goo blog サービス終了のお知らせ 

どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

ゴミからカメラ

2013-11-08 02:04:07 | インポート
Dsc_4015


とある所のゴミ捨て場にカメラがありました。コニカの皮ケースに入っていました。丁度飾り用のカメラが欲しかったので、早速拾ってゆきます。

するとなんととコニカ1です。もちろん数字の1はローマ数字なのですが。

このカメラ、昭和22年製造開始で10年間製造されました。戦前に発売予定だった「ルビコン」というカメラが母体です。戦後ほぼ初めて製造された金属製カメラです。国内向けと言うよりは、米軍へのスーベニール用カメラで、彼らにとっては安くてよく出来たカメラだったので、かなり売れたようです。当時一万九千七百円ですので、大体の人は買えるものではなかったようです。

シャッターはコニカラピッドSなので昭和25年以降、ファインダーが紫・黄色着色の二重像合致式なので昭和26年以降製造のようです。しかしレンズがヘキサー50ミリF3.5なので、廉価版モデルのようです。

製造No.52471とありますが、ちょっとよくわかりません。


Occupied


さて気になるのは底蓋。「made in occupied Japan」の文字です。「占領下日本で製造」これで昭和26年の9月までの製造になりそうです。つまり占領下末期のカメラとなりそうです。更にケースが「made inJapan」、底蓋の書き文字が昭和26年なので、本当に8月とか9月に製造したもののようです。製造時と、梱包納品時がズレているので、そうなります。

写真でも解ると思いますが、かなりの美品です。ケースにカビも無く、ファインダーにも曇りがありません。レンズにカビもありません。フィルムレールからすると、そんなには使われていないようです。多分フィルムの値段が高かったからと、その後アサヒペンタックスの一眼レフが登場した事が上げられます。

で、このカメラなんと動きます。確か当時シャッターの金属を黒く染める技術に問題があって、シャッター金属表面に薄い油の層がで来て、それが酸化して動かなくなると言う症状があったからです。それは製造末期でも変わらなかったようなので、これは凄い事です。なおカメラのフィルムゲートを開けて匂いをかぐと、カメラらしからぬ匂いがします。機械油の匂いです。カメラ用のオイルはもう少し柔らかい匂いがします。多分修理された事もオーバーホールされた事も無さそうな感じです。本当に使われていなかった匂いです。

さてこうなると使ってみるしかありません。多分シャッターはそれなりにいかれていると思うのですが、どの程度イカレテいるのでしょうか。楽しみです。


なお元の所有者が多分簡単に特定出来る物件です。なので少し遊んでから、何なりを考えるつもりです。発売台数は多いカメラですが、国内の販売台数は少ない事、アメリカでもかなり廃棄されている事が予想されます。マニアックな所では確実に値がつく物件です。なにしろ修理可能なほどに簡単な構造です。シャッターがやっかいか。でも時計を修理出来る人なら簡単でしょう。多分関東カメラサービス当たりなら出来そうなものです。

とはいってもな~。これ欲しかったんですよ。壊れたものでも欲しかった。何しろ戦後日本での精密機械製造始まりを象徴するカメラで、戦中の設計の最先端ですし、アメリカ人に売れる事で、多少は日本製品の安かろう・わるかろう(当時はそう思われていた。実際そう言った事例はある)を緩和した商品でもある。

そして「made in occupied Japan」この文字が欲しかった。

遊んでから、やっぱり持ち主に因果を含めて返すしかないのだろう。

心乱れるよ。これは。


近況・全くのどうでもいいこと

2013-11-06 02:59:12 | インポート
Dsc_2366


先週は仕事で忙しかった。写真の整理もままならないほどだった。ケータイの万歩計では、その5日間で8万歩は歩いたようだ。4306kcal消費した。脂肪換算では305gなのだが、どう考えても一日3000kcalは食べていた。
なのに1キロ痩せた。なぜだろう。よくわからない。

多分寒いからだと思う。

写真は出先で見つけたもの。防衛省指定の防音建具と言うものがあるんだと、初めて知った。建物が陸上自衛隊のヘリ輸送経路の真下にあるから使われているようだ。こんな事は沖縄の人は知っているんだろう。


