縄文人のページ

何を書くかわからない

◆天網恢恢疎にして漏らさず

2018-04-14 19:57:50 | 文化


◆天網恢恢疎にして漏らさず
【読み】 てんもうかいかいそにしてもらさず
【意味】 天網恢恢疎にして漏らさずとは、天罰を逃れることは決してできないということのたとえ。
【天網恢恢疎にして漏らさずの解説】
【注釈】 天が悪人を捕えるために張りめぐらせた網の目は粗いが、悪いことを犯した人は一人も漏らさず取り逃さない。
   天道は厳正であり、悪いことをすれば必ず報いがある。
『老子』に「天網恢恢、疎ニシテ失ワズ」、『魏書』に「天網恢恢、疎ニシテ漏ラサズ」とあるのに基づく。
「天網」とは、天の張りめぐらす網のこと。
「恢恢」とは、広くて大きい様。
「疎」とは、目が粗いこと。
「天網恢恢疎にして失わず」ともいう。
【出典】 『老子』 『魏書』
【注意】 「天網恢恢」を「天網怪怪」と書くのは誤り。
【類義】当たる罰は薦着ても当たる/神は見通し/天道様はお見通し/天に眼/天の網/天罰覿面/罰は目の前/眼は天を走る
【対義】 網呑舟の魚を漏らす/大魚は網を破る/天に目なし
【用例】 「あんなにも非情な罪を犯した者が、逃げ切れるはずはない。天網恢々疎にして漏らさずだ」
 
◆出立(しゅったつ)
しゅったつ【出立】
1 旅に出発すること。「払暁のうちに出立する」
2 物事を始めること。「此仮定から―すれば」〈漱石・趣味の遺伝〉

・しゅったつてん【出立点】出発する地点や位置。また、物事をしはじめるよりどころ。出発点。
「出立点が既に反抗的でしたから」〈漱石・こゝろ〉
 
◆出発 と 出立 はどう違いますか?
https://hinative.com/ja/questions/870407
同じ意味ですが、普段の会話では「出立」はあまり聞きません。
 
◆敵討 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/敵討
敵討(かたきうち)、または仇討ち(あだうち)
直接の尊属を殺害した者に対して私刑として復讐を行う中世日本の制度。
武士が台頭した中世期からの慣行であり、江戸期には警察権の範囲として制度化された。
基本的に、子が親の仇を討つなど、血縁関係がある目上の親族のために行う復讐を指した。
 
◆歴史
『日本書紀』巻十四雄略紀には、456年(安康天皇3年)に起きた「眉輪王の変」の記事があり、
これが史料に残る最古の敵討事件とされる。
眉輪王の義理の父にあたる安康天皇はかつて眉輪王の父である大草香皇子を殺し、母である中磯皇女を自らの妃とした。
安康天皇はある日ふとその事を漏らし、それを聞いた眉輪王は安康天皇が熟睡しているところを刺し殺した。
事件後、その動機を追及された眉輪王は「臣元不求天位、唯報父仇而已」(私は皇位を狙ったのではない、
ただ父の仇に報いただけだ)と答えている。

その後、仇討ちは、中世の武士階級の台頭以来、その血族意識から起こった風俗として広く見られるようになり、
江戸幕府によって法制化されるに至ってその形式が完成された。
その範囲は、父母や兄等尊属の親族が殺害された場合に限られ、
卑属(妻子や弟・妹を含む)に対するものは基本的に認められない。
また、家臣が主君のために行うなど、血縁関係のない者について行われることは少なかった。

江戸時代において殺人事件の加害者は、原則として公的権力(幕府・藩)が処罰することとなっていた。
しかし、加害者が行方不明になり、公的権力が加害者を処罰できない場合には、
公的権力が被害者の関係者に、加害者の処罰を委ねる形式をとることで、仇討ちが認められた。

武士身分の場合は主君の免状を受け、
他国へわたる場合には奉行所への届出が必要で、町奉行所の敵討帳に記載され、謄本を受け取る。
無許可の敵討の例もあったが、現地の役人が調査し、敵討であると認められなければ殺人として罰せられた。
また、敵討を果たした者に対して、討たれた側の関係者がさらに復讐をする重敵討は禁止されていた。.....
 
