どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

回数券があまりそう

2017-08-18 00:57:07 | 日記

 

今日も予想最高気温は26度だったが23度台で止まってしまった。

都南の屋外プールの回数券が2枚余ってしまった。来年度も使えるのだが、なにぶん紙なので破れたり濡れたり、大事にしまってかえって紛失してしまったりしそうだ。できれば今年中に使ってしまいたい。だが天気が悪い。この調子だと大切に保管してしまうことになりそうだ。そこで天気を計算して泳ぎにゆく。昨日も泳いだので今日はノルマ1000メートルだ。30分以内だと水温が23度以下でもなんとか体を冷やさずに泳ぎきることができるだろう。

と短期降水予報やレーダーナウキャストや気象衛星の写真を見て、都合よく出発した。

 

 

途中パラパラきていたのだが、都南のあたりで霧雨になった。新幹線の高架下で雨宿りするが、高架が高すぎて霧雨だとあまり効果がない。

まあ今あることの原因を考えてゆけば、人一人に委ねられることがあまりにも多くなったということだ。量産系女子という画一的なファッションが生まれた原因は、情報量があまりにも多くなりすぎて判断できなくなってしまったということがある。そこで天気情報を中心としたコーディネートをAiが行うサービスが出てきたが、これは日本だけではないというのが注目される。アメリカでもサービスが始まっている。まあその前にファストファッションで服が被りやすい時代だ。同じTシャツを着ている人とバッタリあったら気まずいのは私も確かだ。まあ私は「オーブラザー!」と積極的に逃げる手段を取るけどね。どっちにしても気まづい。

それ以外にも色々ある。人との会話はどうすればいいのか、人を傷つけないようにスマートに議論する方法はとか、どうゆうことかといえば、自分がどう見られているかというのを精密に考える時代になった。そう精密なのだ。それはツイッターやフェースブックやラインで計測できるのだ。インスタグラムもある。これは写真中心なのでさらにメンドくさい。

計測できれば改善する努力もあるが、どう改善すればいいのかは誰も教えてくれない。その前に個性が重要だと教えられてきた世代にとっては、二つに分離された世界に住むことになる。本人の個性は内面と外観に分離された。内面は頭脳作業だ。ネットとは親和性がある。ところが現実社会は服装から口臭・体臭まで、身体に関わることから言動や身振りやそれらで、人から誤解されたり嫌われる可能性が大きい。

二つの社会が一つの体にあれば、どちらかを選択することになる。

 

 

しかしだが頭脳だけで生きられる人間はそうそういない。ましてや社会的に成功できる人間もそうそういない。その現実が人をさらに引き裂いてゆく。人は二つ備えないと生きていけないからだ。

分裂した個人は単純な答えを求める。いや正確にいえば単純な答えが世の中に散らばっているだけなのだ。その単純な答えを原理主義という。

世の中はその単純な原理主義に簡単に影響されるようになった。宗教の原理主義はもとより、保守原理主義、まあこれは昔っからあるけどね「日本人だろ!」、法律原理主義「人を撮影する際には契約しなければいけない」さてそれでは監視カメラはどうするんだい、スマホでの写真の増大量はどうなのかな。

しかし社会はよほどに複雑だ。原理主義者は単純化することで、その複雑さから逃げているだけだと思う。だけど逃げられない人もいるのだな。

それはカメラマンだ。

 

 

都南の田んぼは出穂に関して一応回復はしているが、この辺りひとめぼれの地域なんだよ。気象庁の一ヶ月予報では再来週から天気が好転するようだが、不稔率は高くなりそうな気配がある。

少しだけ考えたいことがある。実は秋田・青森の田んぼの写真を前に出していたが、あの中には飼料用米がありそうだということだ。青森でも七戸とか八戸では多いかもしれない。飼料用米は草丈が高いのと穂の色が少し違うのでわかりやすい。米として収穫するなら10アール当たり1トン取れる品種もある。そういったのがあるのかなと思っていた。青森はそういった営農があるように見えた。ただ現実的には、水田を飼料用米に転換したがいいが補助金が打ち切られたりした場合、食料用米の品種を植え付けても、飼料用米の落穂が発芽して実を結んでそれがコンタミになる可能性が高い。もしも食料用米と飼料用が混ざってしまったら、それだけで最低ランクになってしまうのだ。

もちろん今ではある程度の規模を持つ農家では玄米のメッシュでの篩わけとか、玄米での色選別でコンタミを排除できるのだが、今でも大多数の兼業農家では全くできないわけだ。そこで、食料用と同じ品種を植え付けるのが一般化してしまった。政策あれば対策ありの世界だが、飼料米では味ではないので多施肥になっている可能性がある。収量を狙うからだ。これが今年悪さをしなければいいと思う。多施肥は今年の状況ではイモチ病の発生源になるからだ。

広い田んぼを見れば誰もが同じ品種を植えていると思うが、実は違うこともある。いい田んぼには美味しい品種、悪い田んぼには収量だけの品種と使い分けをしている。かなりモザイクになっているのが盛岡近辺の状況だ。

 

 

暗闇にある一つの明かりを目指すのはいいのだが、暗闇を知らなければ不安しか残らない。