英語は侵略者の言葉であり語調は高圧的な命令口調に適している。
先進国でも英語が出来ないと高等教育が出来ないとなると問題だ。
◆文化帝国主義(反英語教育論) 2008年2月8日 歴史と日本人
「外国語=英語」という思い込みは何の根拠もなく、しいて言えば国際社会の権力構造に由来するといえるだろう。つまり現代がアメリカ覇権(パクス・アメリカーナ)の時代であり、それに近づくことこそ国際社会の必須条件というわけである。ここに壮大な文化の階級化というか、文化の優劣が国際社会に露骨に出ている状況を見なくてはならない(もちろんこれは日本に限ったことではない)。だいたいにおいて、今日英語といっているのはアメリカ英語であり、イギリス英語でもなければオーストラリアのでもなく、インドのでもなく、フィリピンのでもない。基本的に今の日本で子供たちが学ばされている英語は、アメリカ英語教育を受けた人かアメリカ人にしか通用しないものだということを覚えておくべきであろう。実際は家庭内で使う言語(母語)人口では、英語は支那語は無論のこと、スペイン語にも負けている(英語の母語人口はたった三億人である)。英語を第一言語として話す人口は、日本人が考えるよりずっと少ないのだ。
こうした英語帝国主義、文化帝国主義ともいえる状況が現代の国際社会に出現していることに、人はあまりに無頓着である。むしろこれは左派のほうから「反帝国主義」という形で提出されてきた。しかしそれは多くはただの「反アメリカ」によるものだった。国際交流が進むなかで、鎖国できるわけでもないだろうから、少なくとも文化帝国主義の時代が今後長く続くことは間違いない。したがって日本の選択はそれに乗っかるか、抗うかの二通りであろう。
乗っかった場合、日本語などやめて英語を公用語にすべきだ。そうすることでさまざまな国際舞台で日本人は「英語」を話すことができ、それは(現に今現在英語圏の国がそれを享受しているように)大きな国益となる。ビジネスの場においても、政治の場においてもである。
抗う場合には、そもそも英語教育をするべきではない。少なくとも、全国民必修にすべきではないだろう。はっきり言って英語など必要としない人のほうが、今の日本社会には(そしておそらく今後も)ずっと多いのである。数ある外国語の中から、一つ選択する仕組みなどにすればよいだろう。英語もその選択肢の一つでしかないという位置づけならば、外国語間での優劣はない。
そして最大のなすべきことは、日本語の輸出である。外国語を学ぶことで国際化を達成するのではなく、日本語を外国人に学ばせることで国際化を達成する。これこそ国威を真に輝かせる方法と言えるだろう。海外での日本語学習者は徐々に増えつつあるが、まだまだ伸びしろはある。日本語には前途がある。
左派は「文化帝国主義」に反発する中でこうした「日本語の輸出」にもまた反対してきた。しかしそれは国際競争の実態を見ない議論である。国家の他国に及ぼす精神侵略はもはや避けられるとは思えない。むしろそれに抗う気概と、進んで自国の文化を他国に示す努力が求められていると言える。だから最初から私は「国際化に必ずしも反対しない」と言っていたのである。鎖国的に閉じこもることは、今の日本の資源状況を見ても、できることとは思われない。
海外進出は日本語で行うべきだ。日本人は一億人もいるのだから、世界の中で日本語が少数言語とは言えない(世界十一位だそうだ)。にもかかわらず、妙に日本人は自国の言語に対して自信を持たない。積極的に海外に日本語を広めるだけの資質と需要を日本語は兼ね備えているのだ。インターネットでは日本語は英語と並んで優勢だし、日本語による活字出版物も非常に多い。それを支えているのは日本人の勤勉さと活字への関心の高さである。日本人ほど活字文化を古くから育んでいる民族は少ない。源氏物語は(作者も成立年代もはっきりしているものの中では)世界最古の長編小説である。英語を学ぶ暇があったら、日本語をもっと信頼すべきであろう。それを「英語を学ばなければ国際社会に乗り遅れる」などと言っているあたり、日本人が欧米人に完全に精神侵略されている証なのである。精神侵略から目覚めることが、今の日本に求められている。日本人の自立と独立を願う。
◆「日本のガラパゴス化問題」は市場の問題ではない(2) 5月30日 ベドウィン・ピエロの小部屋
この記事へのコメント1
自分の良いようにルールを作って、それを押しつけるやり方はアングロ・サクソンの得意とするところですよね。生存競争に打ち勝つためには有利なのでしょうが、あまり好きな思考法ではありません。
ところで、かつてのインターネットが英語一辺倒になっていた理由を述べるなら、インターネットはアメリカで生まれアメリカで育ったものだから、当初は英語の使用が明示的にせよ暗示的にせよ想定されていたから、だと自分は思います(だから、一昔前の日本人の ウェブサイトには "Sorry, Japanese Only" と書かれていることが多かったですよね)。
単なるコンテンツの量と言うことであれば、スペイン語や中国語の台頭が著しい今、英語の比重は相対的に下がっていることと思います。
しかし、政治、経済、科学、ジャーナリズム、スポーツなどの広範な分野で、国際的な コミュニケーションが英語のみを通じて行われるような場面が圧倒的に増えている現在、英語の公用語としての位置はなかなか揺るがないことでしょう。
ぼくが春まで勤めていたドイツ資本の外資系企業の公用語は英語でしたよ。販売する印刷機のマニュアルもトレーニングも全部英語。
まとめると、当初は英語の使用を想定されたインターネットが、世界規模のものに発展するにつれて、公用語としての英語を取り込んでいった、ということになると思います。
この記事へのコメント2
「危機感に説得力が足りない」と私が感じるのは、一つ前のレスに書いたように「ベドさんの日本語公用語化論は、実現可能性がとてつもなく低いとしか感じられない」からです。だから一つ前のレスで、私は現在公用語である英語にリソースを割いた方が現実的だ、と書きました。
しかし、その次についたベドさんのレスを読むと、日本語公用語化について実現可能性が低いとは思っていないことが説明されます。私との意識の違いが大きく、そこで議論が齟齬をきたしていたことがわかりました。
「なぜ危機感を感じなければならない」のかについては、私自身の考えはあります。英語の公用語化が進むことで、国際的な場面に限らず日本のビジネスや高等教育の英語化が進むと思われます。生活言語としての日本語は生き残るでしょうが、難しいことを話す際は英語を使うと行った事態を招きかねません。これは日本語の国際的な地位の衰退をも必ず伴うでしょう。少なくとも、高等教育の英語化については、私は反対の立場をとりたいと思います。ただし、これと日本語の公用語化論には大きな距離があることに注意してください。
> 英語がフランス語に取って代わって、日本語が英語に取って代わらない理由
現代の英語の広範な使用を「英語帝国主義」と言うなら、日本語が英語に取って代わることは、「日本語帝国主義」を目指すと言うことになるでしょう。日本語が英語に取って代わるには、日本語帝国主義をとることがおそらく必須ですが、日本語が英語に取って代わらない理由は、未来に日本が日本語帝国主義をとらない場合、無数に考えられます。
そこで、一度英語帝国主義について整理しましょう。英語が(かつての共通語であった)フランス語に取って代わった経緯を述べるなら、大英帝国の発達(と衰退)と、その後のアメリカ主導のグローバリズムの進展によって英語は世界共通語としての地位を占めたと考えられます。
また、英語を含むヨーロッパ言語によって、近代の「論理」「議論」「科学」などが作られてきたわけなので、言葉の定義がはっきりとしていることも、日本語に比べて英語のアドバンテージとしてあげられるでしょう。たとえば英語は、後進国においては高等教育の為の言語としての地位を得ています。現に日本語も明治期にヨーロッパ言語を翻訳し取り入れたことで近代的な言語として現代成り立っているという経緯があります。
ベドさんのおっしゃる、100~150年くらいで世界の公用語が変わるという発言には、こうした背景があると思います。
それでは、今後の世界についても同じこと(世界の公用語の転換)が起きるでしょうか。この点については私は判らないとしか言いようがありません。様々な可能性が考えられるでしょう。交通手段・情報テクノロジーの発達はめざましい進歩を続けています。100年と言わずもっと短いスパンでコミュニケーションの大転換が起きないとも限りません。あえて突飛なことを言うなら、高度な機械翻訳をAIにまかせる事が一般的になるとか、技術的な手法で言語の習得が飛躍的に容易になる、などという事もあるかもしれません。
英語帝国主義に抵抗するために、日本語帝国主義を“戦略的にとってゆく”ことが実現するかも知れません。ベドさんは日本国・日本人の利益のためにそうした方が良いという考えなのだと思います。
それでは、具体的な、“日本語が英語に取って代わる”ための施策の実現可能性について、ベドさんの意見をお聞かせ願えないでしょうか。
この記事へのコメント3
まず、僕の日記の主題は、簡単に言うと「日本人は自分でルールを作らずに小鳥の雛のように口をあけてルールと言う餌をもらえるのを待っているため、世界中から不利なルールを押し付けられるのは当たり前で、そのスタンスを変えないといけないということになり、その例として「英語が世界の公用語であることをひっくり返そうとする発想が無い」ということになります。
「啼かぬなら啼かしてみせようホトトギス」という川柳がありますが、僕はこの性格。日本語が世界の公用語でないことでのデメリットがあまりにも大きいから、ある言語が世界の公用語になるための条件を考えて、そこから必要な施策と時間を割り出します。
日本人の多くは「英語圏に生まれていれば、こんなに語学に苦しまなくて済んだのに」という思いを経験したことがあるのではないでしょうか? また、そういう経験をしていないのは、一部の英語が出来ることで日本のコミュニティ中で有利なポジションを得ている人たちなど、一部の人々だけではないでしょうか?
