ヒデ系の瞳

平和憲法尊守

安保が分かれば、世界が見える ⑥ 日米安保条約と日本国憲法

2012-09-13 | 安保が分かれば、世界が見える
第6回 私たちはどんな未来を (上)  岡村共栄

1 資本主義と基本的人権

(1) 第一世代の憲法:自由・平等・財産権

 近代的な憲法の誕生は、18世紀末のアメリカの独立戦争後の各州の憲法とフランス革命後の人権宣言だといわれています。
 最初の憲法で認められた基本的人権は、自由権(言論・政治結社・宗教など)と法の下の平等、財産権の不可侵でした。これらの人権を第一世代の人権ともいいます。
 資本制社会が発展する過程で、商品交換を通じて、商品所有者同士の人格が相互承認され、契約の自由が確認され、古い身分制社会(日本では士農工商の身分がありました)から、個人が解放され、この意味で自由平等な人間関係を確立したのですが、それは革命の担い手のブルジョアジーの掲げた社会的要求が承認されたものなのです。

(2) 第二世代の憲法:社会権・労働権

 19世紀にはマルクスやエンゲルスが出て、国民一人ひとりの実質的な平等、自由を求める運動が高まってきました。20世紀に入るとロシア革命がおこり、その影響もあって、1919年にドイツのワイマール共和国の憲法は新しい人権:生存権、教育権、労働権といわれる社会権を人権として承認しました。

2 平和的生存権と平和主義―私たちの憲法は、画期的!

(1) 日本は、悲惨な戦争の経験を経て、戦後、日本国憲法を制定しましたが、この憲法には第一世代の人権である自由・平等・財産権や、第二世代の人権である社会権・労働権・教育権などが盛り込まれ、それまでの人類社会の発展の到達点を踏まえると同時に、新たに戦争放棄と平和的生存権の確認を行うという画期的な前進をしました。

(2) かつては、戦争は、独立国家の当然の権利だと考えられてきましたが、第一次世界大戦後、国際連盟、パリ不戦条約を経て第二次世界大戦後の国連憲章で、戦争は違法であることが確認されました。

(3) このような流れにそって、その平和思想をいっそう発展させたのが日本国憲法前文の平和的生存権と戦争放棄・武力不保持を定めた9条なのです。
 平和的生存権や憲法9条は、悲惨な世界大戦の反省にたって確立されたのですが、この戦争は、資本主義国が植民地の再配分を目的として争ったものであり、利潤追求を最大限追求する資本主義的行動様式(それは、非正規雇用労働者の「使い捨て」にも現れています)の結果が、戦争という形態をとったものといえます。
 その戦争の悲惨さを反省して、(かつては国家の当然の権利とされていた)戦争を放棄するということは、資本主義の野放図な利潤追求行動に対して、人類の生存、社会の持続的発展の立場から、それを規制する役割を持ったものだといえます。
 利潤追求本位の弱肉強食の資本主義を人間的な理性で制御する可能性を示したという意味では、画期的な発展であるというべきであり、この平和的生存権が第三世代の基本的人権とも言われる所以です。

3 追い詰められた安保体制

(1) 日本の戦後の歴史は、平和憲法と、それを黒雲のように覆い隠そうとする安保体制の矛盾と相克の歴史だったといえます。

(2) まず、改憲論で焦点になっているのが集団的自衛権です。
 政府は、9条は自衛権(個別的・集団的)は認めているが、集団的自衛権は行使できないという解釈にたってきました。
 集団的自衛権というのは、軍事同盟関係にある一方の国家が戦争をしたとき、同盟関係のもう一方の国家も集団的自衛権の行使だとして戦争に参加できるというものです。しかし、仮に9条を自衛のための戦争を認めるものだと解釈することが許されるとしても、自国に対して、直接的な、現実的な攻撃がなされていない状態で、同盟国の戦争行為に参加することまで許されるとする9条解釈は成り立たないはずです。
 平和的生存権の考え方からすれば、そもそも軍事同盟を結んで仮想敵国と対峙する考え方(この軍事同盟による安全保障の考え方は、戦後少なくなり、現在では日米、米韓、米豪、NATOなど、ごく一部となっています)自体が憲法の精神と相容れないものであることは明らかだと思います。
 今の自民党や野田政権が集団的自衛権に走ろうとする方向は、まさに憲法破壊の道であり、時代に逆行するもので、いよいよ国民の良識とかけ離れたものとなっているのではないでしょうか。
 これは「抑止論」についても同じです。
 「抑止論」というのは、仮想敵国を前提に、その国より軍事力が勝っていることが相手国の戦争意欲を抑えることになるということですが、まさに仮想敵国を前提に軍事力で上に出ることを憲法は安全保障の道として定めているのでしょうか。
 憲法前文では【平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した】ということであり、軍事力を競うような考え方は憲法の精神とは全くかけ離れたものであることは明らかです。

日本国憲法・前文
 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。
 われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理念を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
 われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと務めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。
 われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して、他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。


