカーを返す必要があったので、余裕はないがそれでも赤間神宮の御朱印をもらうこと、関門海峡の人道トンネルを歩くことはやりたかった。
トンネル先の福岡県の和布刈神社まで往復し、海底の徒歩横断を達成した。
12時に間に合うよう下道を飛ばし、新山口駅に帰った。新山口には気の利いた食事処がない。結局居酒屋のランチメニューで昼食を済ませ、土産物を丁寧に選んで14時ののぞみに乗り、乗り継ぎも順調に20時過ぎには自宅に無地帰着できた。
山口は地味だが見どころ多く、時間も上手に使えて良い旅ができた。