それにも関わらず、「なぜ英語は世界の公用語なのか? 日本語はどうやったら世界の公用語になれるのか?」と親権かつ真面目に考えたことが無いという人が少ないのではないか、そう思うのです(たとえば、新聞や「朝まで生テレビ」などで真剣に議論が戦わされたことを僕は見たことがありません(あったのかもしれませんが))。そこに相当不利な状況があるにも関わらず、改善策を誰も考えない。
いや、みんなして真面目に考えた結果、「中期的あるいは長期的に見て、コストの方がベネフィットよりも大きくなってしまうから、やっぱり諦めるべきだ」という感じになっているのなら「僕が馬鹿でした」ということになるのですが、そうは見えないのです。
ーーーつづき
◆シャープが英語公用化 電機初、研究開発部門で
日本の若者が内向き志向を強めるなか、遅まきながら企業の中には英語を公用語化しようとする動きが出てきている(非常にまだわずかである。名前を挙げられるほどに)。
いまの日本の大学をみていると、英語教育はおそまつの一言である。皆、英語のための英語を意識している。普通の意識で英語を使う。つまり英語を話しているという感覚なく英語が使えるという感覚がもてない、育たないのである。外国人の教師も日本人がそうした状況にあるから、本当の英語を教えていない。日本人という客に迎合する英語を教えているのが現状である。強くそう思う。
***
シャープが英語公用化 電機初、研究開発部門で
産経新聞 10月28日(木)9時44分配信
シャープは27日、研究開発部門で英語を社内公用語化する方針を固めた。事業の海外比率が高まり、現地開発・生産が増加していることから、研究分野のグローバル化に対応する。楽天や「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングが英語を社内公用語にすると表明しているが、実現すれば電機メーカーで初の取り組みとなる。メーカー各社が海外販売強化を成長戦略に位置づけているなか、他社にも影響を与えそうだ。
英語公用語化の対象部署として検討されているのは、奈良県・天理事業所内で最先端の研究開発を担う「研究開発本部」。同事業所には生産技術開発推進本部などとあわせ、約2千人が勤務しているが、研究開発の担当者を中心に、早ければ来年度にも導入する。同本部は、海外で米国と英国の2拠点を展開しており、近く中国でも拠点設立を目指している。
同社は、海外販売増に向け、現地ニーズに合った商品開発を進める方針を掲げている。国内外の研究開発体制が整うことから、英語を技術者同士の公用語として明確に位置づけ、全拠点で同時に開発を進める。
同社の米英の研究開発拠点は、液晶テレビ「アクオス」や、今春に発表した裸眼で3次元(3D)映像を楽しめる液晶ディスプレーなど、看板商品の基礎技術開発を担ってきた。
併せて、一部の社員に海外勤務を義務づけるほか、中国事業の拡大に向け、中国語の研修も強化する。液晶テレビの主力拠点の亀山工場(三重県亀山市)では、技術者らを対象に中国語研修を始めている。
英語の社内公用語化は、今夏、楽天とユニクロが平成24年をめどに導入すると発表。日本電産は、平成32(2020)年から、部長昇進の条件として外国語2カ国語の習得を条件としている。
最終更新:10月28日(木)11時5分
シャープは27日、研究開発部門で英語を社内公用語化する方針を固めた。事業の海外比率が高まり、現地開発・生産が増加していることから、研究分野のグローバル化に対応する。楽天や「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングが英語を社内公用語にすると表明しているが、実現すれば電機メーカーで初の取り組みとなる。メーカー各社が海外販売強化を成長戦略に位置づけているなか、他社にも影響を与えそうだ。
英語公用語化の対象部署として検討されているのは、奈良県・天理事業所内で最先端の研究開発を担う「研究開発本部」。同事業所には生産技術開発推進本部などとあわせ、約2千人が勤務しているが、研究開発の担当者を中心に、早ければ来年度にも導入する。同本部は、海外で米国と英国の2拠点を展開しており、近く中国でも拠点設立を目指している。
同社は、海外販売増に向け、現地ニーズに合った商品開発を進める方針を掲げている。国内外の研究開発体制が整うことから、英語を技術者同士の公用語として明確に位置づけ、全拠点で同時に開発を進める。
英語効用化に関しては、さんざん議論されているので、もうあまり話すことがありませんね。ただ、今まで英語を勉強してこなかったのに、こういったニュースを見て英語を勉強するのは得策ではないでしょう。長期的に考えたら別ですが、今更短期的に英語力が向上するものではありません。
ちなみに、TOEICなどは700点くらい取っておかないと履歴書に書いても意味ないかなと感じます。
私は、大学3年の始めにTOEICを受けたのですが、だいたい700点後半でした。履歴書に書ける点数でしたが、書きませんでした。こういった数字ものは、相対評価が原則と考えていました。当時、一緒に選考を受けていた周りの成績が全然高かったので、必須でない限り書かないことが多かったです。
あと、400点、500点台で履歴書に書くのは避けましょうね。英語できないとPRしているようなものですから。
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言語としての日本語、そして外国語との比較。
以下、ブログ『株式日記と経済展望』の記事
「英語は侵略者の言葉であり語調は高圧的な命令口調に適している。」
のコメント欄の「Unknown(名前未記入)さん 2009-10-25 21:12:42」
と「オルフォーさん 2009-10-26 15:09:17」の投稿より転載
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/7699282b58ee05f554574c7df2c760a6
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言語としての日本語、そして外国語との比較。
【使用人口などの予備知識】
◆世界人口は約60億人で、6703の言語が存在。
その中で使用者が1億人を越す言語は、
1.中国語、2.英語、3.ヒンズー語、
4.ロシア語、5.スペイン語、6.日本語だけ。
◆この6つを含むトップ20の言語の使用人口だけで
全世界の総人口の半数を超える。
つまり「トップ20言語」と「残り6683言語」の使用人口は、前者の方が多い。
◆ブログの言語別使用人口では日本語が1位。2位が英語。
【日本語の特徴】
◆2種類の文字が完全に並存→文字表現の幅広さ。
日本語は、表音文字と表意文字を両方持ち、
それぞれが個別でなく混在併用が可能。
この世界的にも珍しい特徴により、
他言語を表意・表音で日本語化できるため、
他言語に類を見ないほど異言語からの高い翻訳精度を実現。
元言語の文意を、ほぼ同意に自国語に翻訳することは、
どの言語でも可能なことではない。
また、日本語単体で使用する場合にも応用範囲と柔軟性に優れ、
似たような意味内容の文章であっても、
わずかなニュアンスの含意をかなりの幅で表現できる。
◆高品質な翻訳→自国語だけで先端知識を学習可能。
西洋や東洋の言語を漢字の単語や熟語、カタカナ等の
日本語に置き換えるという積極的な“言語の格闘”を経たことで、
日本語には外国語も自在に吸収できるという世界の言語の中でもユニークな
「国際派言語」としての特徴がある。
カナと漢字の混在により外国語を高い精度で消化吸収できるため、
日本語の翻訳があれば基本的に最先端の知識まで
日本語だけで理解することが可能で、
それによって自国語しか学ばない人にも
比較的高い水準の学習や考察を可能にしている。
これは世界の言語の中でもごく一部の言語のみが持つ特性で、
多くの言語では「ある言語(主に英語)からの適切な翻訳」が
語彙的にも不可能な場合の方が多い。
自国語の学問だけで最先端の研究を行い、
たとえばノーベル賞を受賞する水準まで理解と創造を可能にする言語は、
世界的には実は多くない。
ちなみに中国も近代化の過程で西洋の知識や概念や思想を
取り入れる手段として「日本語に訳した西洋語」を用いた。