Dsc_3460


我が家の小菊を検討するために、挿し木で増やしたのですが、白の小菊の下にピンクの色が。


Dsc_3461


挿し木なので、混ざる事はないのですが白の小菊の地下茎からピンクの花が咲いています。
この白の小菊は、クリーム色から咲き始めて白になり、散り際に薄いピンクになります。なのでピンクの枝変わりが出てもおかしくはないのですが、どうも今ある菊のうち、ピンクと白はもの凄く近い品種のようです。もしかするとピンクは白の枝代わりで繁殖しているのかもしれません。


Dsc_3463


秋と言えばカラスです。この写真は午後2時半頃の本宮地区です。アイスアリーナと総合プールの広大な駐車場のせいでしょうか、上昇気流があって飛びやすいのでしょうか、この辺りにカラスが一旦集結するようです。


Dsc_3465


日没直後、カラスが群れをなして飛んでゆきます。
9月のカラス観察はちょっと早いなと思っていたのですが、やっぱり11月になると群れもかなり大きくなっています。

Dsc_3467


八幡のそばにある松尾町の焼き鳥「菊水」ですが、ウワサで聞いていたのですがやはり閉店していました。典型的なブタの「焼き鳥」の店でした。本町のさい川と並ぶ老舗銘店だったのですが、後継者の問題もあり閉店したようです。
味の方はウラニクというメニューがおいしかったのですが、ジューシーな焼き加減は好みが分かれたかもしれません。そして名物ウラニク以外はどうだったかと思います。
ただ昭和を残した店だったので、その点が惜しまれます。


Dsc_3583


オーバーカロリーな食生活はまだ続いています。今日はガリガリ君リッチ「クレアおばさんのシチュー味」を食べました。たしか128キロカロリー。以外とライトなリッチです。
昨年のコーンポタージュ味に続くキワモノ路線ですが、どうもですね、食い合わせはあるようです。直前に掻き揚げ天ぷらそばを食べたのですが、汁のカツオとサバ節の匂いとソバの香りと、醤油の匂いと混ざってくるとどうもイカン感じがしました。直前に何を食べたのかが大切なようです。

でもおいしいのですが、どうもみじん切りのジャガイモのスカスカ感とかまあイロイロ。
しかし赤城乳業は、本当にチャレンジフルな会社だ。ここまで来れば失敗しても客は見捨てない。とても面白いサイクルに入っている会社だと思う。

Dsc_3585


ウチの近所の放射線量はこんな具合。環境放射能水準調査も、9月速報はこんな具合。農産物データーもそのうちネチネチと見たいと思う。今の所問題は無さそうだ。


それよりも、寒くなったら膝の具合がまた微妙になって来ている。特に骨折した右足のボルトを抜いた当たりが変に痛む。それをかばうと左足に、という循環があるがかなり回復した。

年だね!


料理屋の材料偽装?

2013-11-04 18:54:08 | インポート
最近また食品偽装事件が続いている。阪急阪神、名鉄、近鉄系のホテルで使用していた食材の産地と、表示していた産地が違ったりした。エビでは、元々の名称の混乱があった。特に中華料理ではサイズでしかエビを区分していなかったのに、それを芝エビとか大正エビと翻訳していたのが間違いだった。


こういった産地の問題がなぜ今問題になるのだろうか。過去には船場・吉兆の偽装事件があった。これは経営者の確信的な犯行だった。おまけに超一流の料亭での事だった。支店もあるがかなりこじんまりとしたものだ。本来守れるものを守らなかったと言う点で、かなり悪質性が高い。
料亭は接待で主に使われるから、かなり始末の悪い話しだった。接待した側もされた側も、しばらくは気まずかったろう。


昔、港町の民宿の料理を撮影した事があった。そのとき私に社長が全部のメニューの産地を説明してくれた。一番驚いたのは、あわびのとびっこあえだった。アワビはロコ貝でししゃもの卵のトビッコはロシア産だった。これは冷凍、これはどこそこと、その港で上がったものは一点しかなかった。
さすがにこれは過去のものだろう。とはいえ、2食付きで6000円の民宿ではこれでもがんばっているのだろう。だから彼らは、何も言わすに食事を提供していた。今日浜で上がったものだとかは一切言わなかった。


