竹田茂さんのスタイル株式会社が運営している「携帯大学」の会合で、未来生活デザイナー、美崎薫さんのレクチャーを聴いた。
美崎さんは自宅で「記憶する住宅」というプロジェクトを実施している。これまでの人生で出会った人や読んだ本、観たビデオ、見た風景などありとあらゆる体験をデジタルコンテンツ化し、ハードディスクに蓄積するというものだ。そしてこの蓄積したデータは、Smart Calenderなどのアプリケーションソフトを使って閲覧することができる。このソフトは2004年度のIPA未踏ソフトウェア事業にも採択されているが、非常にすぐれたインターフェイスを持っている。このソフトを使って過去の写真を見る体験は、不思議な感動を伴っている。
美崎さんの試みは、マイクロソフトのゴードン・ベル博士が行っているMyLifeBits(私の人生の断片)プロジェクトと同等のものといえる。
これらのプロジェクトを総称して、「ライフログ」と呼ぶ人もいる。自分の人生が、どれだけデジタルに転写できるのか? デジタルに転写された人生は、イコール自分となるのか? もしデジタルコピーの技術がどんどん進化していって、人間が外界から取り入れた五感すべてをデジタル化できるようになったとしたら、そのデータは自分をそのまま表現したものになるのか? そうだったらそのデータに転写されない「自分」には何が残っているのか?
考え出すときりがないが、非常に興味深い思考実験だと思う。
ところでその日の美崎さんのレクチャーでは、読んだ本をどうデジタル化するのかという話があった。世の中のたいていのものはアナログで、それをすべてデジタル化していくのは非常な困難が伴う。写真はデジカメで撮れるからまあいいとしても、たとえば配布される紙の資料、映画館で観る映画、コンサートで聞く音楽はみんなアナログだ。
私が美崎さんに初めて会った時、名刺を渡すと彼はその名刺を首からぶら下げていたデジカメでパチリと撮影し、名刺を返してくれた。彼はそうやって何でもデジタル化しているのである。しかし本はそう簡単にはいかない。読んでいくはじから一枚一枚スキャンしていくのはたいへんだし、本に集中できない。
そこで彼は、SOHOビジネスの人に依頼して、本を丸ごと一冊渡してスキャンを頼んでいるのだという。料金は1枚10円。250ページの本なら2500円になる。買う値段よりも高くなるが、その金額ですべてデジタル化されるということを考えれば、安いともいえるかもしれない。
しかしデジタル化されていても、あくまでそれはスキャンデータであってテキストになっているわけではない。だから検索はそのままの状態では不可能で、もう一段仕掛けが必要になる。理想的にはOCRだが、いまの技術レベルでは現実的ではない。現実的な解としては、ページごと、章ごとなどにタグをつけていくということになる。
しかしこの手間もそうとうに面倒で、ひとりの力では難しい。だから美崎さんは「本は人々の共有物なんだから、みんなでタグを付けていくようなことができればいいのに」という。最近、Flickrなどで話題となっているフォークソノミーの考え方である。だが現実には、著作権の問題があるから書籍をデジタル化し、そこにみんなでタグ付けをしていくというプロジェクトは日本ではなかなか実現しそうにない。
美崎さんは自宅で「記憶する住宅」というプロジェクトを実施している。これまでの人生で出会った人や読んだ本、観たビデオ、見た風景などありとあらゆる体験をデジタルコンテンツ化し、ハードディスクに蓄積するというものだ。そしてこの蓄積したデータは、Smart Calenderなどのアプリケーションソフトを使って閲覧することができる。このソフトは2004年度のIPA未踏ソフトウェア事業にも採択されているが、非常にすぐれたインターフェイスを持っている。このソフトを使って過去の写真を見る体験は、不思議な感動を伴っている。
美崎さんの試みは、マイクロソフトのゴードン・ベル博士が行っているMyLifeBits(私の人生の断片)プロジェクトと同等のものといえる。
これらのプロジェクトを総称して、「ライフログ」と呼ぶ人もいる。自分の人生が、どれだけデジタルに転写できるのか? デジタルに転写された人生は、イコール自分となるのか? もしデジタルコピーの技術がどんどん進化していって、人間が外界から取り入れた五感すべてをデジタル化できるようになったとしたら、そのデータは自分をそのまま表現したものになるのか? そうだったらそのデータに転写されない「自分」には何が残っているのか?
考え出すときりがないが、非常に興味深い思考実験だと思う。
ところでその日の美崎さんのレクチャーでは、読んだ本をどうデジタル化するのかという話があった。世の中のたいていのものはアナログで、それをすべてデジタル化していくのは非常な困難が伴う。写真はデジカメで撮れるからまあいいとしても、たとえば配布される紙の資料、映画館で観る映画、コンサートで聞く音楽はみんなアナログだ。
私が美崎さんに初めて会った時、名刺を渡すと彼はその名刺を首からぶら下げていたデジカメでパチリと撮影し、名刺を返してくれた。彼はそうやって何でもデジタル化しているのである。しかし本はそう簡単にはいかない。読んでいくはじから一枚一枚スキャンしていくのはたいへんだし、本に集中できない。
そこで彼は、SOHOビジネスの人に依頼して、本を丸ごと一冊渡してスキャンを頼んでいるのだという。料金は1枚10円。250ページの本なら2500円になる。買う値段よりも高くなるが、その金額ですべてデジタル化されるということを考えれば、安いともいえるかもしれない。
しかしデジタル化されていても、あくまでそれはスキャンデータであってテキストになっているわけではない。だから検索はそのままの状態では不可能で、もう一段仕掛けが必要になる。理想的にはOCRだが、いまの技術レベルでは現実的ではない。現実的な解としては、ページごと、章ごとなどにタグをつけていくということになる。
しかしこの手間もそうとうに面倒で、ひとりの力では難しい。だから美崎さんは「本は人々の共有物なんだから、みんなでタグを付けていくようなことができればいいのに」という。最近、Flickrなどで話題となっているフォークソノミーの考え方である。だが現実には、著作権の問題があるから書籍をデジタル化し、そこにみんなでタグ付けをしていくというプロジェクトは日本ではなかなか実現しそうにない。