現代中国語にも多くの日本語が残っている。
◆書籍の豊富さ、有用性。
日本人は自覚がないが、日本は読書大国であり、
書籍大国なので、他国に比して豊富な書籍を持っている。
また日本は翻訳大国なので日本語ができればあらゆる国の
あらゆる書物が読むことができる。
これは英語も同様で、翻訳書籍が多く、
学ぶことでの益の大きな言語のひとつ。
ただし、英語に翻訳された書籍の中に日本語の書籍は「多い」と言っても
限度があるので、日本自体に興味のある外国人は、
英語でなく(または英語に加え)日本語を学ぶ動機にしている。
◆言語としての歴史が古く、一般庶民への普及の歴史も古い。
日本語は、発展をはじめた時代が早かった。
江戸時代には、もはや“庶民”までが文学をものすことが可能なほどで、
近代の初めには、その時代の非西洋国では類例の少ない
「学問を自国語で行える水準」に達していた。
ちなみに江戸時代と同時期、識字率(読み書きできる人の人口比)が
低かった国は中国や韓国だけでなく、
パリで約10%未満、ロンドンでも約20%に過ぎなかった。
これに対して江戸は、なんとその頃で既に約70%以上の識字率だった。
これは小さな分母の中に生まれた特異的な比率ではない。
1801年当時“ヨーロッパで最大の都市”は
人口は約85万人のロンドンだったが、
江戸はゆうに100万人を超える“世界最大の都市”だった。
その最大の都市において70%以上が
読み書きできていたという驚異的な差があったのである。
このように識字率が高く、言語の裾野が広いことが、
日本を文化的、経済的に早い段階での発展へと導く理由のひとつとなった。
◆言語としての連続性も維持している。
日本は、島国であったことや、
古代から中世で他国との戦争に負けたことがなかったことに加え、
既に述べたように読み書きが、古く、広く、普及していたおかげもあって、
日本語は言語としての連続性が途切れることがなかった。
他国では、少数の貴族や上流階級だけが
読み書きを行っていた例も多かったため、
国家の規模や文化が関係国と比して弱くなった場合や、
端的には愛国心が弱まった時代など影響、
他国語の流入や戦争などのきっかけによって
連続性を保てなくなることがあった。
そうした場合、ある言語が消滅したり、
代わりにその国に他国語が定着し、母語化する。
そういった国の場合、数百年前の自国の文字を
解読することにも大変な苦労を伴うことになる。
一方、日本語の場合、その歴史に連続性があるため、
“千年前の文字”でも比較的容易に解読可能である。
この、過去との文化的な断絶が少ないことが、
そういった連続性のない国と比して、過剰な愛国心を煽ることなく
民族的なアイデンティティや共通認識を形成できる“以心伝心”の文化と
国民性を自然に醸成する一助となった。
◆言語としての習得が難しい。
表意文字の漢字と表音文字のひらがなカタカナを駆使する日本語は
世界で最も複雑な表記方法を用いる言語の一つである。
使用上の利便性においては恵まれているといえるが、
反面、漢字・ひらがな・カタカナの並存に加えて、
夥しい数の同音異義語・類義語があることなどもあいまって
言語としての習得は日本人にも難しい。
当然、外国人にはなおのこと難しく、普及させるには不便な言語でもある。
だがこれは、反面において、「国防意識の欠如した現代日本」においては、
外国からのスパイ活動を最小限に抑える天然の障壁となっている。
日本語を母語とする人であれば、かなりの高確率で、
音声だけで相手が外国人であることを判別できる。
これは、「仮に日本語を10年間学んだ外国人」であっても、
ネイティブの日本人と同等の日本語能力・発音・TPOに応じた使い分け等、
ニュアンスの機微まで習得できる例がごく稀であるためだ。
◆発音が簡単。
日本語は『発音が世界でも最も単純な言語』の一つ。
日本語のすべての音は、
単純明快な規則性をもった5つの母音と9つの子音によって表現できる。
中間音などの半端な音で誤解が生じる可能性が低い。
完全に使いこなすことが難しい反面、
外国人がカタコトで日本語を喋ったとしても、
日本人はそれをほぼ正確に理解できるという側面を持つ。
◆漢字の利便性。
漢字は、日本や中国などの漢字使用者にとっては、
偏やつくりにより意義を類推しやすく、
初見の文字や熟語も理解したり発音できる場合が多い。
また、文字数に内包される意は英語などとは比すべくもなく多く、
少ない文字数でより多くの意味を伝達できるため、
読書や学習のみならず記述など、
入出力の両面において情報伝達の効率が非常に高い。
◆独自の文字。
欧米人の使うアルファベットという文字が
フェニキア人の文字であるように「独自の文字」を持つ言語は少ない。
日本語の場合、中国からの輸入した漢字に加え、
漢字を略すことで日本人が発明した独自の表音文字であるカタカナやひらがな
を持っている。その独自の表音文字と輸入された表意文字である漢字が、
互いの文字を駆逐することなく、千年以上もの歴史を経ても
完全に共存し続けている表記方法は世界的にみてもユニークである。
◆使用者の多さ。
使用者が1億人を越す言語は世界に6つしかないが、その中のひとつが日本語。
(※残り5つは、中国語、英語、ヒンズー語、ロシア語、スペイン語)
また、使用者の多さで「トップ20の言語」と「残り6683言語」の使用人口は、
前者の方が多い。
つまり、世界中のほとんどの言語(6683言語)は
ごく少数しか使われていないのに対し、
日本語は世界的にはかなり多くを占めているといえる。
また、全世界のブログの言語別使用人口では日本語が最も多い。
(※2番目は英語)
この、使用者が多いという日本語のスケールメリットは、
日本語の書籍が日本国内だけで商売が成立する一つの要因になっている。
大量の書籍などによって情報の蓄積が
日本語で行われることで日本の情報の水準を底堅くしている。
◆早期に欧米の概念を翻訳→漢字圏に伝達。
日本は早くから欧米の概念を、
漢字の元の意味を無視した自由な発想で翻訳した。
一方、中国は漢字の元の意味に拘泥したため
日本のようには西洋概念の翻訳が根付かなかった。
代わりに中国や韓国は日本語翻訳を西洋を学ぶのに利用したため
現代中国語・現代韓国語などにも
日本で作られた単語が今も数多く残っている。
(※ちなみに韓国は今でも外国文学の翻訳を、
日本語訳の書籍から行う場合が多い。これはあらゆる面で、
外国語からの翻訳より日本語からの翻訳の方が楽だから)
◆自国語で完結することによるメリット。
日本は、国内ではほぼ日本語だけで成立している。
また、その状態で世界有数の経済大国になることに成功した。
そのため日本人にとって真の意味では外国語は必要ではなく、
必要が生じてもカタカナで表音化してしまうために
外国語が使用言語としてはほとんど普及しない。
その国の多数派言語は少数派言語を駆逐するため、
アイルランドやケルトは言語の死滅を招き、その文化をも死滅させた。
だが、日本国内における「日本語による完結」は期せずして
そうした国外からの文化侵略に対する防護壁となっている。
【英語教育について】
◆英語を公用語化するような方向に進んでも、
その国は絶対に『二言語化』しない。
なぜなら2つの言語は絶対に対等にならず、
多数言語は少数言語を駆逐するから。
アイルランドやケルトにみるように、
一方の言語が支配層のものになり多数派になった時、
被支配層の言語は弱体化し続け、文化を道連れにして消滅している。
◆国際化とは、英語への一元化ではない。
多数の言語と文化は複合的に共生すべきであって、それらに優劣をつけて、
優位にある言語への一元化などすべきではない。
それは国際化の真の意味とは逆。
◆日本人が英語が不得手な理由として、
英語教育の不備については多く語られているので省略するが、
もう一つ大きな理由がある。
それは「多くの日本人にとって」不要だからである。
日本は、日本海や太平洋に囲まれた島国であり、
陸地において他国と隣接していない上に、
経済規模が単独でEUの総計に匹敵する水準にあるため、
他国語を使わなくとも日本人のほとんどが経済上の不利益を被ることなく
一生を終えることができる。
日本において海外への『出稼ぎ』がほとんど存在しないのは、
日本で働くほうが経済的要求を充足させるための効率が良いからであり、
また、「海外での起業」をしても、顧客の経済水準を考えれば、