(3) 沖縄の普天間基地の移転問題とオスプレイの配備問題や、原発の再稼働の問題についてはどうでしょうか。原発も安保に重大な関係があります。核燃料は、すべてアメリカから買っているし、生産されるプルトニウムは核兵器の原料となります。
 ここで問題になるのが、平和的生存権との関係です。
 名古屋高裁は、2008年にイラク特措法に基づく自衛隊派遣を憲法違反だと判示しました。
 その中で平和的生存権の法規範性にふれて、「例えば、憲法9条に違反する国の行為、すなわち戦争の遂行、武力の行使等や、戦争の準備行為等によって、個人の生命、自由が侵害され又は侵害の危機にさらされ、あるいは、現実的な戦争等による被害や恐怖にさらされるような場合」には、裁判所に対し「違憲行為の差止め請求や損害賠償請求等の方法により救済を求めることができる場合があると解することができ、その限りでは平和的生存権に具体的権利性がある」としました。
 この判決は、平和的生存権の具体的な解釈を示し、その適用可能性を明らかにしたもので、今後の私たちの運動に大いに使えるのではないでしょうか。
 世界一危険な普天間基地の撤去要求をする、墜落事故を頻繁に起こしているオスプレイの配備によって平和な生活を脅かされるから配備を許さない、さらには、原発の再稼働により、近隣住民は平和的な生活を奪われる可能性がある、これらに対して関係する住民は、平和的生存権を主張できるのではないでしょうか。

(4) 野田内閣の消費税と社会保障の一体改革、TPPの加盟問題はどうでしょうか。
 日米安保条約第2条の経済的協力促進条項に基づき、重大な経済問題についてアメリカから要求され、日本はそれに従わざるを得なくなっています。
 安保は諸悪の根源といわれていますが、まさに安保を通じてアメリカの属国のような、アメリカいいなりの政治が行われていることが問題です。
 憲法では、消費税は、平等の原則に違反し、また、弱者の生存権侵害にもつながります。社会保障は、まさに憲法25条の生存権の問題です。TPPは、日本農業を崩壊させて、アメリカのルールを押し付けようというのですから、まさに国民主権の侵害であり、農家や中小業者の生存権の問題でもあります。

(5) 今日の日本の様々な問題は、ほとんどが安保体制から来ている問題だといっても言い過ぎではないでしょう。まさに安保体制そのものが憲法と相容れない状態であることが、より一層明らかになりつつあります。
 現在、安保そのものをなくしてしまえという意見がかなり増えてきています。安保体制による矛盾の国民への押し付けは、もう我慢の限界を超えているのです。
 安保条約10条は、一方の国が終了を通告すれば、安保条約は、通告後1年を経過して消滅すると決めています。
 迷惑なTPPを押し付けられるより、おおもとの安保破棄の通告をしたほうがいいとか、普天間の移転先を探すより、安保破棄の通告をすれば、すべての基地から米軍がいなくなるのだから、それをやるべきだという議論がいま、日毎に増えています。

4 日米安保をなくしたら、どういう展望が開かれるか

(1) 共産党の志位委員長は、安保をなくしたらどういう展望が開かれるかについて、3つの点を指摘しています。
 一つは、米軍基地の重圧から日本国民が解放されるということ、二つは、アメリカの「戦争の根拠地」から、憲法9条を生かした「平和の発信地」に、そして三つは、日本の経済主権を確立する確かな保障が作られるというものです。
 新しい希望の未来が開けます。全国革新懇が出した「日米安保条約をなくしたらどういう展望が開かれるか」というパンフレットが出ていますので、ぜひこれを学習してほしいと思います。

(2) 私は、志位さんの指摘に加えて、日米安保条約をなくしたら、憲法を私たちの暮らしに生かせる時代がやってくることを強調したいと思います。
 私たちの憲法は、資本主義の歴史的な進歩性を取り入れて、個人の尊厳・平等・自由を確認しました。そして生存権や労働権を保障して、国民のより一層具体的な自由・平等を保障しようとしました。さらには、戦争を否定し、資本主義の暴走に歯止めをかける平和的生存権も確認しました。
 21世紀の資本主義は、行き過ぎた利潤追求を社会全体の智恵で抑制し、高度な生産力によって生じる自由な人間の時間を、人間としての全面的発達のために使えるような時代へ転換していくでしょう。
 憲法の人権も、労働権をより進化させて、「人間らしい労働」(ディーセントワーク)をする権利を確認し、資本の社会的責任を明確にする方向(たとえば食品の安全性を消費者の権利として確認することなど)も明らかにされていくでしょう。
 国民の意思としての憲法は、21世紀社会において、ますます有効な力として作用するようになるだろうと思います。
 そのためにも憲法の障害物である安保をなくすために、皆で力を合わせていきましょう。
(おかむら・きょうえい/神奈川労働者学習協会副会長・弁護士)
【学習の友 2012-Nо:709 9)

自民党による新改憲案 国防軍・天皇元首・非常大権
http://blog.goo.ne.jp/hydebrave/e/a4ca8b776ccb348018cc9ee5ff314eb9

新憲法制定議員同盟会長・中曽根康弘 相次ぐ改憲発言
http://blog.goo.ne.jp/hydebrave/e/eb747da0a60fb1af266e660997618bef

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