ふるさとは誰にもある。そこには先人の足跡、伝承されたものがある。つくばには ガマの油売り口上がある。

つくば市認定地域民俗無形文化財がまの油売り口上及び筑波山地域ジオパーク構想に関連した出来事や歴史を紹介する記事です。

つくば市認定民俗芸能「筑波山ガマの油売り口上」

2018-08-23 | ガマの油口上 技法

       筑波山梅まつりで口上を演ずる第18代名人

筑波山伝承「ガマの油売り口上」の誕生の続き


 ガマの油売り口上は、浅草観音境内奥山で居合抜きの辻売り芸で知られた長井兵助の口上を、同じく独楽廻しの曲芸をやっていた松井源水が受け継いだとされる。
 16代源水の弟子が伝える口上は、古典落語と大きな違いはない。


 18代名人永井兵助(故人)から伝統芸能「筑波山ガマの油売り口上」創作の経緯について説明を受ける機会がなかったが、各種の口上を収集、特に第十六代松井源水の弟子が伝える口上や古典落語を基に表現を現代風に変え、加筆し書式を整え筑波山にふさわしいものを創作した。

 下記の口上文で傍線を付した箇所は、明らかに古典落語などには見られない個所である。


   大道芸、ガマの油売リ口上 
                   第十八代 永井 兵助  



さあさあ お立ちあい 御用と お急ぎでなかったら、ゆっくりと聞いておいで。
遠出山越え笠の内、聞かざる時には、物の出方、善悪、黒白が トント分からない。

山寺の鐘がゴォーン、ゴォーンとなると雖も、
童子来たって鐘に撞木を当て当てざれば、

鍾が鳴るのか、撞木が鳴るのか
トント その音色が分からぬが 道理じゃ。 

 


さて手前ここに取り出したる これなるこの棗、
この中には一寸八分 唐子発条 の人形が仕掛けてある。

我が国に 人形の細工師 数多有りと雖も

京都にては守随、
大阪表にては竹田縫之助、
近江の大堟 藤原の朝臣、
この人たちを入れて 上手名人はござりませぬけれども、
手前のはこれ 近江の津守細工じゃ

咽喉には 八枚の小鉤を 仕掛け、
背中には十と二枚の歯車が組み込んで ござりまする。

この棗をば、大道に据え置くならば、
天の光を受け地の湿りを吸いあげまして陰陽合体。
パッと蓋を取る 時には、
ツカ ツカ ツカ ツカ ツカと 進むが 虎の小走り虎走り、

後ろへ下がって雀 独楽どり、独楽返えし、
また孔雀、霊鳥の舞と
十二通りの芸当がござりまするけれども。

如何に人形の芸当が上手であろうとも
投げ銭や放り銭は お断り。

手前大道にて未熟な渡世はしているけれども、
憚りながら天下の町人、
泥のついた投げ銭や放り銭をバタバタ拾うようなことは 
いたしませぬで。

しからばお前、投げ銭、放り銭 貰わねえで一体
何を以て商売としているのかい、
何を以て おまんま食べているのかいと 
心配なさる方が あるかも知らないけれども、

これなる 此の看板示すがごとく、
筑波山妙薬は陣中膏
ガマの油。
此のガマの油という膏薬をば 売りまして生業と致しておりまするで。 



さて、いよいよ
手前 ここに取り出しましたるが 
それその 陣中膏はガマの油だ。

だが お立ち会い。
蝦蟇 蝦蟇と一口に云っても 
そこにも居る ここにもいるという蝦蟇とは、
ちと これ 蝦蟇が違う。

ハハア、蝦蟇かい。
なんだ 蝦蟇なんか 俺んちの縁の下や 流し下にもぞろぞろいる。  

裏の竹藪にだって
蝦蟇なら いくらでもいる なんていう 顔している方がおりますけれども、
あれは 蝦蟇とは言わない。

ただのヒキ蛙、疣蛙、御玉蛙か 雨蛙 青蛙,
何の薬石・効能はござりませぬけれども、

手前のは、これ四六の蝦蟇だ。
四六の蝦蟇だ。
四六、五六というのはどこで見分けるかというと、
ほら、此の足の指の数。

えー、前足の指が四本、後ろ足の指が六本。
これを合わせましては、蟇鳴噪は四六の蝦蟇だ、
四六の蝦蟇

また、この蝦蟇の採れるのが五月、八月、十月でござりまするから、
一名これ、
五八十は四六の蝦蟇だ。四六の蝦蟇。

サテ しからば、
此の四六の蝦蟇の棲むところ、
一体、何処なりやと言うれば、

これより遙か北の方、
 〔注〕 古典落語で「北の方」とは、京都を起点として北を指す。

北は常陸の国は筑波の郡、
古事記・万葉の古から 歌で有名。
「筑波嶺の峰より落つる男女川 恋いぞつもりて渕となりぬる。」
と陽成院の歌にもございます

関東の名峰は 筑波山の麓。

臼井、神郡、館野、六所、沼田、国松、上大島、
東山から西山の嶺
にかけまして、
ゾロゾロとはえておりまする
大葉子と言う露草をば 喰らって育ちまするで。
    
  