よほどの成功例を除いて日本国内で働くほうが
有利な結果をもたらすことのほうが多い。
実用言語というのは多くの場合「必要」があって初めて身に付くものであり、
日本では一部の者にしか英語を学ぶ本当の意味での「必要」に迫られることが
ないため、日本人は英語を習得しにくい。
端的にいえば、「日本国内では、英語習得の社会的動機が弱いこと」
がその理由であるといえる。
◆別に全ての日本人が英語を学ぶ必要はない。
中国語やロシア語と同様に、
それぞれのスペシャリストがやればいいだけである。
「英語だけは小学生からの必修にすべき」などという考えは愚かだ。
◆インターネット上で日本語が多いのは防諜や工作障壁の意味でも好都合。
もし英語だらけになればネットまで
外国によって世論工作に利用されやすくなる。
日本語利用者は、日本人が圧倒的に多く、
多少学んだ程度では文語の日本語は正確に使いこなせないほど難解なため、
外国人にはネット上の文字だけで日本人を装うことが非常に難しい。
◆アメリカ英語を最重視するのはアメリカ覇権による幻想。
実際、英語を「母語として」話す人口は、
日本人の持つイメージより遥かに少なく、
スペイン語にも劣るたった3億人しかいない。
◆日本人が世界中から不利なルールを押し付けられがちなのは、
自分でルールを作る発想と気概がないため。
真の国際化とは、外国語の輸入ではなく、
自国語の輸出によって達成される。むしろ母国語を大切にすべきだ。
【結論】
・言語の消滅は、文化を道連れにして消滅させるだけでなく、国力も奪う。
・外国語は、それを必要とする職種の者が、
「特殊技能として」習得すれば足りる。
・日本語の優位性を認識し、日本語を守ることのメリットを理解すべし。
―――――――――――――――――
【日本語には道徳律が組み込まれている】
それからもうひとつ重要なことは、
日本語には道徳律が組み込まれていることです。
敬語、謙譲語、丁寧語といったもの、
さらには間接受け身、迷惑受け身といったものまであります。
こうしたシステムは、私たちの祖先が、
気の遠くなるほど長い時間をかけて作り上げたもので、
人の社会をスムーズに動かすために工夫した知恵の集大成です。
英語にも敬語や丁寧語はありますが、
日本語ほど複雑ではありません。
なぜならばキリスト教がその役割を果たしているからです。
聖書を読んだり、教会に行って牧師の説教を聴いたりするうちに、
子供たちはすこしずつ道徳を学ぶ。
日本の子供たちは聖書も読まず、教会にも行かない。
それでもアメリカの子供たちと比べて見劣りしないほど、
素直で礼儀正しい子供が育つ、最近はそうでもありませんが、
言葉そのものに道徳律が組み込まれているからです。
日教組の教師たちは敬語や丁寧語は時代遅れだとみなしました。
差別はよくないと考えた。
その結果、敬語が使えない子供が育ったのはよいにしても、
少年犯罪が増えたり、振り込め詐欺が増えたりしました。
日本語そのものに、社会をスムーズに動かす知恵が組み込まれている。
このことを忘れると、社会がぎくしゃくします。
外国人参政権がよくないのも同様で、
まずは日本語をしっかり学んでもらう必要がある。
日本は、言葉の役割が道徳律まで及んでいる特殊な国です。
しかし言語学者は宗教学者ではありませんから、
日本語の特殊性にあまり気づいていません。
なぜ主語を省略するのか、源氏物語には主語がありません。
イングランドがバイキングに苦しんでいた時代に、
敬語の違いで主語を推測できるような文学が書かれます。
しかもその書き手は女性です。
欧州最初の女性作家はヒルデガルト・フォン・ビンゲンですが、
彼女の著作は宗教書であり、世俗の小説ではありません。
日本がいかに特殊か、いかに道徳律が進化した国であるかは、
この一例でもわかります。
ちなみに中国や韓国に女性作家が登場するのはいつでしょうか。
あまり聞きませんね。
中国や韓国の場合は儒教、中東の場合はイスラム教、
ラテンアメリカはカトリック、イスラエルはユダヤ教、
宗教で縛らずに社会が動いてきた国は日本しかありません。
ソ連や東欧は宗教を排除しようとしましたが、
勝利したのはカトリックやロシア正教でした。
宗教に代わるシステムが言葉そのものに組み込まれているからこそ、
お盆もクリスマスも正月も共存できるのです。
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「けんむの会」真正護憲論(新無効論)吉野講座 南出喜久治
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漢字と格闘した古代日本人
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-535.html
外国から見た日本【現代版】
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-177.html
言語としての日本語、そして外国語との比較。
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-608.html
外国人が住む町
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-275.html
「危険な外国人参政権」と「恐怖の人権機関」
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-277.html
中国で根絶やしにされた孔子の理想は、日本で花開いていた。
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-421.html
スウェーデンの悲劇。外国人参政権、人権擁護法案、移民1000万人受け入れの未来。
http://www.youtube.com/watch?v=KeLL6hNVrwc
スウェ-デン人の半数が軍隊による町のパトロ-ルを望む
http://www.youtube.com/watch?v=lsshD97rDuU
【移民受入れ阻止!】~デンマークの惨状
http://www.youtube.com/watch?v=zvmNDKb6_q4
やがてベルギー人のいなくなる町 ベルギーの首都ブリュッセル
http://www.youtube.com/watch?v=eXKSQ8lxwDU
こうして治安は崩壊し、国家は死に至る ベルギー ブリュッセル
http://www.youtube.com/watch?v=qAOxOKWW0IM
先進国でも英語が出来ないと高等教育が出来ないとなると問題だ。
◆文化帝国主義(反英語教育論) 2008年2月8日 歴史と日本人
「外国語=英語」という思い込みは何の根拠もなく、しいて言えば国際社会の権力構造に由来するといえるだろう。つまり現代がアメリカ覇権(パクス・アメリカーナ)の時代であり、それに近づくことこそ国際社会の必須条件というわけである。ここに壮大な文化の階級化というか、文化の優劣が国際社会に露骨に出ている状況を見なくてはならない(もちろんこれは日本に限ったことではない)。だいたいにおいて、今日英語といっているのはアメリカ英語であり、イギリス英語でもなければオーストラリアのでもなく、インドのでもなく、フィリピンのでもない。基本的に今の日本で子供たちが学ばされている英語は、アメリカ英語教育を受けた人かアメリカ人にしか通用しないものだということを覚えておくべきであろう。実際は家庭内で使う言語(母語)人口では、英語は支那語は無論のこと、スペイン語にも負けている(英語の母語人口はたった三億人である)。英語を第一言語として話す人口は、日本人が考えるよりずっと少ないのだ。
こうした英語帝国主義、文化帝国主義ともいえる状況が現代の国際社会に出現していることに、人はあまりに無頓着である。むしろこれは左派のほうから「反帝国主義」という形で提出されてきた。しかしそれは多くはただの「反アメリカ」によるものだった。国際交流が進むなかで、鎖国できるわけでもないだろうから、少なくとも文化帝国主義の時代が今後長く続くことは間違いない。したがって日本の選択はそれに乗っかるか、抗うかの二通りであろう。
