goo 館 of ほっとあいず

このブログは、hot-eyes Office の別館です

「名称」および「テンプレート」を変更しました

Story of 風林火山(6)

2007-05-15 | Story of 風林火山
Story of 風林火山/外伝「水」
「私の思い...」改め

【大きな公園】

柏ケ丘公園
せせらぎ公園
なかまち緑道
みどりの村

網走川河畔公園
航空公園

差し当たり、美幌の大きな公園はこれで押さえた形になっています
今回、車と自転車で美幌を回ってみて、美幌の街が「緑に溢れている」ことに改めて気付かせてもらいました

このブログ「水」を作るきっかけは、水神さんが「水だよ!」と教えてくれたことに発します
その前に、私の中でまた一つ「ブログ」を作るんだろうな!?という感覚はありました
だから、何となくグリーンビレッジに行き、山を登ると仲間がいた!
そのあと、土砂崩れの現場に行き、トレセン、コミセン&マナセン、その前に図書館にも行っています
いまは美禽の後っつあんが付いているから、若いヒトのうけも良い!?

出発点としてのブログ・ワールドの基本は「風林火山」です
その4つでブログ・ワールドを作ろうと思って構想を練り、パソコンがインターネットに繋がるまで準備をしていました
その間、パソコンが「海」、仲間が「光」、それを支える基地としての「オフィス」を作り「バージョン1」は出発しました
その後、K-taiが「花」を教えてくれて「バージョン2」に向かって配置換えや内容の整理を行いました

そして「山」の仲間が「林」の向こう側あるいはその中にある「水」を教えてくれたのです
そのため、この3ケ月の間に「バージョン3」になってしまいました
とうとうこれで、全体で9種類(ブログ数は10)になってしまいました

けれど私の中のカテゴリー分けでは、まだ新しいブログが生まれる予感とともに、それが「徐々に」個々のページごとにリンクし合い、全体としての「ネットワーク」を形成していく感覚があります
それは、我が町「美幌町」にも影響を及ぼし始めている感覚もあるのです
それは、周りの街にも「飛び火」し始めている...

話しは戻りますが、

確かに「現在、私たちが利用出来ていないものは、無駄」と思えるかも知れません

けれど、私はいま「公園」に対する、それを作った方々の「思い」を感じ始めています
それは、ちょっとした「視点の変更」あるいは「工夫」で生きてくるということです
こんな「思い」で地図を書き、こんな未来を我々に引き継いで欲しいという言霊がそこここに痕跡として残っているのです

あまりにも、私たちは「準備されているものからチョイス(選ぶ)ことに慣れ過ぎてしまった」「準備されていないと文句をいう」そんな存在になってしまっているように思います

先人は何も準備されていない原野を耕して、この「美幌町」を作った
その痕跡が彼方此方にある!のです
大きな樹があるところは、川の多い美幌の地で水の流れから逃れられるところだから、人が住んでいた...
丘の上や元町地区もそう
いまは治水技術が進んだから、それを意識しないだけ

またその場所は、アイヌの人々から奪った処かも知れません
力の強いものが、一番良いものを取る権利があった時代ですから
その痕跡が「怨念」っぽい形で残っていることもあるでしょう

しかし、それらの「思い」を今を生きる私たちが、未来に繋げる&好循環にする作業をしなければ、言霊はいつまでも私たちには聞こえない
それは「水」が雨として降り、樹木に保持され河に流れ、私たちの身体を通り抜け、川に戻り海へと続き、そして空に上がって生き...という循環を崩すことに繋がることでもあります

日本通貨が「円」という名前、「輪・和・話」という言葉を日本人が好きなように、循環の法則を「知っていた民族の子孫」が私たち
それを改めて認識して、街を作って行かなければならないことをいま私は、感じています

そして改めて、すべての存在と共にありたいと思い始めて、このブログが生まれたのです
それは「水の都 BIHORO」への道でもあります

公園たちは、私たちを手伝いたいと手薬煉引いて待っています!!

by ほっとあいずでした

と筆を置いて一眠りをしたら、まだ続きがあるというので出掛けてみました

「栄通り」を東に向かって走りました
その道は第3のメイン・ロードになるはずのもので、多くの美幌に取って重要な施設がある通りだったんですね
Kさんあなたも重要な存在の1人なんですヨ

そしてその道は、大空町の東藻琴へと繋がる道なのです
そこに風を通さなければいけなかったのです

また今まで何度か通っていたのですが、ちゃんと守るヒトがいると呼ばれない!?ので、気づかなかった「報徳小学校」の写真を収めました
現役の学校を撮り始めたから、忘れちゃ困る!?と呼ばれてしまったようです

そして、公園シリーズの物語の続編

「せせらぎ公園」と「なかまち緑道」は、国道39号を緑道側が平和通りに伸びて行って「平和橋」でリンクしていたんですね
国道39号は車で走ることしかなかったので、気づかなかった
端から端まで歩こう!と思ったら全体で5kmぐらいになる大叙事詩が、そこには在る

美幌は、緑と水と道で出来ているんですね!
それを生かさなければ、バチがあたる
...かもね ツ(^o^)シ

追記
今日(15日)美富のOくんのところと、上美幌のIさんのところへの帰りに上美幌から道道217に下りました
航空公園が手を挙げたからです

上記で触れていませんが「せせらぎ公園」は津別への鉄の道だった
そして、その代わりに生まれていたのが「航空公園」の滑走路
それは、津別へ向かう空の道
けれど、いまのところそこには「風」が吹いてはいない...

つづく≫

最初から読みたい方は
Story of 風林火山(0)へ

関連ブログ「水の都 BIHORO」
水の都へ


最新の画像もっと見る