◆ほんかい【本懐】
もとから抱いている願い。本来の希望。本意。本望(ほんもう)。「本懐を遂げる」
 
◆池波正太郎時代劇「光と影」
https://youtu.be/N_pDma0UBvI

信州だよ、歴史は古く雪白く峰より高い志を保ちつつ耐えて忍んだ幾星霜 雌伏を源氏の揺りかごと為し 
名を興したのが信州武士よ。戦国を飾った大名,小名、の故郷さ。朝日夕陽に燃える日本アルプスは美しいぞ
 
◆山本周五郎時代劇  第十一話「金作行状記」
明石藩の勘定吟味役・大信田金作(川村陽介)は、代々藩の重臣を務める家柄だが、正直者過ぎて場の空気が読めず、
変わり者として知られていた。
その昔、二代目藩主・但馬守直常(野久保直樹)が誤って金作の頭を馬で蹴り上げて以来、
金作は直常の君寵を受けるようになる。
ある日、藩政をより盤石にするため、他藩より迎え入れられた、
老職・猪塚幸右衛門(浜田学)と近習番頭・宇野文弥(川連廣明)が一触即発となる。
そこで金作が2人を煽るような不用意な発言をして、宇野に恥をかかせてしまう。市之進(植木祥平)から責められ、
己の発言を反省する。そんな折、金作は道中で意識の朦朧とした謎の女・波江(小林万里子)を助ける。
一方、藩内では猪塚の肝いりで、天守や鉄砲の狭間を作る城の修繕案があがるが、金作は見積もりが膨大なうえ、
時世を顧みていないと異を唱える。その後、直常のある決断から事態は思わぬ方向へ向かい…。
https://youtu.be/oHIYxHeGi8Y

大信田 金作  … 川村陽介
猪塚 幸右衛門 … 浜田学
但馬守(松平)直常 … 野久保直樹
謎の女・波江 … 小林万里子
神田市之進   … 植木祥平
近習番頭・宇野文弥 … 川連廣明
直常の使者   … 重冨翔太
 
◆あんばい【塩梅・按排・按配】 日本語表現辞典。
① 飲食物の調味に使う塩と梅酢。
② 食物の味かげん。あんばい。 「 -ガヨイ食ヂャ/日葡」
③ 君主を助けて,政務をよく処理すること。 「 -の臣と成て群生を利したまふ/太平記 12」 → あんばい.
 
◆塩梅の意味とは?
「良い塩梅」というように使う「塩梅(あんばい)」という言葉。
なんとなく意味は分かっても、なぜ「塩」と「梅」なのか、疑問に思う言葉です。

塩梅の意味
塩梅(あんばい)は「具合・様子」という意味の言葉です。

「味の具合」や「体の具合」や「事が運ぶ様子」などのことを「塩梅」といいます。

もともと「塩梅」は「えんばい」と読み、味付けの基本である「塩と梅酢(うめず)」を意味する言葉でした。
もともとは「塩梅が良い」で「塩と梅酢の具合が良い」という意味ですが、現在では料理全般の味付け具合のことを
「塩梅」と言います。

この「塩と梅酢」を意味する「塩梅(えんばい)」とは別に「按排(あんばい)=物事を具合よく並べること」
という言葉があり、これと混同されて「塩梅(えんばい)」が「あんばい」と読まれるようになりました。

現在では2つの言葉は同一の言葉になっており、「塩梅」が「按排」と表記されることもありますが、
同じ意味なので混乱しないようにしましょう。

塩梅の使い方
塩の塩梅がちょうどよい。
病気になった友人の塩梅があまり良くない。
良い塩梅に誰も僕に気付いていないようだ。
というように使います。
 
◆えん‐ばい【塩梅】
1 調味料の塩と梅酢(うめず)。
2 料理の味を調えること。味加減。あんばい。
「連日竹葉(=酒)宴酔を勧め、―鼎味(ていみ)を調(ととの)ふ」〈吾妻鏡・三〉
3 臣下が主君を助けて政治や仕事を程よく処理すること。
「地に降下(あまくだ)っては―の臣となって群生を利し給ふ」〈太平記・一二〉
 
◆名君(めいくん)
専制国家において政治的に優れた国家君主のことである。

解説
君主とは専制国家を絶対的な王権をもって統治する、
いわば高貴な血統を正当なものとして独裁的な権力によって国政を総攬するものをいう。
そのため個人的な人格や能力、自制心のみならず受けてきた教育、
即位した年齢によって君主の治世が左右されることが多々あった。
その中でも名君とは、数多い君主の中でも特に人徳に優れたといわれる王族が、
その優れた統治能力によって民心を安定させ、国に平和と安寧、繁栄をもたらすものをいう。
また、名君の中でもさらに優れた人物は、他国にも名声が知れわたり、
周辺国との融和的な外交によって自国を含めた諸国にも平和と安寧をもたらすことが可能である。
しかし、たとえ聡明な資質を持っていたとしても年を経ることで名君の誉れ高った君主が暴君へと変貌することがある。
(名君として即位したが、いつしか暴君となったローマ帝国の皇帝・ネロ、寵姫・楊貴妃を得たことにより政治に倦み、安史の乱で国を傾かせた唐の皇帝・玄宗などが有名である)