エビに戻るが、本物の大正エビを食べられた世代はいつ頃までだろうか。多分80年代を境に食べられないものになっているはずだ。で、消費者は以外と解っていたはずだ。90年代に大正エビとブラックタイガーの偽装事件があったと思う。もうこの頃には決定的に大正エビの価格は高騰して庶民の口には入らなくなっていた。
この辺りから、産地表示が始まったと思う。その前には大正エビと書かれていたものがブラックタイガーと書かれるようになった。

この頃からだろうか、ファミリーレストランが流行りだした。だがその価格はよくよく考えても安すぎた。確かにアメリカ産の牛ステーキ200gが1200円だった。もちろんご飯もスープとサラダも付いてだ。原価30%と言われる世界だから、400円の原材料だ。肉の占める割合が半分として、この牛肉は100g当たり100円になる。

100円のサーロインはない。少なくともスーパーで見ている値段ではない。でもこれが可能になるのが大量買い付けだが、農産物ならではのバラツキからは逃れられない。そこを安定させるのが、実は加工肉だったりする。
不安定なものよりは安定した供給の方がいい。そう考える人は必ずいる。だから仕入れはそうした。

ちなみに阪急で仕入れていた加工肉だが、キロ3000円と言う。同等品の加工していない肉はキロ6000円という。値段は確かに倍違う。加工賃を入れたら四倍以上違う肉だろう。
しかしスーパーで、グラム300円の加工肉があるだろうか。そして加工していない肉がグラム600円と言う事は、どこのスーパーにでも並んでいる牛肉の話しになる。現実には「別格」の加工肉だったのだろう。


今回凄いと思ったのは、何食出たのかカウントしていると言う事だ。ここはさすがだと思う。吉兆の時には何食でたとか報道がなかった。把握していないのだろう。
次なのだが、彼らの技術を持ってすれば、誰にも加工肉だろうが何だろうがバレないと言う事だ。さすがに吉兆ではバレていた。理由は客層が違う事と単価の違いだ。
嘘をついたのは悪い。だが飲食業と言うのは、正直だから良いと言うものでもない。そのサービスから調理技術までを持ってこそ価格だ。わたしはそう思う。

しかしだ。このホテルの経営者は、料理人を単なるオペレーターだと考えていたのだろうか。だから偽装したのだろう。それでは余りにも料理人がかわいそうだ。


PS
この記事を書いてから、更に話しは混迷している。各部門が独立しすぎてタコツボ状態になっているからこういったことが起きると言う記事もあったが、もう少し複雑かもしれない。
1)食品工学の発展
これは大きいと思う。加工肉もそうなのだが、例えば圧力釜での高圧調理、いや更に超高圧の調理法や、逆に減圧調理法などなど、様々な調理法と機材がある。酵素で柔らかい唐揚げ粉なんてどこのスーパーにもある。

そう言った技術が大きいと思う。コストダウンを指示されても同等のものまでもってゆけれる技術がある。

2)ブランドへの依存
これは誰もが指摘するが、そうだ。だが今現在そのブランドでがんばれるホテル飲食がどの程度あるのかは解らない。かなり厳しい状況にあるのではないのだろうか。昔は高級洋食はホテルの代名詞だったから、食事だけでもお客は来た。だが今では選択肢は広がっている。競合が増える中で苦境に立っているのは確かだろう。


3)客の頭の問題
残念ながら、今回どっかのホテルで「ステーキが固い」と言うクレームで加工肉にした例がある。もちろんそれはそうなのだろう。だがそれは150gで1万円のステーキの柔らかさをもとめている。もちろんホテルのブランドがそう言った思い込みを持たせているのだろう。
だが3000円の定食の肉は、固いだろう。それは解っているはずだ。

対顧客満足度を高めるために、偽装したと言うフシもある。


牛肉の塊を焼いたものはステーキだと思うのだが、その生肉に脂肪を注入した加工肉を焼いたら、ステーキではないと言う、その論理がよくわからない所がある。法律はよくわからない。

