森美術館 ル・コルビュジェ展
正直言って、1996年に池袋のセゾン美術館で開催された展覧会に比べて、とてもとても不満の残る内容でした。
資料の数、質も偏りが多く、説明も非常にわかりにくい内容でした。しいて言えば、実物大の模型で、空間を実体験できるような展示方法が特徴でしょうか。(それでも、アトリエの壁を実際の素材ではなく、拡大した写真というチープさにもガックリしまたが。。)
図録に収録されている磯崎さんのアイロニカルな文章にあるように、日本においては、既にコルビュジェは神格化されているのかもしれません。
ただ、あんな面白くもなんともない展覧会を、有り金をはたいて見ざるを得ない建築家の卵たちに対して、キュレーター陣は猛省してほしいものです。
前々からうすうす感じてはいましたが、森美術館は私設美術館の在り方自体について、倫理観をもう少し感じてほしいものです。私立の美術館とは、もともとコレクターが自分のコレクションを広く公開するものであって、それは、地域の人々の生活に豊かさを与えるものであったり、文化レベルの向上に寄与するようなものではないのでしょうか。
海外の優れた美術館の多くは、学生は無料ですし、フラッシュなしであれば写真撮影も自由です。美術館を地域に広く開放することで、その地域の人々の文化レベルや生活が豊かになるというのは、とても大切なように思います。
もし私が、こんなにも会期が長い展覧会をコーディネイトするとしたら、毎月展示内容を更新したり、ワークショップのようなことを動態展示するといったことを考えるかもしれません。
そして、大きな実物大の模型は、美術館の中ではなく、地上の広場や公園、毛利庭園にインスタレーションのように置いて、誰でも自由に入れるような遊具的な展示をするかもしれません。
なにしろ、日本では、コルビュジェを知ることが建築家への入口なのですから。
正直言って、1996年に池袋のセゾン美術館で開催された展覧会に比べて、とてもとても不満の残る内容でした。
資料の数、質も偏りが多く、説明も非常にわかりにくい内容でした。しいて言えば、実物大の模型で、空間を実体験できるような展示方法が特徴でしょうか。(それでも、アトリエの壁を実際の素材ではなく、拡大した写真というチープさにもガックリしまたが。。)
図録に収録されている磯崎さんのアイロニカルな文章にあるように、日本においては、既にコルビュジェは神格化されているのかもしれません。
ただ、あんな面白くもなんともない展覧会を、有り金をはたいて見ざるを得ない建築家の卵たちに対して、キュレーター陣は猛省してほしいものです。
前々からうすうす感じてはいましたが、森美術館は私設美術館の在り方自体について、倫理観をもう少し感じてほしいものです。私立の美術館とは、もともとコレクターが自分のコレクションを広く公開するものであって、それは、地域の人々の生活に豊かさを与えるものであったり、文化レベルの向上に寄与するようなものではないのでしょうか。
海外の優れた美術館の多くは、学生は無料ですし、フラッシュなしであれば写真撮影も自由です。美術館を地域に広く開放することで、その地域の人々の文化レベルや生活が豊かになるというのは、とても大切なように思います。
もし私が、こんなにも会期が長い展覧会をコーディネイトするとしたら、毎月展示内容を更新したり、ワークショップのようなことを動態展示するといったことを考えるかもしれません。
そして、大きな実物大の模型は、美術館の中ではなく、地上の広場や公園、毛利庭園にインスタレーションのように置いて、誰でも自由に入れるような遊具的な展示をするかもしれません。
なにしろ、日本では、コルビュジェを知ることが建築家への入口なのですから。