そのため、多くの君主国では、君主に欠陥があったとしても支配が揺らがないよう法を制定し、
官僚組織を整備することによって、君主は名目上君臨するにとどまるようになっていった。立憲君主制であり、

歴史上の名君
日本:仁徳天皇、
聖徳太子、
醍醐天皇、
平清盛(若い頃)、
源頼朝、
武田信玄、
上杉謙信、
北条氏康、
北条泰時、
北条時頼、
北条時宗、
織田信長、
豊臣秀吉、
徳川家康、
徳川秀忠、
徳川吉宗、
池田光政、
上杉鷹山、
明治天皇、
松平容保、
昭和天皇など。
道鏡、
平将門、
足利尊氏、
明智光秀、
石田三成、
吉良上野介と言った悪人扱いされる人々も、領主や指導者として活躍した現地では名君扱いである。
 
◆明鏡止水(メイキョウシスイ)とは?剣道用語。
〔荘子 徳充符〕 くもりのない鏡と波立たない静かな水の意。心にやましい点がなく,澄みきっていること。 「 -の心境」

邪念がなく、澄み切って落ち着いた心の形容。
▽「明鏡」は一点の曇りもない鏡のこと。
「止水」は止まって、静かにたたえている水のこと。「鏡」は「けい」とも読む。
 
◆めいしゅ【名手】
1 すぐれた技量をもつ人。名人。「射撃の名手」「バイオリンの名手」
2 碁・将棋などで、うまい手。妙手。「名手を打つ」
 
◆名品
すぐれた作品・品物。逸品。
すぐれた品。名高い品。


のれん分け

2018-04-14 11:21:22 | 文化


◆のれん分け - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/のれん分け
のれん分け(のれんわけ)とは、奉公人や家人に同じ屋号の店を出させる(出すことを許可する)ことを言う。
商標等を共有しながら円満な形で独立することも指す。
なお、運営方針、後継者争い、労働争議、等による敵対的な独立は「分裂」と呼ぶ。
 
◆フランチャイズと暖簾分け(のれん分け)の違い|フランチャイズ(FC)展開 ...
plus1mind.net/cpu/column/theme01/column04.php
店舗を開業するには、江戸時代からある「のれん分け」制度を利用するという方法もあります。
 長年仕えた奉公人が一人前になると、 その労を報いるため、主人が奉公人の独立を援助する制度です。
ちなみに「のれん」とは、 お店の商号・技術・格式・伝統・顧客・仕入れ先・事業のノウハウなどお店の有形無形の財産を指します。
 のれん分けの場合、主家(オーナー)と分家に契約関係はなく、 主家の事業拡大を目的としている制度でもありません。
 
◆のれん【暖簾】
商店の軒や店先に(日よけとして)張る布。多くは屋号などを記した。
 「―に腕押し」(力を入れても手ごたえがないことのたとえ)
店の格式・信用。 「―にかかわる」
老舗(しにせ)としての、得意先・仕入れ先関係とか営業上の経験とかを総括した、無形の財産。
 「―を分ける」(長く勤めた奉公人に独立の店を与え、その屋号を名のることを許し、得意先等をも分けてやる)

◆暖簾 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/暖簾
暖簾(のれん)とは、店先あるいは部屋の境界に日よけや目隠しなどのために吊り下げる布のことである。
商店の入り口などに営業中を示すため掲げられ、屋号・商号や家紋などが染め抜かれていることも多い。

 
◆やごう【屋号】
商店や歌舞伎(かぶき)役者などの、家の呼び名。また、個々の家屋敷の通称。
 
◆屋号って何?個人事業主の屋号について徹底解説!
https://www.freee.co.jp/kb/kb-kaigyou/business-name-bk/
確定申告などいろいろな書類で、記載することがある個人事業主の屋号。
実を言うと、屋号について正確に理解できていない人はたくさんいます。
ここではそんな屋号について徹底解説します。

 
◆開業届と屋号の基礎知識!屋号をつけるメリットと注意点 | クラウド会計 ...
https://www.freee.co.jp/kb/kb-kaigyou/business-name/
これから開業届を作成するという方は、屋号についてどれくらいの知識があるでしょうか。
屋号を持つことは必須ではありませんが、個人事業主として事業を行っていく上で、
顧客や取引先からの信用につながりますし、屋号名義で銀行口座の開設も出来るようになります。

◆屋号 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/屋号
屋号、家号(やごう)とは、一門・一家の特徴を基に家に付けられる称号のことである。
日本、ヨーロッパにおいて使用されている例がある。
日本の場合、家紋のように屋号を記号化・紋章化した屋号紋を指すこともある。
また、前述の本来の屋号から派生して企業や店の名称などを屋号と呼ぶ場合もある。
 
◆家紋 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/家紋
家紋(かもん)とは、日本固有の紋章である。