 さてしからば、此の蟇から此の蟇の油を採るにはどういう風にするかって言いますと、
 先はノコタリノコタリ急ぎ足、 
 木の根、草の根 踏みしめまして山中深く分け入り、
 捕えきましたるこの蟇をば
 四面(しめん)に鏡を張り、
 その下に金網・鉄板を敷く。  

 その鏡張りの箱の中に此の蟇を追い込む。 
 
 さー追い込まれたガンマ先生。
 鏡に写る己の醜い姿が四方の鏡にバッチリと写るから たまらない。 
 我こそは今業平(いまなりひら)と思いきや、
 鏡に映る己の醜さに、
 ガンマ先生 ビックリ仰天いたしまして、
 御体から脂汗おば、
タラーリ タラーリ タラーリ流しまする。

      油汗をばタラーリ タラーリ タラーリ流しまする  

               

 その流しましたる油汗をば 下の金網からぐぐっと抄(す)き取り集めまして、 
 三七(さんしち)は二十と一日の間、柳の小枝をもちまして、 
 トロリ・トロリ・トローリ とよく煮炊きしめ、 
 赤い辰砂(しんしゃ)に、椰子油、 
 テレメンテーナ・マンテーカという唐(から) ・天竺(てんじく) ・南蛮渡りの妙薬をば、 
 合わせまして、 
 よく練って練りぬいて造ったのがこれぞれ 
 此の陣中膏ガマの油の膏薬でござります。
   
         赤いシンシャにテレメンテーナ・マンテーカ        
       
               筑波山梅林内にあった旧「おたちあい」の展示物
    

 これにてこのガマの油の造り方お分かりでござりまするかな。 

 エー、分かったよ。
 分かったけれども、
 どうせ大道商人(あきんど)のお前のガマの油なんか
 ろくな効目なんかあるまいと思ってるような顔している方がおられるよだけれども、 
 薬というのは何に効くのか効目が分からなかったら値打ちがねえよ。 

       
 〔注〕
  辰砂(シンシャ) :  硫化水銀、薬用には粉末にする。 中国では不老長寿の薬とされた。
  テレメンテイナ: 松油
  マンテイカ:    猪油 
 

 

しからば、蝦蟇の油の膏薬、何に効くかと云うなれば、
先ずは疾に癌瘡、火傷に効く。
瘍・梅毒・皹(ひび)に霜焼け、皸(あかぎれ)だ

前へ廻ったらインキタムシ、後ろへ廻ると肛門の病。
肛門と云っても 水戸黄門様が病気になったんじゃねいよ

 これを詳しく云うなれば、
出痔に疣痔・走り痔・切れ痔・脱肛に鶏冠痔。
鶏冠痔というのは、鶏の鶏冠のように真っ赤になる痔の親分だ。

だが手前の此の蝦蟇の油をば、
グットお尻の穴に塗り込むというと、
三分間たってピタリと治る。

まだある
槍傷・刀傷・鉄砲傷・擦り傷・掠り傷、外傷一切。

まだある。
大の男が七転八倒して畳の上をばゴロンゴロンと転がって苦しむほど痛えのがこれ
この虫歯の痛みだ。

だが、手前の この蝦蟇の油の膏薬、
これをば 紙に塗りまして 上からペタリと貼るというと、
皮膚を通し肉を通して 歯茎にしみる。

又 蝦蟇の油 小さく丸めまして アーンと大きな口開いて
歯の空洞にポコンと入れるというと、
これ又三分間
熱い涎がタラリ タラーリ
と出る共に 歯の痛みピタリと治る。

まだある。どうだい、お立ち会い。
お立ち会いのお宅に 小さい赤ん坊はいらっしゃるかな。

お孫さんでも お子さまでもいいよ。
エー。赤ん坊の汗疹、爛れ、気触れ なんかには、
手前の此の蝦蟇の油の入っておりましたる 空きは箱・空箱・潰れ箱、
此の箱を見せただけでも ピタリと治る。

えー、どうだい、お立ち会い。
こんなに効く蝦蟇の油だけれども、残念ながら効かねいものが 四つあるよ。
先ずは 恋いの病と浮気の虫。
あと二つが禿と白髪に効かねえよ。

おい、油屋。
お前さん 効かねえものなんか並べちゃって、
もう 蝦蟇の油の効能つうのは 終わりになったんじゃねえかと
思っている方がおりますけれども、
そうではごさりませぬ。

