ホテルでの朝食を済ませたあとは、今回の旅の目的のひとつ、伊達藩から明治政府の治世になった当時、先祖の屋敷がどこにあったのかという宿題、どうしても知りたい。今回は意を決して先回先覚寺の和尚に教えていただいたわが先祖の屋敷だという場所の隣にある清野邸(現在も当時の屋敷の体裁を保っておられる)にお邪魔しておばあ様の話を伺った。朝早く、不躾な訪問にもいろいろ親切にお話をしていただき、ありがたかった。やはり清野邸の隣ではないという結論である。
戸籍謄本には756番戸としてあるので、番地から明らかではないかというと、役所の係りの説明では、地番は場所を特定するのではなく、受け付けた順番なのですという。どうにも合点がいかないが、いまのところそういう結論しかよりどころがない。登米伊達藩の殿様は、廃藩を受けて藩が所有する住居、金子、掛け軸や茶碗にいたるまで公平に家臣に分配したそうである。それで先祖は屋敷を処分し東京へ移った。二階建ての門は解体して東京へ運んだという話だが、これは信憑性の点でどうか?。結局大きな手がかりがないままに帰るよりないようだった。、
懐古館から左沼の登米歴史民族博物館へ。その後鳴子峡を通って鶴岡に出るいつものコース。鳴子の紅葉はまだ少し早いようだった。実は来るときに寄ることができなかった笹川流れの「夕日タンメン」を、どうしても食べたくて車を飛ばしたが、夕日をバックに夕日タンメンの写真を撮るというには、間に合わなかった。夕日タンメンは経営者が変わってもうメニューにないそうだから、いずれにしてもなつかしい味にはお目にかかれなかったわけである。
さて今回の旅の走行距離は2300キロ、燃料はレギュラーガソリン90リッター、すべてのシーンで快適に走破したアウトランダー君の燃費は26キロ!。車重2トンを超える静粛で安全な4輪駆動車の燃費です。まことに素晴らしい技術です。積算計は9万3千キロに達しました。新車の時とまったく変わらぬ走行性能と静粛性、ボディはキシミ音もまったくなく、シートのヘタリもなしです。