ステーキって何だろう。小さい牛肉が焼き肉で、大きくなるとステーキだと思っていたのだが。


11月2日の雑感

2013-11-03 03:39:02 | インポート
Dsc_3445


野球には興味がありませんが、11月2日は阪神タイガースが優勝した日です。目出たい日です。残念ながら東北楽天は今日優勝を逃しましたが、どうなるのでしょうか。

今気になるのは、実は私の周りに「アンチ巨人」が多いと言う事です。正直な所、ここまで多いのかと驚いています。岩手ですから巨人ファンが多い訳ですが、どうもそうではないと言う事になりそうです。もちろん「ころび楽天」というファンもいるかもしれません。元巨人ファンだったけど、今楽天ファンの人を「伴天連追放」と引っ掛けて造語しました。

何なのか解りませんが、復興機運と楽天が優勝するのかが、何か一致しているからなのでしょうがこれも違うように感じます。
多分巨人ファンは、この機運で出来るだけ隠れるようにしているだけなのかもしれません。でも何かが違うように思います。

これは私だけかもしれませんが、金持ち球団と貧乏球団の対決と言う構図が、アンチ巨人を増大させている可能性もあります。確かに楽天は広島よりはお金を出している可能性はありますが、楽天が球団に独立採算を求めたのは有名な話しです。そんなに経営は楽ではないはずです。新記録を作った田中将大投手が来期いれるかどうかも怪しい球団です。
それが東京VS東北の、金持ちVS貧乏の対比にもなっています。

ただもう少しうがった見方をすれば、読売の過去にあると思います。母体の読売新聞社の正力松太郎が原発推進で、自社の新聞を使ってまでキャンペーンを張ったのは間違いがありません。そしてフクシマ以前まではそうでしたし、それ以降も粘り強く続けています。それは言論としては正しいのですが、現実的に言論を超えた政治に介入する手法が問題です。渡邉恒雄の動きは、いつも批判を受けています。この辺りの一切合切が、巨人を嫌いにさせるのでしょう。

更にフクシマです。

巨人の選手には責任はない。でもやはり考えてしまう。読売が政治力を使い、日本核武装のために原発を作ろうとして、言論を意図的に操作した。そしてその後スポンサーである東京電力を批判しなかった。


Dsc_3451


それでも巨人は勝たなければ行けない。あの川上哲治が死去したからだ。優勝で花を飾らなければ行けない。しかしだ、多分経営的には勝つ意味はない。

訳の分からない事が起きている。楽天優勝セールの準備だ。よくわからない。なぜイオンが準備するのだろうか。いやそれどころではない。徳島の企業からプレ楽天優勝セールの案内が来た。徳島だろ?関係ないよ。
そんなこんながある。楽天モールと関係する所はそう言った対応をせざるを得ないのだろうが、この違和感は大きい。

巨人ファンってこの程度だったのか。

しかし野球と言うのは、過去20年以上に渡る戦歴をすべて暗記していなければファンとは言えない世界でもある。ちょっと私には無理だ。だからファンが減る。巨人はそのあたりを本当に解っていない。



Dsc_3454


山本太郎参議院議員が、秋の園遊会で陛下に手紙を渡した件がある。「原発事故での子どもたちの被曝(ひばく)や事故収束作業員の劣悪な労働環境の現状を知ってほしかった」ということらしい。

ここまで馬鹿だとは思わなかった。

議員になってからも様々な物議はあったが、それはそれだと思う。無知であるからこそ出来る事もある。だが無知すぎる。憲法を読んだ事のない議員と言う事だ。あの薄氷を踏むような表現で規定されている天皇なのだ。

「象徴」

右翼にとっても左翼にとっても都合の良い言葉だ。これによって政治や権力から切り離した、王家として存在出来た。天皇には政治に関わる事を剥奪されている。

人権の制限があると言う事だ。自由な発言が最も制限されている。

山本太郎参議院議員のやった事は、古代においては直訴になるだろう。ただもの凄くうまくやらなければ行けない。歌に託すとか、そう言ったものになる。江戸時代では、幕府を超えた越権行為になるだろう。訴えが正しいかどうかはともかく、処罰の対象になる。

この件で、失礼だとか言われているが、最大の問題は極左であるはずの山本太郎氏が、天皇を頼った事だ。これだけはやってはいけない事なのだ。
極左だから理論上やっては行けない。確かに市民派の彼にはマルクスの影も見えない。しかし共産党と組むとかいっている。