概要
家紋は今日まで息づいている日本固有の文化であると言っていい。
古くより出自といった自らの家系、血統、家柄・地位を表すために用いられてきた。
日本だけで241種、5116紋以上の家紋がある。
単に紋所(もんどころ)や紋とも呼ばれる。
2017年現在、採取されているだけで 2万近くの家紋が確認されている。
武具(刀や甲冑など)に好んで使用された。
家紋は人々の暮らしに息づいていた。

家紋のおこり
「源平藤橘(げんぺいとうきつ)」と呼ばれる源氏、平氏、藤原氏、橘氏といった強力な氏族が最も名を馳せていた時代、
地方に移り住んだ氏族の一部が他の同じ氏族の人間と区別を図るため土地の名前などを自分の家名(屋号)とし、
それが後の名字となった。
家紋は家の独自性を示す固有の目印的な紋章として生まれ、名字を表す紋章としての要素が強い。

家紋の発展
その後、武家や公家が家紋を使用するようになった。

血統や元々の帰属勢力としていくつかのグループに大きく分けることができる。
それぞれが代表的な家紋とそのバリエーションで構成される。
その他、各地の豪族がそれぞれ新たに創作した家紋が現代まで伝わっているものもある。

合戦場を埋め尽くす家紋入りの幟
岐阜市歴史博物館蔵収蔵『関ヶ原合戦屏風』(江戸時代後期)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%B6%E7%B4%8B#/media/File:Sekigahara_Kassen_By%C5%8Dbu-zu_.jpg
 
◆のぼり【幟】
1.細長いきれの一端をさおの先につけて立てるもの。
2.こいのぼり。


◆幟 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/
幟(のぼり)は、日本における旗の形式のひとつ。長辺の一方と上辺を竿にくくりつけたものを指す。
日本では独自の心理的効果を上げる目的で神社仏閣、宗教施設などに多く設置される。多くは信者の寄進による

起源
平安時代以来、武士たちは軍容を誇示したり、自軍と敵軍との識別をおこなうために、
長い布の短辺に木を通して紐で吊り上げて風になびかせる、丈の高い流れ旗を軍団の象徴として掲げた。

時代が下って室町時代になると武家の一族間での争いが増加し、
同じ流れ旗と同じ家紋を用いる敵味方の判断に混乱を生じるようになった。
このため、布地の長辺の一方と上辺のあわせてふたつの辺を旗竿に結びつけることで流れ旗との識別を容易にした幟が
発案され、全国の武家へと徐々に広まっていったとされる。

幟はそれまでの流れ旗に置き換わっただけではなく、管理がしやすいことから戦国時代を経て幅広く利用されるようになった。
纏と呼ばれる馬印や旗差物などに幟が用いられ、日本における軍旗の一形式となった。
 
◆旗(はた)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%97
布や紙など薄い素材を用いて、主に竿の先端に付けて空中に掲げたものである。竿以外には綱などに付ける場合がある。

旗は、何らかの目印やシンボルとして掲示されるもので、視認性や他と識別されるために意匠が凝らされた布である。
風雨によってほつれたりちぎれたりしないよう、多くは補強が施されており、
特に綱や竿に結び付ける部分は念入りに補強されている。旗はもっぱら目に付く高いところに掲揚される。

その用途によって様々な機能が付与された旗も多い。
国家やコミュニティなどグループの象徴(シンボル)としての旗や、装飾用の旗は美しい色合いを使い、
図案や色に意味をもたせるなどの意匠が施されている。
通信用や識別用の旗は、他との識別性を重視して、風で多少歪んでいても、
見間違えないような共通化されたデザインが施されている。

シンボルとしての意味を持つ旗は、様々な儀式で様々な扱い方がなされる。
例えば優勝旗は、一種の記念品として扱われる。また、同じ旗でも扱い方によって込められた意味が違う。
例えば半旗は弔意という意思を表明する意味を持ち、国家の象徴である国旗を同列に繋げた万国旗は、
世界平和や国際協力を願う意味を持つ。
 
◆こっき【国旗】
国家の象徴として定められた旗。

◆国旗及び国歌に関する法律(平成十一年法律第百二十七号)
http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=411AC0000000127&openerCode=1
国旗及び国歌に関する法律
(国旗)
第一条 国旗は、日章旗とする。
2 日章旗の制式は、別記第一のとおりとする。
(国歌)
第二条 国歌は、君が代とする。
2 君が代の歌詞及び楽曲は、別記第二のとおりとする。
附 則
(施行期日)
1 この法律は、公布の日から施行する。
(商船規則の廃止)
2 商船規則(明治三年太政官布告第五十七号)は、廃止する。
(日章旗の制式の特例)
3 日章旗の制式については、当分の間、別記第一の規定にかかわらず、寸法の割合について縦を横の十分の七とし、かつ、日章の中心の位置について旗の中心から旗竿側に横の長さの百分の一偏した位置とすることができる。.....
 