も一つ大事なものが残っておるりまする。
刃物の切れ味をば 止めてご覧に入れる。





ハイッ。
手前 ここに取出したるは、
これぞ当家に伝わる家宝にて
正宗が暇に飽かして 鍛えた天下の名刀、


元が切れない、
中切れない、
中が切れたが先切れないなんていう鈍刀・鈍物とは物が違う。
実に良く切れる。
 
〔注〕「切れないという鈍刀・鈍物とは物が違う。」とあるが、
    古典落語では「鈍刀なりといえども・・・切れる。」

どれ位切れるか抜いて切ってご覧に入れる。

エイ。抜けば夏なお寒き氷の刃。
津瀾沾沌 玉と散る。ハイ。
ここに
一枚の紙がござりまするので、
これを切ってご覧に入れまする。

ご覧の通り種も仕掛けもござりませぬ。

ハイ。
一枚が二枚。
二枚が四枚。 
四枚が八枚。
八枚が十六枚。 
十六枚が三十二枚。 
三十二枚が六十四枚。
六十四枚が一束と二十八枚

エイ。
これ この通り細かく切れた。

パーッと散らすならば比良の暮雪か、
嵐山には落花吹雪の舞とござりまする。

どうだ お立ち会い。
こんなに切れる天下の名刀であっても、
この刀の差表、差裏に 手前の この蝦蟇の油塗るときには、

刃物の切れ味ピタリと止まる。

塗ってご覧に入れる。

 あーら塗ったからたまらない。
刃物の切れ味ピタリと止まった。
我が二の腕をば、切ってご覧に入れる。

ハイッ

打って切れない、叩(たた)いても切れない。

押しても切れない。
引いても絶対に切れない。

さて、お立ち会いの中には、
なあんだ、お前のそのガマの油という膏薬は
これほど切れた天下の名刀をただなまくらにしてしまうだけだろうと思っている方が
おりまするけれども、
そうではござりませぬ。

手前、憚りながら、
大道商人をしているとは雖も、
ご覧の通り 金看板天下御免のガマの油売り
そんなインチキはやり申さん。

この刀についておりまするガマの油、
この紙をもちまして、きれいに拭きとるならば、
刃物の切れ味 また、元に戻って参りまする。

さわっただけで赤い血がタラリ タラーリと出る。
しからば、我が二の腕をば 切ってご覧に入れる。

ハイッ。これ この通り。
赤い血が 出ましてござりまするで。
だが、お立ち会い、血が出ても心配はいらない。

なんとなれば、
ここにガマの油の膏薬がござりまするから、

この膏薬をば 此の傷口に ぐっと 塗りまするというと、
タバコ一服吸わぬ間に
ピタリと止まる血止めの薬とござりまする

これ この通りで ござりまするで。



 

さあて、お立ち会い。
お立ち会いの中には、
そんなに 効き目のあらたかな そのガマの油、
一つ欲しいけれども、
マの油って さぞ高けいんだろうなんて
思っている方がおりまするけれども、

此のガマの油、
本来は一貝が二百文、二百文ではありまするけれども、
今日は、はるばる、出張ってのお披露目。

男度胸で、女は愛嬌、坊さんお経で、山じゃ鶯ホウホケキョウ、
筑波山の天辺から真逆様にドカンと飛び降りたと思って
その半額の百文、二百文が百文だよ。

さあ、安いと思ったら買ってきな。
効能が分かったら ドンドンと買ったり、買ったり。

                         (終わり)
 
〔注〕 ガマの油の値段 

  古典落語では「一貝が十二文だが今日は小貝を添えて二貝で十二文」
  貨幣「一文」が25円程度とすれば、妥当な金額と考えられる。
  「一貝二百文」としたため、聞く者に所謂 ”ぼったくり” の印象を与えるもとになった。

     「天保通宝1枚=100文が2500円」の文字が見える   
    
                     (石岡市民俗資料館) 


 〔注〕 陽成院の歌
   陽成院(868年~949年、天皇在位:876年~884年)の歌 
      「つくばねの峰よりおつるみなの川 恋ぞつもりて淵となりける」
        (百人一首では「淵となりぬる」) 
    
    
     

 陽成院は、上皇歴は長かった。歌才があったが、自身の歌として残るのは『後撰和歌集』に入撰し、のちに『小倉百人一首』にも採録された上記一首のみである。
 陽成院の時代、各地で巨大地震が発生している。
 百人一首の歌は、陽成院が被災地の視察のため京都を出て平沢官衙があった筑波山麓、
 国分寺があった石岡を経て被災地の東北・多賀城を往復した際に読んだ歌なのだろう。 
   

     〔注〕 平沢官衙遺跡
  

  〔注〕石岡市、国分寺跡 (掲示板の写真)

 



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