乗っかった場合、日本語などやめて英語を公用語にすべきだ。そうすることでさまざまな国際舞台で日本人は「英語」を話すことができ、それは(現に今現在英語圏の国がそれを享受しているように)大きな国益となる。ビジネスの場においても、政治の場においてもである。
抗う場合には、そもそも英語教育をするべきではない。少なくとも、全国民必修にすべきではないだろう。はっきり言って英語など必要としない人のほうが、今の日本社会には(そしておそらく今後も)ずっと多いのである。数ある外国語の中から、一つ選択する仕組みなどにすればよいだろう。英語もその選択肢の一つでしかないという位置づけならば、外国語間での優劣はない。
そして最大のなすべきことは、日本語の輸出である。外国語を学ぶことで国際化を達成するのではなく、日本語を外国人に学ばせることで国際化を達成する。これこそ国威を真に輝かせる方法と言えるだろう。海外での日本語学習者は徐々に増えつつあるが、まだまだ伸びしろはある。日本語には前途がある。
左派は「文化帝国主義」に反発する中でこうした「日本語の輸出」にもまた反対してきた。しかしそれは国際競争の実態を見ない議論である。国家の他国に及ぼす精神侵略はもはや避けられるとは思えない。むしろそれに抗う気概と、進んで自国の文化を他国に示す努力が求められていると言える。だから最初から私は「国際化に必ずしも反対しない」と言っていたのである。鎖国的に閉じこもることは、今の日本の資源状況を見ても、できることとは思われない。
海外進出は日本語で行うべきだ。日本人は一億人もいるのだから、世界の中で日本語が少数言語とは言えない(世界十一位だそうだ)。にもかかわらず、妙に日本人は自国の言語に対して自信を持たない。積極的に海外に日本語を広めるだけの資質と需要を日本語は兼ね備えているのだ。インターネットでは日本語は英語と並んで優勢だし、日本語による活字出版物も非常に多い。それを支えているのは日本人の勤勉さと活字への関心の高さである。日本人ほど活字文化を古くから育んでいる民族は少ない。源氏物語は(作者も成立年代もはっきりしているものの中では)世界最古の長編小説である。英語を学ぶ暇があったら、日本語をもっと信頼すべきであろう。それを「英語を学ばなければ国際社会に乗り遅れる」などと言っているあたり、日本人が欧米人に完全に精神侵略されている証なのである。精神侵略から目覚めることが、今の日本に求められている。日本人の自立と独立を願う。
◆「日本のガラパゴス化問題」は市場の問題ではない(2) 5月30日 ベドウィン・ピエロの小部屋
この記事へのコメント1
自分の良いようにルールを作って、それを押しつけるやり方はアングロ・サクソンの得意とするところですよね。生存競争に打ち勝つためには有利なのでしょうが、あまり好きな思考法ではありません。
ところで、かつてのインターネットが英語一辺倒になっていた理由を述べるなら、インターネットはアメリカで生まれアメリカで育ったものだから、当初は英語の使用が明示的にせよ暗示的にせよ想定されていたから、だと自分は思います(だから、一昔前の日本人の ウェブサイトには "Sorry, Japanese Only" と書かれていることが多かったですよね)。
単なるコンテンツの量と言うことであれば、スペイン語や中国語の台頭が著しい今、英語の比重は相対的に下がっていることと思います。
しかし、政治、経済、科学、ジャーナリズム、スポーツなどの広範な分野で、国際的な コミュニケーションが英語のみを通じて行われるような場面が圧倒的に増えている現在、英語の公用語としての位置はなかなか揺るがないことでしょう。
ぼくが春まで勤めていたドイツ資本の外資系企業の公用語は英語でしたよ。販売する印刷機のマニュアルもトレーニングも全部英語。
まとめると、当初は英語の使用を想定されたインターネットが、世界規模のものに発展するにつれて、公用語としての英語を取り込んでいった、ということになると思います。
この記事へのコメント2
「危機感に説得力が足りない」と私が感じるのは、一つ前のレスに書いたように「ベドさんの日本語公用語化論は、実現可能性がとてつもなく低いとしか感じられない」からです。だから一つ前のレスで、私は現在公用語である英語にリソースを割いた方が現実的だ、と書きました。
しかし、その次についたベドさんのレスを読むと、日本語公用語化について実現可能性が低いとは思っていないことが説明されます。私との意識の違いが大きく、そこで議論が齟齬をきたしていたことがわかりました。
「なぜ危機感を感じなければならない」のかについては、私自身の考えはあります。英語の公用語化が進むことで、国際的な場面に限らず日本のビジネスや高等教育の英語化が進むと思われます。生活言語としての日本語は生き残るでしょうが、難しいことを話す際は英語を使うと行った事態を招きかねません。これは日本語の国際的な地位の衰退をも必ず伴うでしょう。少なくとも、高等教育の英語化については、私は反対の立場をとりたいと思います。ただし、これと日本語の公用語化論には大きな距離があることに注意してください。
> 英語がフランス語に取って代わって、日本語が英語に取って代わらない理由
現代の英語の広範な使用を「英語帝国主義」と言うなら、日本語が英語に取って代わることは、「日本語帝国主義」を目指すと言うことになるでしょう。日本語が英語に取って代わるには、日本語帝国主義をとることがおそらく必須ですが、日本語が英語に取って代わらない理由は、未来に日本が日本語帝国主義をとらない場合、無数に考えられます。
そこで、一度英語帝国主義について整理しましょう。英語が(かつての共通語であった)フランス語に取って代わった経緯を述べるなら、大英帝国の発達(と衰退)と、その後のアメリカ主導のグローバリズムの進展によって英語は世界共通語としての地位を占めたと考えられます。
また、英語を含むヨーロッパ言語によって、近代の「論理」「議論」「科学」などが作られてきたわけなので、言葉の定義がはっきりとしていることも、日本語に比べて英語のアドバンテージとしてあげられるでしょう。たとえば英語は、後進国においては高等教育の為の言語としての地位を得ています。現に日本語も明治期にヨーロッパ言語を翻訳し取り入れたことで近代的な言語として現代成り立っているという経緯があります。
ベドさんのおっしゃる、100~150年くらいで世界の公用語が変わるという発言には、こうした背景があると思います。
それでは、今後の世界についても同じこと(世界の公用語の転換)が起きるでしょうか。この点については私は判らないとしか言いようがありません。様々な可能性が考えられるでしょう。交通手段・情報テクノロジーの発達はめざましい進歩を続けています。100年と言わずもっと短いスパンでコミュニケーションの大転換が起きないとも限りません。あえて突飛なことを言うなら、高度な機械翻訳をAIにまかせる事が一般的になるとか、技術的な手法で言語の習得が飛躍的に容易になる、などという事もあるかもしれません。
英語帝国主義に抵抗するために、日本語帝国主義を“戦略的にとってゆく”ことが実現するかも知れません。ベドさんは日本国・日本人の利益のためにそうした方が良いという考えなのだと思います。
それでは、具体的な、“日本語が英語に取って代わる”ための施策の実現可能性について、ベドさんの意見をお聞かせ願えないでしょうか。
この記事へのコメント3
まず、僕の日記の主題は、簡単に言うと「日本人は自分でルールを作らずに小鳥の雛のように口をあけてルールと言う餌をもらえるのを待っているため、世界中から不利なルールを押し付けられるのは当たり前で、そのスタンスを変えないといけないということになり、その例として「英語が世界の公用語であることをひっくり返そうとする発想が無い」ということになります。
「啼かぬなら啼かしてみせようホトトギス」という川柳がありますが、僕はこの性格。日本語が世界の公用語でないことでのデメリットがあまりにも大きいから、ある言語が世界の公用語になるための条件を考えて、そこから必要な施策と時間を割り出します。
日本人の多くは「英語圏に生まれていれば、こんなに語学に苦しまなくて済んだのに」という思いを経験したことがあるのではないでしょうか? また、そういう経験をしていないのは、一部の英語が出来ることで日本のコミュニティ中で有利なポジションを得ている人たちなど、一部の人々だけではないでしょうか?
