その当時、蓄音機は私の家の生活水準からすると、見分不相応な代物であった。両親は、子供の情操教育の為にと思ったのか、さぞ無理して購入したことであろう。その時代は、一流大学に就職をすれば、その人の人生は安泰であると皆信じていた。
それに反して、私は蓄音機を畳の上でまわし、周りで飛び跳ねて蓄音機の針がレコード盤の溝からずれて変な音のつながりを楽しんだものだ。結局、蓄音機はおもちゃのひとつになっていた。
傷のついたレコード盤は、雑音がいっぱいである。それでも何とか音楽を奏でる。完璧でないところがまたよい。