何かがあるかもしれない日々

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今更ながら『バカの壁』を読んでみる(12/25改訂)

2018-12-23 11:44:23 | 今日の読書
ところで、今更ながら『バカの壁』を読んでいる。2003年の出版だから、普通に考えたら『今更』であろう。この本、430万部も売れたらしい。確かに、発売当初、相当話題に上っていた記憶があるし、調べてみたら2003年の流行語大賞でトップ10に入っている。図書館で読んだ人もいるだろうし、中古で買った人もいるだろうし、読んだ人の数はこの倍くらいもいるだろうか。さて、読んでみてからAmazonのレビューの星1つのところを見てみると・・・成る程、これが『バカの壁』か。一番必要な人に、この本の内容が届いていないことがよく分かる。


いつも思うが、自分が賢いとか物をよく知っているとか、自分は周りがよく見えているとか、大いなる勘違いをしている人があまりにも多い。そうでもしなければ生きていけないのだろうか、というくらいだ。いや待てよ、そんなジジイ、身の回りにもたくさんいるな。自分はそうならないように注意しなければなぁ、少なくとも僕は自分の視野の狭さは自覚してはいるが。来年古稀を迎える母の口癖は『この歳になってまた一つ賢くなった』なのだが、僕もそのように年々成長したいものだ・・・とか考えているときに、下の記事に出会った。


web上で作品を批判するなら「作者からの直接の反論」も当然、覚悟するべきですよね。(Books&Apps)


今年はAI vs. 教科書が読めない子どもたち(amazon.co.jp)という本もかなり話題になっていたが、子どもじゃなくても『文章』は読めていない、と考えたほうがあたっているのかもしれない。twitterの140字すら読めていない人が多い、という話もちょくちょく目にするが、本当にその通りなのかもしれない。僕にはぱっと目に入った言葉や、思い込みだけで批判しているように見える。意味のわからないところは読み飛ばしている、という人もいる。まさしくそんな感じだ。


因みに僕はとある作曲家(仮にSとしておこう)が嫌いだということをよく言う。Sはかなり有名な作曲家で、もしかしたら音楽の教科書にも載っていたかもしれない。その作曲家が嫌いなのだ。顔も見たくない。いや、Sは既にお亡くなりだから、顔を見ようと思っても見られないのだが。とにかくそのくらい嫌いなのだ。ラジオでかかった途端にCDに変えてしまう。スコアを見ればあれもこれもつまらない、工夫が足りない、素材がよろしくない、とすら言う。曲の構成は素晴らしいし、仕上がりも非常に良いと思うが、ただそれだけなのである。世間で人気があるのが全く理解できない。
そんな僕であるが、他の人があの曲嫌い、この作曲家嫌い、とか他人が言うことに対しては、大して知りもしないくせに、とすぐに思ってしまう。面白くない、なら許すけど、嫌い、まで言うのはなるべく控えたい。それで敢えて言おう。Sの曲は嫌いだ。僕は少なくともSの曲は何曲も演奏したことがある。それも1曲につき何ヶ月にもわたって練習しているし、スコアも読み込んで勉強している。習ったのは20年以上昔だが、何なら今でも、Sのヴァイオリン協奏曲を弾ける。そこまでやって嫌いだと名言している。作曲家Sはとうの昔にお亡くなりだが、そのくらいでないと作者本人とギロンするなんてレベルじゃないと信じている。
だが、気に入った、気に入らない、面白くなかった、面白かった、というレベルの話はどんどん言っても良いのではないかとも思う。万人にとって面白いものなんて無いだろうし。

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