◆「国旗・国歌」について - 内閣府
http://www8.cao.go.jp/chosei/kokkikokka/kokkikokka.html
大臣官房総務課では、「国旗及び国歌に関する法律」を所管しています。
別記第1(第1条関係)
日章旗の制式

日の丸
1.寸法の割合及び日章の位置
    縦  横の三分の二
2.日章 
    直径  縦の五分の三
    中心  旗の中心
彩色
地  白色
日章  紅色

別記第2(第2条関係)
君が代の歌詞及び楽曲

歌詞
  君が代は
  千代に八千代に
  さざれ石の
  いわおとなりて
  こけのむすまで
http://www8.cao.go.jp/chosei/kokkikokka/kimigayo-gakufu.gif
 
◆内閣総理大臣の談話(平成11年8月9日)
  本日、「国旗及び国歌に関する法律」が成立いたしました。
  我が国の国旗である「日章旗」と国歌である「君が代」は、いずれも長い歴史を有しており、
  既に慣習法として定着していたものでありますが、21世紀を目前にして、
  今回、成文法でその根拠が明確に規定されたことは、誠に意義深いものがあります。
  国旗と国歌は、いずれの国でも、国家の象徴として大切に扱われているものであり、
  国家にとって、なくてはならないものであります。
  また、国旗と国歌は、国民の間に定着することを通じ、
  国民のアイデンティティーの証として重要な役割を果たしているものと考えております。
  今回の法制化は、国旗と国歌に関し、国民の皆様方に新たに義務を課すものではありませんが、本法律の成立を契機として、
国民の皆様方が、「日章旗」の歴史や「君が代」の由来、歌詞などについて、より理解を深めていただくことを願っております。
  また、法制化に伴い、学校教育においても国旗と国歌に対する正しい理解が促進されるものと考えております。
  我が国のみならず他国の国旗と国歌についても尊重する教育が適切に行われることを通じて、次代を担う子どもたちが、
  国際社会で必要とされるマナーを身につけ、尊敬される日本人として成長することを期待いたしております。
 
◆こいのぼり - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/こいのぼり
こいのぼり(鯉幟)とは元来、日本の風習で、江戸時代に武家で始まった、
端午の節句である旧暦の5月5日までの梅雨の時期の雨の日に、
男児の出世と健康を願って家庭の庭先で飾られた紙・布・不織布などに鯉の絵柄を描き、
風をはらませてなびかせる吹流しを鯉の形に模して作ったのぼり。
皐幟(さつきのぼり)、鯉の吹き流しとも言う。
現在は、一般的にはグレゴリオ暦(新暦)5月5日に向けて飾られ、夏の季語として用いられる。
飾られる季節も変わり、イメージは「晩春の晴天の日の青空にたなびくもの」となった。
 
◆吹流し - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/吹流し
吹流し(ふきながし、吹き流しとも表記)
布などでできた筒を高所からぶら下げ、風向や風速を目視で確認するための設備である。
一般的には道路や空港などに設置されているのが見られる。
特殊な吹流しとしてはこいのぼりが挙げられる。 たなびく吹き流し。
吹き流しの風の受け口。リングがあるのが見て取れる。
高速道路に設置されている吹き流し。

◆皐月幟
読み方:サツキノボリ(satsukinobori)
端午の節句に男子の出生を祝って立てる幟
季節 夏
分類 宗教
 
◆メジャー国旗からマイナー国旗まで!「何でこうなった!?」国旗デザイン
https://studysapuri.jp/course/junior/parents/kyoiku/article-104.html
地理に関する宿題でありがちなのが、国旗の色塗りや由来を調べさせてくるというもの。
こういった宿題には国旗が示す意味とどんな国なのか調べてきてほしいという意図が込められているんですよね。
国旗を眺めていると、世界には「なぜ、こんな国旗にしたの?」とその国の人に尋ねてみたくなるような面白い形や色、
由来をもった国旗が多く存在しているんです♪.
そこで今回は、宿題に出てきそうな基本的なメジャー国旗の由来をおさらいしつつ、
変わり種のマイナー国旗の由来もご紹介させていただこうと思います!

◆屋根より高いどころかビルより高い!クレーンジャンボ鯉のぼり ... - 福井市
https://fukublo.jp/etc/2017/05/08/17979/
2017/05/08
鯉のぼりを上げてる期間の詳細は山善運輸機工株式会社サイト内山善NEWSで毎年4月中旬ごろ記載されます。
遠くから見ると、住宅地のど真ん中にあるように見えましたが、社内の広い駐車場に建てられており、
離れた所に駐車している2台のクレーン車のクレーンを伸ばし、その間に鯉のぼりが吊るされています。
 巨大なトラックと重機と私。
撮影した日は、程よい風が吹いていた為、
鯉のぼりたちが「バサァ~バサァ~」と音を立て、泳い・・・・・いや飛んでいました。
完全に制空権を得ている。
高さは30メートルほどになります。 ...