それにも関わらず、「なぜ英語は世界の公用語なのか? 日本語はどうやったら世界の公用語になれるのか?」と親権かつ真面目に考えたことが無いという人が少ないのではないか、そう思うのです(たとえば、新聞や「朝まで生テレビ」などで真剣に議論が戦わされたことを僕は見たことがありません(あったのかもしれませんが))。そこに相当不利な状況があるにも関わらず、改善策を誰も考えない。
いや、みんなして真面目に考えた結果、「中期的あるいは長期的に見て、コストの方がベネフィットよりも大きくなってしまうから、やっぱり諦めるべきだ」という感じになっているのなら「僕が馬鹿でした」ということになるのですが、そうは見えないのです。
ーーーつづき
◆シャープが英語公用化 電機初、研究開発部門で
日本の若者が内向き志向を強めるなか、遅まきながら企業の中には英語を公用語化しようとする動きが出てきている(非常にまだわずかである。名前を挙げられるほどに)。
いまの日本の大学をみていると、英語教育はおそまつの一言である。皆、英語のための英語を意識している。普通の意識で英語を使う。つまり英語を話しているという感覚なく英語が使えるという感覚がもてない、育たないのである。外国人の教師も日本人がそうした状況にあるから、本当の英語を教えていない。日本人という客に迎合する英語を教えているのが現状である。強くそう思う。
***
シャープが英語公用化 電機初、研究開発部門で
産経新聞 10月28日(木)9時44分配信
シャープは27日、研究開発部門で英語を社内公用語化する方針を固めた。事業の海外比率が高まり、現地開発・生産が増加していることから、研究分野のグローバル化に対応する。楽天や「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングが英語を社内公用語にすると表明しているが、実現すれば電機メーカーで初の取り組みとなる。メーカー各社が海外販売強化を成長戦略に位置づけているなか、他社にも影響を与えそうだ。
英語公用語化の対象部署として検討されているのは、奈良県・天理事業所内で最先端の研究開発を担う「研究開発本部」。同事業所には生産技術開発推進本部などとあわせ、約2千人が勤務しているが、研究開発の担当者を中心に、早ければ来年度にも導入する。同本部は、海外で米国と英国の2拠点を展開しており、近く中国でも拠点設立を目指している。
同社は、海外販売増に向け、現地ニーズに合った商品開発を進める方針を掲げている。国内外の研究開発体制が整うことから、英語を技術者同士の公用語として明確に位置づけ、全拠点で同時に開発を進める。
同社の米英の研究開発拠点は、液晶テレビ「アクオス」や、今春に発表した裸眼で3次元(3D)映像を楽しめる液晶ディスプレーなど、看板商品の基礎技術開発を担ってきた。
併せて、一部の社員に海外勤務を義務づけるほか、中国事業の拡大に向け、中国語の研修も強化する。液晶テレビの主力拠点の亀山工場(三重県亀山市)では、技術者らを対象に中国語研修を始めている。
英語の社内公用語化は、今夏、楽天とユニクロが平成24年をめどに導入すると発表。日本電産は、平成32(2020)年から、部長昇進の条件として外国語2カ国語の習得を条件としている。
最終更新:10月28日(木)11時5分
シャープは27日、研究開発部門で英語を社内公用語化する方針を固めた。事業の海外比率が高まり、現地開発・生産が増加していることから、研究分野のグローバル化に対応する。楽天や「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングが英語を社内公用語にすると表明しているが、実現すれば電機メーカーで初の取り組みとなる。メーカー各社が海外販売強化を成長戦略に位置づけているなか、他社にも影響を与えそうだ。
英語公用語化の対象部署として検討されているのは、奈良県・天理事業所内で最先端の研究開発を担う「研究開発本部」。同事業所には生産技術開発推進本部などとあわせ、約2千人が勤務しているが、研究開発の担当者を中心に、早ければ来年度にも導入する。同本部は、海外で米国と英国の2拠点を展開しており、近く中国でも拠点設立を目指している。
同社は、海外販売増に向け、現地ニーズに合った商品開発を進める方針を掲げている。国内外の研究開発体制が整うことから、英語を技術者同士の公用語として明確に位置づけ、全拠点で同時に開発を進める。
英語効用化に関しては、さんざん議論されているので、もうあまり話すことがありませんね。ただ、今まで英語を勉強してこなかったのに、こういったニュースを見て英語を勉強するのは得策ではないでしょう。長期的に考えたら別ですが、今更短期的に英語力が向上するものではありません。
ちなみに、TOEICなどは700点くらい取っておかないと履歴書に書いても意味ないかなと感じます。
私は、大学3年の始めにTOEICを受けたのですが、だいたい700点後半でした。履歴書に書ける点数でしたが、書きませんでした。こういった数字ものは、相対評価が原則と考えていました。当時、一緒に選考を受けていた周りの成績が全然高かったので、必須でない限り書かないことが多かったです。
あと、400点、500点台で履歴書に書くのは避けましょうね。英語できないとPRしているようなものですから。
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言語としての日本語、そして外国語との比較。
以下、ブログ『株式日記と経済展望』の記事
「英語は侵略者の言葉であり語調は高圧的な命令口調に適している。」
のコメント欄の「Unknown(名前未記入)さん 2009-10-25 21:12:42」
と「オルフォーさん 2009-10-26 15:09:17」の投稿より転載
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/7699282b58ee05f554574c7df2c760a6
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言語としての日本語、そして外国語との比較。
【使用人口などの予備知識】
◆世界人口は約60億人で、6703の言語が存在。
その中で使用者が1億人を越す言語は、
1.中国語、2.英語、3.ヒンズー語、
4.ロシア語、5.スペイン語、6.日本語だけ。
◆この6つを含むトップ20の言語の使用人口だけで
全世界の総人口の半数を超える。
つまり「トップ20言語」と「残り6683言語」の使用人口は、前者の方が多い。
◆ブログの言語別使用人口では日本語が1位。2位が英語。
【日本語の特徴】
◆2種類の文字が完全に並存→文字表現の幅広さ。
日本語は、表音文字と表意文字を両方持ち、
それぞれが個別でなく混在併用が可能。
この世界的にも珍しい特徴により、
他言語を表意・表音で日本語化できるため、
他言語に類を見ないほど異言語からの高い翻訳精度を実現。
元言語の文意を、ほぼ同意に自国語に翻訳することは、
どの言語でも可能なことではない。
また、日本語単体で使用する場合にも応用範囲と柔軟性に優れ、
似たような意味内容の文章であっても、
わずかなニュアンスの含意をかなりの幅で表現できる。
◆高品質な翻訳→自国語だけで先端知識を学習可能。
西洋や東洋の言語を漢字の単語や熟語、カタカナ等の
日本語に置き換えるという積極的な“言語の格闘”を経たことで、
日本語には外国語も自在に吸収できるという世界の言語の中でもユニークな
「国際派言語」としての特徴がある。
カナと漢字の混在により外国語を高い精度で消化吸収できるため、
日本語の翻訳があれば基本的に最先端の知識まで
日本語だけで理解することが可能で、
それによって自国語しか学ばない人にも
