東京ミッドタウン内の21_21デザインサイトにて開催されている『倉俣史朗とエットレ・ソットサス展』にいってきました。
ソットサスとの回顧展ということもあってか、展覧の内容はプロダクト作品にスポットが当てられていたような印象を持ちました。
ビデオ映像によるインタビューなども併せて展示してあり、倉俣自身が戦争のときに体験した美しい光景など、その作品の源となるような貴重な話を聞くことができます。
倉俣さんの展覧会は、以前原美術館で開催された「倉俣史朗の世界」展を見て以来でした。
あれから、15年もたったのかと思うと学生時代に一日に5,6件も美術館やギャラリーをむさぼるように見て廻っていたことを思い出しました。。
コインロッカーに荷物が入らなくて受付の後ろに置かせてもらったこと、展覧会の図録が高価で別刷りのパンフしか買えなかったこと、はじめてナム・ジュン・パイクのビデオアートにふれたことなど、見るものふれるものの全てが新鮮でした。そして、三保谷硝子という匠の存在を知るきっかけにもなりました。
倉俣さんの作品で特徴的な透明性や浮遊感は、ガラスやアルミなどのツルツル、ピカピカの素材、キラキラした未来志向の素材を用いる一方で、新しいマテリアルの組合せや精密な抽斗の細工など、匠の技術に裏付けられた素材への挑戦的な取組みだったように感じます。
そして、「物が壊れた瞬間=いちばん美しく、儚い瞬間」を例えば割れた硝子を用いるなどの手法を用いることで、その「瞬間」を閉じ込め、表現するという行為は、多くの建築家やデザイナーに影響を与えたと感じます。
15年ぶりに手に入れることができた図録(左)と今回の図録(右)
ソットサスとの回顧展ということもあってか、展覧の内容はプロダクト作品にスポットが当てられていたような印象を持ちました。
ビデオ映像によるインタビューなども併せて展示してあり、倉俣自身が戦争のときに体験した美しい光景など、その作品の源となるような貴重な話を聞くことができます。
倉俣さんの展覧会は、以前原美術館で開催された「倉俣史朗の世界」展を見て以来でした。
あれから、15年もたったのかと思うと学生時代に一日に5,6件も美術館やギャラリーをむさぼるように見て廻っていたことを思い出しました。。
コインロッカーに荷物が入らなくて受付の後ろに置かせてもらったこと、展覧会の図録が高価で別刷りのパンフしか買えなかったこと、はじめてナム・ジュン・パイクのビデオアートにふれたことなど、見るものふれるものの全てが新鮮でした。そして、三保谷硝子という匠の存在を知るきっかけにもなりました。
倉俣さんの作品で特徴的な透明性や浮遊感は、ガラスやアルミなどのツルツル、ピカピカの素材、キラキラした未来志向の素材を用いる一方で、新しいマテリアルの組合せや精密な抽斗の細工など、匠の技術に裏付けられた素材への挑戦的な取組みだったように感じます。
そして、「物が壊れた瞬間=いちばん美しく、儚い瞬間」を例えば割れた硝子を用いるなどの手法を用いることで、その「瞬間」を閉じ込め、表現するという行為は、多くの建築家やデザイナーに影響を与えたと感じます。
15年ぶりに手に入れることができた図録(左)と今回の図録(右)