ビリー・ホリデー

2018-04-14 09:21:53 | 文化


◆ビリー・ホリデイ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/ビリー・ホリデイ
ビリー・ホリデイ(Billie Holiday) ことエレオノーラ・フェイガン (Eleanora Fagan, 1915年4月7日 - 1959年7月17日)
アメリカ合衆国のジャズ歌手。 「レディ・デイ」の呼称で知られ、サラ・ヴォーンやエラ・フィッツジェラルドと並んで、
女性ジャズ・ヴォーカリスト御三家の1人に数えられる。
彼女はその生涯を通して、人種差別や薬物依存症、アルコール依存症との闘いなどの壮絶な人生を送った。
彼女の存在は、ジャニス・ジョプリンをはじめとする多くのミュージシャンに影響を与えた。
彼女の生涯に於いて代表的なレパートリーであった
「奇妙な果実 (Strange Fruit)」や「神よめぐみを (God Bless' the Child)」、「I Love You, Porgy」、「Fine and Mellow」などは、
後年に多くのミュージシャンに取り上げられるジャズ・ボーカルの古典となった。

彼女の死から約40年後の2000年にはロックの殿堂入りを果たした。
また2003年には、「Qの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第12位に選出された

◆奇妙な果実
  ビリー・ホリデイは1915年4月7日メリーランド州ボルティモアの生まれ。1959年7月17日、ニューヨークで亡くなった。44歳だった。
  子供のころ、ルイ・アームストロングやベッシー・スミスの歌をよく聴いたという。
  売春罪で投獄され、麻薬容疑で逮捕されるといったドラマティックな人生は、本にもなり、ダイアナ・ロス主演で映画化された。
   本のタイトルにもなった「奇妙な果実」というのは、リンチの末、ポプラの木に吊るされた黒人の死体のことであり、
これは人種差別に対する告発の歌。このようにシリアスな曲がヒットチャート入りするとは誰も予想しなかったが、
1939年にビルボードのシングルチャート16位にランクされるヒットとなった。
声高に叫ぶのではなく、ビリーは終始淡々と抑えた感じで歌っている。
   それが説得力を生み、聴く者の心を締めつける。本作の目玉はそのタイトル曲だが、ほかの曲もすべて素晴らしい。
1939年から1940年代初頭にかけての名唱を収録したビリーの最高傑作であり、
ジャズヴォーカル不滅の金字塔である。(市川正二)
https://youtu.be/dZumQmnFuTM
 
◆ビリー・ホリデイの20曲:全米のポップ・シンガーは、彼女からなんらかの ...
https://www.udiscovermusic.jp/playlists/billie-holiday-in-20-songs
カウント・ベイシーのアルバム『Chairman Of The Board』の言葉によると、
「ごく少数の例外を除き、彼女の世代の全米の有名ポップ・シンガーは全て、彼女の才能になんらかの影響を受けている」。
今日、伝説のアーティストはありふれた存在になりつつある、
しかし、ビリー・ホリデイが最初に称賛を受けた時、その称賛は本当に重要な意味を持っていた。
だからこそわれわれは、“レディ・デイ”のキャリアの物語をたった20曲で伝えるという不可能な挑戦に挑もうとしている。
いつも通り、本当に初めから始めよう。

◆奇妙な果実を育てた人々の物語
http://zip2000.server-shared.com/billie-holiday.htm
- ビリー・ホリデイ Billie Holiday
& カフェ・ソサエティ -
<歴史的名曲の謎>
 20世紀のポピュラー音楽の歴史をながめていると、
 そこには社会の変化に連動して、生まれるべくして生まれた歴史的なヒット曲が存在することに気づかされます。
 そんな歴史的名曲の中でも、一際輝きを放つ作品、それがビリー・ホリデイの代表曲である「奇妙な果実」です。
 1950年代から1960年代後半にかけてアメリカ中を揺るがした黒人解放運動の大きな流れは音楽の世界にも
 当然のごとく大きな影響を与えました。
 サム・クックの「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム A Change Is Gonna Come」やジェームス・ブラウンの 「Say It Loud.I'm Black and I'm Proud」、
 それに公民権運動におけるテーマ曲的存在だった「We Shall Over Come」など、名曲は数多く存在します。
 しかし、それより前の50年以前にはそうした曲はほとんど見当たりません。
 しかし、1939年という遙か昔に黒人差別の問題を直接的に訴えかける衝撃的な歌詞をもつ曲、「奇妙な果実」が存在していました。
 そのうえ、その曲を歌っていた歌い手は迫害されることなく、逆にその曲は見事ヒットしたというのです。
 このことは僕も以前から気になっていて、なぜ10年もの空白があるのか?その理由を知りたいと思っていました。
 この疑問の答えがわかったのはつい最近のことです。
 それはデヴィッド・マーゴリックによって書かれた「ビリー・ホリデイと<奇妙な果実>」という本のおかげでした。
 どうやらビリーは「奇妙な果実」という曲を歌うことでいち早く1950年代への扉をこじ開けてしまったようです。
 そして、もしかするとそうすることで彼女は自らの寿命を縮めてしまったのかもしれません。
 