天皇に手紙を渡す。確かに場の問題はある。だが同じ人間だから解ってくれると言う、期待で渡したのだろう。

残念でした。彼らは象徴であって、人権の制限された、権威であって、崇高な存在なのですよ。

だが山本太郎氏の行為は、多分「開かれた皇室」を目指している皇室の、先を阻害しただけになる。

韓国の新聞社あたりがこれを当たり揶揄してくれないかな。226って天皇への直訴だったのだよ。歴史を解っていないとまた言われそう。


ネットと車

2013-11-02 02:50:36 | インポート
JBプレスに「車に乗らなくなった米国人」と言う記事があった。なんとアメリカ人が車に乗らなくなっていると言うものだ。正確に言うと、乗る距離が小さくなっていると言うものだ。

不況に入る前の2005年から減少が始まっている点だ。もう1つは、経済が回復基調に転じても、運転距離が一向に増えない点である。現時点で92カ月間にわたり減少を続けており、専門家は「異常事態だ」と見ている。



オイルショックや不景気で車に乗らなくなる事もあるが、これは今までなかったと言う。ベビーブーマーの高齢化やガソリン代の高騰、不景気など様々な意見が出ているが、決定打はないらしい。


米国人の運転距離が減っている大きな原因は「16歳から34歳の若い層で急速な車離れが起こっているから」だというのだ。
この年齢グループは、2001年から2009年の間に積算運転距離が23%も減っている。一方で、公共交通機関の利用率は40%も上がっている。自転車通勤は24%の上昇だ。
一昔前は、米国の若者は16歳前後になると(州により免許を取れる年齢が異なる)こぞって運転免許を取った。車に乗ることが、自由への第一歩であり、大人の証しだった。
~略~
現在では、18歳の免許所有率は半数強と、過去に比べて激減している(AAA調査)。日本で若者の車離れが叫ばれるようになって久しいが、米国でも同様の現象が起きているのだ。



この記事でも車の維持費や、交通手段の発展なども理由に挙げられているが、やはり日米同時に起きていると言うのを考えなくてはならないだろう。


2001年からと言うのが大きい。ネット初期から起きている現象だ。仮説としては情報量がある一定以上多くなり、アクセスが容易になると、車に乗る人が減ると考えられる。

例えば旅行だが、大昔には旅行代理店の紹介や口コミ程度しか旅館情報はなかった。それが旅行雑誌やテレビで紹介されるようになった。そしてその情報量も多くなった。それでもまだ行ってみなければ解らない事がとても多かった。
情報量が少ない時代は、出かけると言う事に冒険の要素がある。失敗しても成功しても冒険は冒険だ。それなりの楽しみはある。しかしネットが広がり旅館が情報発信する時代になり、旅行雑誌も代理店が情報を取りまとめてネットで発信する時代になると、冒険の要素は無くなる。

情報を組み立てて体験するものに旅行が変わってしまう。もちろんそれも昔っからあった。だが旅館の当たり外れは、例えばネットの評価を見たりすれば解る。もちろんステマもあるが、それもよく読めばわかる。一泊二日の旅行は、精緻に組み立てられるようになっている。今の自分の趣味・し好に添って組み立てられる。逆説的に、精緻に組み立てられた、ある意味妄想に添った形にならない旅行と言うのはあり得なくなる。だから少しでも外れた場合にクレームが付きやすくなる。

旅行は冒険ではなく、スマートに処理される時代になっていると思う。スマートでない旅行はむしろ楽しくないものになっている。だからつまらないと思って尋ねた先が以外とよかった場合は、サプライズとなるわけだ。

旅行は、悪い事も良い事もサプライズなのですが…

その前に、溢れかえる情報を見てしまうと旅行した気分にもなるし、だいたいゲップが出る。大体それで満足出来る訳です。おまけに動画もネットで見れる時代ですから、行ったつもりになりやすい時代です。