比較的高い水準の学習や考察を可能にしている。
これは世界の言語の中でもごく一部の言語のみが持つ特性で、
多くの言語では「ある言語(主に英語)からの適切な翻訳」が
語彙的にも不可能な場合の方が多い。
自国語の学問だけで最先端の研究を行い、
たとえばノーベル賞を受賞する水準まで理解と創造を可能にする言語は、
世界的には実は多くない。
ちなみに中国も近代化の過程で西洋の知識や概念や思想を
取り入れる手段として「日本語に訳した西洋語」を用いた。
現代中国語にも多くの日本語が残っている。
◆書籍の豊富さ、有用性。
日本人は自覚がないが、日本は読書大国であり、
書籍大国なので、他国に比して豊富な書籍を持っている。
また日本は翻訳大国なので日本語ができればあらゆる国の
あらゆる書物が読むことができる。
これは英語も同様で、翻訳書籍が多く、
学ぶことでの益の大きな言語のひとつ。
ただし、英語に翻訳された書籍の中に日本語の書籍は「多い」と言っても
限度があるので、日本自体に興味のある外国人は、
英語でなく(または英語に加え)日本語を学ぶ動機にしている。
◆言語としての歴史が古く、一般庶民への普及の歴史も古い。
日本語は、発展をはじめた時代が早かった。
江戸時代には、もはや“庶民”までが文学をものすことが可能なほどで、
近代の初めには、その時代の非西洋国では類例の少ない
「学問を自国語で行える水準」に達していた。
ちなみに江戸時代と同時期、識字率(読み書きできる人の人口比)が
低かった国は中国や韓国だけでなく、
パリで約10%未満、ロンドンでも約20%に過ぎなかった。
これに対して江戸は、なんとその頃で既に約70%以上の識字率だった。
これは小さな分母の中に生まれた特異的な比率ではない。
1801年当時“ヨーロッパで最大の都市”は
人口は約85万人のロンドンだったが、
江戸はゆうに100万人を超える“世界最大の都市”だった。
その最大の都市において70%以上が
読み書きできていたという驚異的な差があったのである。
このように識字率が高く、言語の裾野が広いことが、
日本を文化的、経済的に早い段階での発展へと導く理由のひとつとなった。
◆言語としての連続性も維持している。
日本は、島国であったことや、
古代から中世で他国との戦争に負けたことがなかったことに加え、
既に述べたように読み書きが、古く、広く、普及していたおかげもあって、
日本語は言語としての連続性が途切れることがなかった。
他国では、少数の貴族や上流階級だけが
読み書きを行っていた例も多かったため、
国家の規模や文化が関係国と比して弱くなった場合や、
端的には愛国心が弱まった時代など影響、
他国語の流入や戦争などのきっかけによって
連続性を保てなくなることがあった。
そうした場合、ある言語が消滅したり、
代わりにその国に他国語が定着し、母語化する。
そういった国の場合、数百年前の自国の文字を
解読することにも大変な苦労を伴うことになる。
一方、日本語の場合、その歴史に連続性があるため、
“千年前の文字”でも比較的容易に解読可能である。
この、過去との文化的な断絶が少ないことが、
そういった連続性のない国と比して、過剰な愛国心を煽ることなく
民族的なアイデンティティや共通認識を形成できる“以心伝心”の文化と
国民性を自然に醸成する一助となった。
◆言語としての習得が難しい。
表意文字の漢字と表音文字のひらがなカタカナを駆使する日本語は
世界で最も複雑な表記方法を用いる言語の一つである。
使用上の利便性においては恵まれているといえるが、
反面、漢字・ひらがな・カタカナの並存に加えて、
夥しい数の同音異義語・類義語があることなどもあいまって
言語としての習得は日本人にも難しい。
当然、外国人にはなおのこと難しく、普及させるには不便な言語でもある。
だがこれは、反面において、「国防意識の欠如した現代日本」においては、
外国からのスパイ活動を最小限に抑える天然の障壁となっている。
日本語を母語とする人であれば、かなりの高確率で、
音声だけで相手が外国人であることを判別できる。
これは、「仮に日本語を10年間学んだ外国人」であっても、
ネイティブの日本人と同等の日本語能力・発音・TPOに応じた使い分け等、
ニュアンスの機微まで習得できる例がごく稀であるためだ。
◆発音が簡単。
日本語は『発音が世界でも最も単純な言語』の一つ。
日本語のすべての音は、
単純明快な規則性をもった5つの母音と9つの子音によって表現できる。
中間音などの半端な音で誤解が生じる可能性が低い。
完全に使いこなすことが難しい反面、
外国人がカタコトで日本語を喋ったとしても、
日本人はそれをほぼ正確に理解できるという側面を持つ。
◆漢字の利便性。
漢字は、日本や中国などの漢字使用者にとっては、
偏やつくりにより意義を類推しやすく、
初見の文字や熟語も理解したり発音できる場合が多い。
また、文字数に内包される意は英語などとは比すべくもなく多く、
少ない文字数でより多くの意味を伝達できるため、
読書や学習のみならず記述など、
入出力の両面において情報伝達の効率が非常に高い。
◆独自の文字。
欧米人の使うアルファベットという文字が
フェニキア人の文字であるように「独自の文字」を持つ言語は少ない。
日本語の場合、中国からの輸入した漢字に加え、
漢字を略すことで日本人が発明した独自の表音文字であるカタカナやひらがな
を持っている。その独自の表音文字と輸入された表意文字である漢字が、
互いの文字を駆逐することなく、千年以上もの歴史を経ても
完全に共存し続けている表記方法は世界的にみてもユニークである。
◆使用者の多さ。
使用者が1億人を越す言語は世界に6つしかないが、その中のひとつが日本語。
(※残り5つは、中国語、英語、ヒンズー語、ロシア語、スペイン語)
また、使用者の多さで「トップ20の言語」と「残り6683言語」の使用人口は、
前者の方が多い。
つまり、世界中のほとんどの言語(6683言語)は
ごく少数しか使われていないのに対し、
日本語は世界的にはかなり多くを占めているといえる。
また、全世界のブログの言語別使用人口では日本語が最も多い。
(※2番目は英語)
この、使用者が多いという日本語のスケールメリットは、
日本語の書籍が日本国内だけで商売が成立する一つの要因になっている。
大量の書籍などによって情報の蓄積が
日本語で行われることで日本の情報の水準を底堅くしている。
◆早期に欧米の概念を翻訳→漢字圏に伝達。
日本は早くから欧米の概念を、
漢字の元の意味を無視した自由な発想で翻訳した。
一方、中国は漢字の元の意味に拘泥したため
日本のようには西洋概念の翻訳が根付かなかった。
代わりに中国や韓国は日本語翻訳を西洋を学ぶのに利用したため
現代中国語・現代韓国語などにも
日本で作られた単語が今も数多く残っている。
(※ちなみに韓国は今でも外国文学の翻訳を、
日本語訳の書籍から行う場合が多い。これはあらゆる面で、
外国語からの翻訳より日本語からの翻訳の方が楽だから)
◆自国語で完結することによるメリット。
日本は、国内ではほぼ日本語だけで成立している。
また、その状態で世界有数の経済大国になることに成功した。
そのため日本人にとって真の意味では外国語は必要ではなく、
必要が生じてもカタカナで表音化してしまうために
外国語が使用言語としてはほとんど普及しない。
その国の多数派言語は少数派言語を駆逐するため、
アイルランドやケルトは言語の死滅を招き、その文化をも死滅させた。
だが、日本国内における「日本語による完結」は期せずして
そうした国外からの文化侵略に対する防護壁となっている。
【英語教育について】
◆英語を公用語化するような方向に進んでも、
その国は絶対に『二言語化』しない。
なぜなら2つの言語は絶対に対等にならず、