◆旅芸人 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/旅芸人
旅芸人(たびげいにん、英: itinerant performer)とは、旅をしながら芸をする芸人、
またはそれを行う事で金銭を得、生計を立てている人。

◆旅芸人
たびげいにん
旅かせぎをする芸人。2種類あり,一つは,日常は農業を営んでいるが,
一定の時期になると旅に出て各地で芸能を演じる芸人で,もう一つは季節に関係なく旅を続け,
芸を演じて生計を得る芸人のことをいう。前者は特に正月前後や各地の祭礼にあたって多く出回った。
正月の旅芸人は,新年の福運を家々にもたらす神人と考えられ,
年を祝い,家をほめる祝言を述べるのが特徴。大黒舞,万歳,戎 (えびす) 回し,鳥追い,春駒などが知られる。
後者では人形回し,猿回し,瞽女 (ごぜ) ,角兵衛獅子などが知られる。
これらは少人数で門付芸を中心に旅をしたが,
大人数が集団となって旅する場合は,地芝居,人形芝居などで一座の興行方式をとった。
現在では旅芸人という語感に合う個人や集団はほとんど消えている。

 
◆カーネギー・ホール - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/カーネギー・ホール
カーネギー・ホール (Carnegie Hall)
アメリカ合衆国ニューヨーク市マンハッタン区ミッドタウンにあるコンサートホールである。
1891年に創設されて以来、マンハッタンの7番街57丁目の一角を占めるミッドタウンのランドマークであり、古くからクラシック音楽、
ポピュラー音楽などのコンサートが頻繁に開催される音楽の殿堂となっている。かつてはニューヨーク・フィルの本拠地であった。

カーネギー・ホールが主催する音楽プログラムやその他芸術事業も数多く、
現在1シーズンあたりおよそ250公演のコンサートが催されている。
その一方で、ニューヨーク・フィルがリンカーン・センター内のフィルハーモニック・ホール(当時)へと拠点を移した1961年以降、
カーネギー・ホールはレジデンス・オーケストラをもっていない。

他にもカーネギーの名を冠するコンサートホールは、ウェストバージニア州ルイスバーグに所在するカーネギー・ホール(420席)、
カーネギー博物館などの置かれるカーネギー・インスティテュートの中心地ペンシルベニア州ピッツバーグに所在するカーネギー音楽堂(1928席)、
ピッツバーグ郊外のホームステッド・カーネギー図書館に併設されているカーネギー音楽ホール(1022席)、
そしてアンドリュー・カーネギー生誕の地であるダンファームリンに所在するカーネギー・ホールなど、世界各地に存在する。

 


ジャンコクトー

2018-04-14 09:02:16 | 文化


◆ジャン・コクトー - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/ジャン・コクトー
ジャン・コクトー (Jean Cocteau, 1889年7月5日 - 1963年10月11日)
フランスの芸術家。
詩人、小説家、劇作家、評論家として著名であるだけでなく、画家、映画監督、脚本家としての活動も行った。
自身は中でも詩人と呼ばれることを望んだという。
ダダやシュルレアリスムと相互影響はあったと考えられるが、自身は直接は運動に参加せず、むしろ対立も多かった。

◆ジャン・コクトーのおすすめ作品5選!画家や映画監督も務めた小説家 ...
https://honcierge.jp/articles/shelf_story/3461
2017/07/04
【ホンシェルジュ】 20世紀フランスを代表する作家ジャン・コクトーは、文学のみならず様々な芸術ジャンルを手がけ、
そのアヴァンギャルドな作風で世間を驚かせ続けました。
三島由紀夫、澁澤龍彦ら日本にも信奉者の多い彼の魅力が多面的に味わえる作品を紹介します。 | ネオ@アコ(大阪のフリーライター)
 
◆映画 オルフェ - allcinema
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=3890
メディア 映画
上映時間 112分
製作国 フランス
公開情報 劇場公開(新外映=東和)
初公開年月 1951/04/17
https://youtu.be/u9OguEyJP_o
監督: ジャン・コクトー 
製作: アンドレ・ポールヴェ 
原作: ジャン・コクトー 
脚本: ジャン・コクトー 
撮影: ニコラ・エイエ 
音楽: ジョルジュ・オーリック 