ただ体験出来る情報と、ネットにある情報との差はまだまだ落差があります。それでもなぜ若者の車人気が落ちるのでしょうか。

多分車を運転しながら、ネットを楽しむ事が出来ないからです。ネットの方が精密でクールです。泥臭い車の運転よりは楽で楽しい方を選ぶのが大多数の人です。


今、ネットの方がクールと書きました。マクルーハンの「メディア論」でのクールメディアの延長と考えて頂ければ良いのですが、楽で楽しいだけではありません。SNSのようにアクティブに情報発信も出来ますし、コミュニティを作る事も出来ます。またもうそろそろとは言われていますが、拡大の余地はあります。特にちっぽけな個人から見れば、かなり大きなものです。
同じアクティブな自動車ですが、安全基準が厳しくなり車両価格が高くなり、保険や修理費・車検・燃料代などの維持費も馬鹿になりません。更に事故を起こした場合の責任も増大しています。リスクがかなり大きくなっています。収入がある程度ないと、車はかなり厳しいものです。まずコストパフォーマンスで負けているのが現在です。

自動車メーカーは各社ネット接続の車社会を提案しています。グーグルの自動自動車はその方向にあります。便利と言うよりは、ネットに接続する時間を彼らは欲しい訳です。
ちなみに、自動運転とネットを楽しむ事は、今の所法規制で難しい事になりそうです。ハンドルの両手手放しは事故の際、車の責任か人の責任か判断が出来ません。グーグルグラスのようなデバイスでも、どうなるのかは解りません。そう思っていたら「グーグル・グラス装着して運転、違反切符切られる 米カリフォルニア州」と言う記事がCNNにありました。
デバイスを利用するなら鉄道に乗れ!となりそうです。


情報化社会は、冒険を失ったかに見えます。ただパーソナルな部分ではまだいくらでも冒険の余地はあります。そこでソーシャルネットワークになってしまうと、車の出番は更に減ってしまいます。

多分そんなこんなが原因なのでしょう。安いコストの冒険があると言う事です。

交通サービスとネットが充実している国や都市ではこの傾向が強くなると思います。韓国あたりもどうなのでしょうか。そう言った意味でヨーロッパでも若者の自動車離れが報告されていれば、多分この仮説は成立するのでしょう。



もう少し考えなければ行けない事もあります。

車を運転すると言う意味です。これはバイクと同じかもしれません。

車は自分の時間を自分で使うための道具です。公共機関では、自分の時間を割かれてしまいます。思った時に旅立てる感覚が車にはあります。そして自分の運転技術によっては、早く・安く目的地にたどり着く事が出来ます。途中ドライブも楽しめるでしょう。

自分の時間と言う事では、今日本にある中高年のバイクブームがあるかもしれません。自分が割いて来た時間を取り戻すムーブメントだと考えています。車ではないのが重要です。バイクは身体と直結しているから、自由度を高く感じれます。一人ですし。

この「割かれた時間」の感覚は何なのでしょうか。会社・家族・その他でしょうか。なぜ「割かれた」のでしょうか。

自分の意志にそぐわない決断をさせられて来た、と言う事です。

さて車に戻ります。今の道路を考えれば、あまり快適とは言えません。それは走っている車を見れば解ります。車に乗って自由なはずなのに、なぜかもの凄い不自由を感じることです。そのイライラが道路の端から見えてきます。

まあそこに、新規参入のドライバーが入ったらどうなるのかと言う事は、誰もが予測出来る事で。

車社会が広がる事で、逆に車を運転する事を禁避する人が増えた、と考えられます。とりあえず車を運転しなければあのストレスから逃げられます。そこにコスト問題もあります。


私は車がないので、まあこれは仮説でしかありません。ただ車が不自由な道具になったとすれば、人気が無くなるのは確かでしょう。


PS

中高年のバイクブームに対してオープンカー、しかも4シートがまるで流行らないのは面白いことだ。2シートはよく見る。
多分なのだが、割いた時間もあるが、身体を取り戻したいと言う欲求が有るからなのではないのか。そう、自分の身体を自分でコントロールしたいという欲求。
オープンカー4シートだと、人を乗せないとかっこわるいし我がまま出来ないし。

あと派手すぎて世間から…。



なおこの運転時間の統計だが、今でもガンガン長距離を運転している人はいっぱいいる。ただそれを超えて、足としてしか車を使っていない層が増大していると言う事だろう。これは日本でも同様で、日本の軽自動車が高級化している理由の一つだ。ジョギングシューズの高級化と多分同じだ。