3.11から5か月経って、ようやく被災地に行ってきました。
ありのままの現状を見るために一路、石巻を目指しました。
山形からは仙台経由でバスで向かいました。仙石線が全線復旧のめどが立っていない現状ではバスが確実でした。
石巻駅周辺はだいぶ日常生活が戻ってきているように感じましたが、沿岸部に近づくにつれ、道路や地面こそ瓦礫が片づけられているものの、津波が通り抜けたと思われる家屋や津波が運んだと思われる小型船などは、まだそのままの状態になっていて、被害の甚大さを改めて感じました。
中瀬に移築された石巻ハリストス正教会は、国内最古の木造教会といわれており、1978年の宮城県沖地震のときにも被災して、地域の人たちの尽力により修復保存されたという経緯をはじめて知りました。
後方に見えている白い球体は石ノ森萬画館で、その傍らには近くのマリーナから流されてきた小型船がゴロンと横になったままの状態になっていました。
このほかにも現場の写真は撮ってきたものの、ここで掲載するのは差控えたいと思います。
従来の敷地の中だけで物事を考えているような建築家は無力だということを痛切に感じました。
この土地で生まれ育った人たちのことを思うと、この地域の復興を今後どのように進めていくべきかというのは、頭ではわかっていても気持ちは簡単には切り替えられない難しさがあるように感じました。
人は土地から離れては生きていけないという思いを強くしました。
私自身、「子ども達のためのシェルター」など、できることをできることから取組んでいますが、次代の子ども達が戻ってきたいと思えるような街のあり方を「環境デザイン」をキーワードに模索していきたいと思います。
ありのままの現状を見るために一路、石巻を目指しました。
山形からは仙台経由でバスで向かいました。仙石線が全線復旧のめどが立っていない現状ではバスが確実でした。
石巻駅周辺はだいぶ日常生活が戻ってきているように感じましたが、沿岸部に近づくにつれ、道路や地面こそ瓦礫が片づけられているものの、津波が通り抜けたと思われる家屋や津波が運んだと思われる小型船などは、まだそのままの状態になっていて、被害の甚大さを改めて感じました。
中瀬に移築された石巻ハリストス正教会は、国内最古の木造教会といわれており、1978年の宮城県沖地震のときにも被災して、地域の人たちの尽力により修復保存されたという経緯をはじめて知りました。
後方に見えている白い球体は石ノ森萬画館で、その傍らには近くのマリーナから流されてきた小型船がゴロンと横になったままの状態になっていました。
このほかにも現場の写真は撮ってきたものの、ここで掲載するのは差控えたいと思います。
従来の敷地の中だけで物事を考えているような建築家は無力だということを痛切に感じました。
この土地で生まれ育った人たちのことを思うと、この地域の復興を今後どのように進めていくべきかというのは、頭ではわかっていても気持ちは簡単には切り替えられない難しさがあるように感じました。
人は土地から離れては生きていけないという思いを強くしました。
私自身、「子ども達のためのシェルター」など、できることをできることから取組んでいますが、次代の子ども達が戻ってきたいと思えるような街のあり方を「環境デザイン」をキーワードに模索していきたいと思います。