出演: ジャン・マレー 
マリア・カザレス 
フランソワ・ペリエ 
エドアール・デルミ 
ジュリエット・グレコ 
マリー・デア 
ジャン=ピエール・メルヴィル 
ロジェ・ブラン 
【解説】
 ギリシャ神話のオルフェウス伝説を基に、死と生の境を彷徨する詩人の姿に、
 俗世を超越した夢幻の世界に憧れる--彼の詩的テーマを託した、妖しい作品である。
 主人公のオルフェの通う“詩人カフェ”に“王女”と呼ばれる女性(カザレス)がある夜現われ、
 オートバイにはねられた詩人セジェストの死体を、オルフェに手伝わせ自分の車に運んだ。
 車はオルフェも乗せて、彼女の館に。
 そこでセジェストは蘇り、王女の導きで鏡の中に消えた。後を追うオルフェは鏡にぶつかって気絶する。
 目覚めれば鏡は消滅している。
 すっかり王女の美しさに囚われてしまったオルフェは、
 妻ユリディス(M・デア)の待つ自宅に戻っても虚ろであった。
 しかし、夜ごと彼の夢まくらに立つ王女を、彼は気づかない。
 妻は夫の心が自分から離れてしまったことを嘆きながら、オートバイにはねられ即死。
 死の国へと旅立つ彼女を、不思議な手袋の力で鏡を通り抜けて追ったオルフェは、
 二度と妻の顔を見ないという王女の突きつける条件を呑んで現世に連れ戻す。
 しかし、ユリディスは夫に見つめられずには愛を感じることもできず、よけい王女を嫉妬し、
 わざと彼に自分の顔を見させ、再び姿を消した。そこへ押しかけてくる友人たち。
 セジェストを奪ったのはお前だ--と彼らになぶり殺しにされ、遂に死の国へ迎え入れられるオルフェだったが、
 彼を愛していた王女は、生の世界に彼を連れ戻すことこそ正しいと悟り、妻と共に現世に帰した。
 メリエス直系の素朴なトリック撮影にかえって夢心地に誘われる映像は耽美派コクトーの独擅場。
 主役の、彼お気に入りのマレーも本作では一段と陰翳に富んだ表現を見せる。

 
◆オルペウス - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/オルペウス
オルペウス(古希: Ὀρφεύς, Orpheus, フランス語: Orphée)
ギリシア神話に登場する吟遊詩人であり、古代に隆盛した密儀宗教(英語版)であるオルペウス教の始祖とされる。
 日本語では、オルフェウス、時にフランス語での発音の影響から、オルフェとも表記される。 冥府のオルペウス

◆オルフェウスの神話
rueru-net.com/astro/orpheus.html
ギリシャのテッサリア地方にオルフェウスという男が住んでいました。
彼は神アポロンとムーサイのひとりカリオペの間に生まれた。
オルフェウスは毎日、金の竪琴を弾いては誰もまだきいたことのないステキな歌を歌っていた。
彼が歌うたび、鳥や獣がその歌を聴きに集まるし、木々は頭を下げ静かに聞き入っていた。
空の雲さえその歌を聴くといっそう美しく輝き、小川の水までも彼の歌に合わせてやさしい音をたててサラサラと流れた。
彼は多くの人に音楽の名人として慕われたが、
アルゴー船の遠征に加わって手柄をたててからは全ギリシャで名高い男となった。
このオルフェウスにはエウリュデケという妻があり、二人は心からお互いのことを愛していた。
彼は日々妻の為に竪琴を奏でて歌をうたった。
すると、エウリュデケはオルフェウスと並んで草原に腰を下ろして彼の曲に聞き入っていた。
それほどなかの良い夫婦でした。
 
◆星の神話・伝説~オルフェウスとエウリュディケ~
www2.plala.or.jp › トップ › 神話の杜
オルフェウスとエウリュディケ. オルフェウスは詩と音楽の神アポロンと学芸の神々の一人カリオペとの間に生まれました。
 彼は、かの巨船アルゴーの遠征に加わり、音楽を持って勇士たちを激励し、琴を弾き、歌を唄って嵐を鎮め、
 かのセイレーンが怪かしの歌で一同をひきつけようとしたときには、正しい音でこれに打ち克ち、
 船の安全を保ちつづけたと云われています。
 しかし、彼についての神話・伝説のうちおそらくもっとも有名なのはこれから述べるエウリュディケとの物語でしょう。

エウリュディケは、ニンフの一人でオルフェウスに請われその妻となりました。
しかし、二人の婚礼の夜、縁結びの女神ヒュメノンの燃やしたたいまつの火が燻り、二人の目に涙を浮かべさせたのです、
しかしこの時はこれが不吉の前兆であるとは夢にも思いませんでした。