ふるさとは誰にもある。そこには先人の足跡、伝承されたものがある。つくばには ガマの油売り口上がある。

つくば市認定地域民俗無形文化財がまの油売り口上及び筑波山地域ジオパーク構想に関連した出来事や歴史を紹介する記事です。

伝説 筑波山と富士山の“競争”

2023-01-26 | 茨城県南 歴史と風俗


日本の伝説

  日本は伝説の驚くほど多い国であります。以前はそれをよく覚えていて、話して聴かせようとする人がどの土地にも、五人も十人も有りました。ただ近頃は他に色々の新に考えなければならぬことが始まって、よろこんでこういう話を聴く者が少なくなった為に、次第に思い出す折が無く、忘れたりまちがえたりして行くのであります。

  伝説と昔話とはどう違うか。それに答えるならば、昔話は動物の如く、伝説は植物のようなものであります。昔話は方々を飛びあるくから、どこに行っても同じ姿を見かけることが出来ますが、伝説はある一つの土地に根を生やしていて、そうして常に成長して行くのであります。  

 雀や頬白(ほおじろ)は皆同じ顔をしていますが、梅や椿は一本々々に枝振りが変っているので、見覚えがあります。可愛い昔話の小鳥は、多くは伝説の森、草叢(くさむら)の中で巣立ちますが、同時に香りの高いいろいろの伝説の種子や花粉を、遠くまで運んでいるのもかれ等であります。

 自然を愛する人たちは、常にこの二つの種類の昔の、配合と調和とを面白がりますが、学問はこれを二つに分けて、考えて見ようとするのが始めであります。  
              


神いくさ  
 日本一の富士の山でも、昔は方々に競争者がありました。人が自分々々の土地の山を、あまりに熱心に愛する為に、山も競争せずにはいられなかったのかと思われます。古いところでは、常陸の筑波山が、低いけれども富士よりも好い山だといって、そのいわれを語り伝えておりました。

 大昔御祖神(みおやがみ)が国々をお巡りなされて、日の暮れに富士に行って一夜の宿をお求めなされた時に、今日は新嘗の祭りで家中が物忌みをしていますから、お宿は出来ませぬといって断りました。筑波の方ではそれと反対に、今夜は新嘗ですけれども構いません。さあさあお泊り下さいとたいそうな御馳走をしました。神様は非常に御喜びで、この山永く栄え人常に来きたり遊び、飲食歌舞絶ゆる時もないようにと、めでたい多くの祝い言を、歌に詠んで下されました。
 筑波が春も秋も青々と茂って、男女の楽しい山となったのはその為で、富士が雪ばかり多く、登る人も少く、いつも食物に不自由をするのは、新嘗の前の晩に大切なお客様を、帰してしまった罰だといっておりますが、これは疑いもなく筑波の山で、楽しく遊んでいた人ばかりが、語り伝えていた昔話なのであります。
           (「常陸国風土記」 茨城県筑波市)  

 富士と浅間山が煙りくらべをしたという話も、ずいぶん古くからあった様ですが、それはもう残っておりません。不思議なことには富士の山で祀まつる神を、以前から浅間大神と称となえておりました。富士の競争者の筑波山の頂上にも、どういうわけでか浅間様が祀ってあります。

 それから伊豆半島の南の端、雲見の御嶽山(みたけやま)にも浅間の社というのがありまして、この山も富士と非常に仲が悪いという話でありました。いつの頃からいい始めたものか、富士山の神は木花開耶媛(このはなさくやひめ)、この山の神はその御姉の磐長媛(いわながひめ)で、姉神は姿が醜かった故に神様でもやはり御嫉(ねたみ)が深く、それでこの山に登って富士のうわさをすることが、出来なかったというのであります。 
           (静岡県賀茂郡)

 ところがこれから僅二里あまり離れて、下田の町の後には、下田富士という小山があって、それは駿河の富士の妹神だといっております。そうして姉様よりも更に美しかったので、顔を見合せるのが厭いやで、間に天城山を屏風のようにお立てになった。それだから奥伊豆はどこからも富士山が見えず、また美人が生れないと、土地の人はいうそうであります。おおかたもと一つの話が、後にこういう風に変って来たものだろうと思います。
           (静岡県下田市)

                                正岡子規「日本の伝説」から抜粋

 


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