多数言語は少数言語を駆逐するから。
アイルランドやケルトにみるように、
一方の言語が支配層のものになり多数派になった時、
被支配層の言語は弱体化し続け、文化を道連れにして消滅している。
◆国際化とは、英語への一元化ではない。
多数の言語と文化は複合的に共生すべきであって、それらに優劣をつけて、
優位にある言語への一元化などすべきではない。
それは国際化の真の意味とは逆。
◆日本人が英語が不得手な理由として、
英語教育の不備については多く語られているので省略するが、
もう一つ大きな理由がある。
それは「多くの日本人にとって」不要だからである。
日本は、日本海や太平洋に囲まれた島国であり、
陸地において他国と隣接していない上に、
経済規模が単独でEUの総計に匹敵する水準にあるため、
他国語を使わなくとも日本人のほとんどが経済上の不利益を被ることなく
一生を終えることができる。
日本において海外への『出稼ぎ』がほとんど存在しないのは、
日本で働くほうが経済的要求を充足させるための効率が良いからであり、
また、「海外での起業」をしても、顧客の経済水準を考えれば、
よほどの成功例を除いて日本国内で働くほうが
有利な結果をもたらすことのほうが多い。
実用言語というのは多くの場合「必要」があって初めて身に付くものであり、
日本では一部の者にしか英語を学ぶ本当の意味での「必要」に迫られることが
ないため、日本人は英語を習得しにくい。
端的にいえば、「日本国内では、英語習得の社会的動機が弱いこと」
がその理由であるといえる。
◆別に全ての日本人が英語を学ぶ必要はない。
中国語やロシア語と同様に、
それぞれのスペシャリストがやればいいだけである。
「英語だけは小学生からの必修にすべき」などという考えは愚かだ。
◆インターネット上で日本語が多いのは防諜や工作障壁の意味でも好都合。
もし英語だらけになればネットまで
外国によって世論工作に利用されやすくなる。
日本語利用者は、日本人が圧倒的に多く、
多少学んだ程度では文語の日本語は正確に使いこなせないほど難解なため、
外国人にはネット上の文字だけで日本人を装うことが非常に難しい。
◆アメリカ英語を最重視するのはアメリカ覇権による幻想。
実際、英語を「母語として」話す人口は、
日本人の持つイメージより遥かに少なく、
スペイン語にも劣るたった3億人しかいない。
◆日本人が世界中から不利なルールを押し付けられがちなのは、
自分でルールを作る発想と気概がないため。
真の国際化とは、外国語の輸入ではなく、
自国語の輸出によって達成される。むしろ母国語を大切にすべきだ。
【結論】
・言語の消滅は、文化を道連れにして消滅させるだけでなく、国力も奪う。
・外国語は、それを必要とする職種の者が、
「特殊技能として」習得すれば足りる。
・日本語の優位性を認識し、日本語を守ることのメリットを理解すべし。
―――――――――――――――――
【日本語には道徳律が組み込まれている】
それからもうひとつ重要なことは、
日本語には道徳律が組み込まれていることです。
敬語、謙譲語、丁寧語といったもの、
さらには間接受け身、迷惑受け身といったものまであります。
こうしたシステムは、私たちの祖先が、
気の遠くなるほど長い時間をかけて作り上げたもので、
人の社会をスムーズに動かすために工夫した知恵の集大成です。
英語にも敬語や丁寧語はありますが、
日本語ほど複雑ではありません。
なぜならばキリスト教がその役割を果たしているからです。
聖書を読んだり、教会に行って牧師の説教を聴いたりするうちに、
子供たちはすこしずつ道徳を学ぶ。
日本の子供たちは聖書も読まず、教会にも行かない。
それでもアメリカの子供たちと比べて見劣りしないほど、
素直で礼儀正しい子供が育つ、最近はそうでもありませんが、
言葉そのものに道徳律が組み込まれているからです。
日教組の教師たちは敬語や丁寧語は時代遅れだとみなしました。
差別はよくないと考えた。
その結果、敬語が使えない子供が育ったのはよいにしても、
少年犯罪が増えたり、振り込め詐欺が増えたりしました。
日本語そのものに、社会をスムーズに動かす知恵が組み込まれている。
このことを忘れると、社会がぎくしゃくします。
外国人参政権がよくないのも同様で、
まずは日本語をしっかり学んでもらう必要がある。
日本は、言葉の役割が道徳律まで及んでいる特殊な国です。
しかし言語学者は宗教学者ではありませんから、
日本語の特殊性にあまり気づいていません。
なぜ主語を省略するのか、源氏物語には主語がありません。
イングランドがバイキングに苦しんでいた時代に、
敬語の違いで主語を推測できるような文学が書かれます。
しかもその書き手は女性です。
欧州最初の女性作家はヒルデガルト・フォン・ビンゲンですが、
彼女の著作は宗教書であり、世俗の小説ではありません。
日本がいかに特殊か、いかに道徳律が進化した国であるかは、
この一例でもわかります。
ちなみに中国や韓国に女性作家が登場するのはいつでしょうか。
あまり聞きませんね。
中国や韓国の場合は儒教、中東の場合はイスラム教、
ラテンアメリカはカトリック、イスラエルはユダヤ教、
宗教で縛らずに社会が動いてきた国は日本しかありません。
ソ連や東欧は宗教を排除しようとしましたが、
勝利したのはカトリックやロシア正教でした。
宗教に代わるシステムが言葉そのものに組み込まれているからこそ、
お盆もクリスマスも正月も共存できるのです。
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「けんむの会」真正護憲論(新無効論)吉野講座 南出喜久治
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漢字と格闘した古代日本人
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-535.html
外国から見た日本【現代版】
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-177.html
言語としての日本語、そして外国語との比較。
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-608.html
外国人が住む町
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「危険な外国人参政権」と「恐怖の人権機関」
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中国で根絶やしにされた孔子の理想は、日本で花開いていた。
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スウェーデンの悲劇。外国人参政権、人権擁護法案、移民1000万人受け入れの未来。
http://www.youtube.com/watch?v=KeLL6hNVrwc
スウェ-デン人の半数が軍隊による町のパトロ-ルを望む
http://www.youtube.com/watch?v=lsshD97rDuU
【移民受入れ阻止!】~デンマークの惨状
http://www.youtube.com/watch?v=zvmNDKb6_q4
やがてベルギー人のいなくなる町 ベルギーの首都ブリュッセル
http://www.youtube.com/watch?v=eXKSQ8lxwDU
こうして治安は崩壊し、国家は死に至る ベルギー ブリュッセル
http://www.youtube.com/watch?v=qAOxOKWW0IM
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