最後に…そして始まりに!(デザイナーの思い)
(2004.1.13記述)
このプロジェクト「地域通貨『どーも』」の真の目的は、通貨「どーも」というツール(道具)を使った「自治および民主主義の再構築」あるいは「新しい民主主義のシステムづくり」である
それは「新たな人間関係の結びつきの創造」といっても良いだろう
ここで、ことわらせて頂くが、三浦は「経済学者」でも「哲学者」でもない
単なる美幌のいち町民であり、あえて肩書きを付ければ、今は「フリーター」である
(だから、こんなことを考える時間があるとも言えるのだが…)
しかし、このプロジェクトは、誰かの考えを継ぎはぎした「絵に描いたモチ」ではなく、イメージ出来る範囲で、細部にわたって血の通った「設計図」として描いたつもりである
みんなで!知恵や工夫を持ち寄って、実際に創ることが可能なものであると確信している
このプロジェクトは、現代の閉塞感の一つの突破口となり得るパワーを持っている
現在、地方の自治体は政府主導の「行政システム」からの切り捨てを迫られている
それなら逆に、それを利用して、自ら自立した自治を行うべく準備をすれば良い
そのための一つの「ツール(手段)」として機能できる可能性を通貨「どーも」のシステムは持っていると、私は考える
「趣旨」のところでも書いたように、ある種「独立」するということは、一見受動的に見えるがモノ(例えば、通貨)によって「規定」されるのである
つまり、通貨「どーも」を使って「どーも経済圏」を創ることによって、手垢で汚されてしまった「円」の経済圏から「独立(一つの側面だけではあるが)」し、その「どーも経済圏」の中で、自主的に、かつ積極的に!通貨「どーも」のシステムを利用して、その住民が「自分たちの持つ価値の再発見」を行い、それを「どーも」通貨に置き換え、そして「円」へと変換することを繰り返すことによって、色々なモノ(具体的な資産、および目に見えない財産)を増やしていくことが出来るのである
そして、その一番の財産となるのが「自主性」と「積極性」であり、それが現在の閉塞感を打ち破る原動力、求められているものだと考える。
「民主主義」というシステムは、そこに属する「民」の積極的な関わりを前提として、レイアウトされたものである
今までは、富が富を生み、バブル期までは大きなお金の流れがあったから、「民」は不在のままでも、予定調和的に物事は進んでいった(実際、生活水準は50年前と比べて確実に上がっている)
しかし、我々は「民主」の意味を翻訳し間違えていたのである
「民が主」を「民(お客様)は神様です」と言うように「民のために」が強調され過ぎていた…
本当は「民が主体的に!」「民による」が必要だったのである
ひと昔前(もっとかな?)に、「三無主義」「モラトリアム」などの若者を批判する言葉がもて囃された
しかし今、ひるがえって「自己分析」をして頂きたい
そのとき、そして今「自分は社会に対して、どうであったか?」と
「無関心」「無参加」「無責任」の三ナシ状態ではなかっただろうか
一人の人間の持つパワーは小さいし、選挙でいえば「住民分の一」の力でしかないわけで「無力感」を感じざるをえないわけだが、「不在」であってはいけなかったのである
そして、そのツケが具現化したのが現在の八方塞がりの「閉塞感」なのである
現在(※筆者注、これは2004年当時です)、美幌の町では「町長がはっきりしない」「議会は何をやっているんだ!」などの声を聞く
確かに、それぞれの立場において求められている機能を果たしていないことは事実だろう
その理由をあげるとするならば「状況が解っていない」「今までに経験したことがない」「解決策が見えていない」の3ナシ状態のどれか(あるいはその全て)が理由であるといえるだろう
しかし、根本的な問題は「民主主義」の主体であるべき「民」がその持ち場を離れて「お客様」になってしまっていたこと
「主体の不在」という状態では、民主主義のシステムは機能しないし、「お客様ばかり!」では、そこに依存する費用ばかりが増大するのである
それの蓄積が、政府の財政破綻であり、今までの「王様気分」ではいられないのである
また「民主主義を守ろう!」「住民参加の自治を作ろう!」などという言葉を叫ぶのは簡単である
「いま、地方自治の在り方が問われている!」といっても、具体的なモノとして見えなければ「在り方など、有り得ない」のである
ナゾ掛けみたいなものである
また「21世紀はこころの時代」などというユートピア思想ともいえる言葉が語られた時期がある
しかし、ユートピアは誰かが作ってくれるものではない
自分たちの手で創り上げなければならないモノなのである
そこで、この「どーも」というモノがある
それは、みんなの工夫や英知を結集することの出来る「入れ物(ツール)」である
それらを「資産」として蓄積することの出来るシステムでもある
みんなの思いを持ち寄り、それをまとめるための「柱」になれる要素を持っていると考える
だが、しかし「どーも」があれば、幸せになれるというものではない
それに「いのち」を吹き込むことが必要である
それが「主体的かつ積極的」にそれを利用することである
モノは、それを使う者の心を映す
刃物は、人を殺す武器にも、人を生かす包丁にもなるのである
「どーも」は、それを「誰かのために」使おうとしたとき、はじめてその「真価を発揮する」ものである
人はその間(あいだ)で、何かを交換してはじめて「人間」になれるのである
交換できるものは、なるべく、お互いが損をした気分にならないように、「等価」で交換すれば良い
足りないモノがあれば、「知恵と工夫」を持ち寄って、乗り越えれば良い
それらをつなげるために「どーも」は存在するのである
それを使って「共に生きる道」をさぐって行きたいと考えるのである
北海道にはかつて「フロンティア・スピリット」というものがあったとよく言われる
しかし、必ずしもみんながみんな「大志を持っていた」わけではない
また我々のどこかに、内地で生活出来なくなった者のよせ集め!?という負い目が「遺伝子化している」のかも知れないし、その劣等感が精神を萎縮させているのかも知れない
そして「寒冷地で生活が大変だから」という依存体質がどこかにあるのかもしれない
それらが、現在の「補助金依存の北海道」を作ってしまったと言えるのである
しかし、いま、現代に生きている我々は、本州とも、世界に対しても5分と5分であるべきなのである
現在(2004年当時)のあり様は、あまりにも「本州の富」に頼り過ぎてきたのである
他人に依存していては「共生」ではない
北海道には、まだ我々が気づいていないモノ(可能性)が眠っているはずである
それにも増して「人間という財産」がある
それぞれが自分の出来る限りを使って、それらの可能性を掘り起こし、また色々なものを交換しながら「共に生きている」ことを実感しながら、やっていくことが今、やらなければいけないことと考える
あのときの「フロンティア・スピリットをもう一度!」とは言わない
新しいフロンティア・スピリットを、共に生きる中で見つけて行きたいと考える
一緒に、一生懸命にやっていきましょう!
(2004.1.13記述)
このプロジェクト「地域通貨『どーも』」の真の目的は、通貨「どーも」というツール(道具)を使った「自治および民主主義の再構築」あるいは「新しい民主主義のシステムづくり」である
それは「新たな人間関係の結びつきの創造」といっても良いだろう
ここで、ことわらせて頂くが、三浦は「経済学者」でも「哲学者」でもない
単なる美幌のいち町民であり、あえて肩書きを付ければ、今は「フリーター」である
(だから、こんなことを考える時間があるとも言えるのだが…)
しかし、このプロジェクトは、誰かの考えを継ぎはぎした「絵に描いたモチ」ではなく、イメージ出来る範囲で、細部にわたって血の通った「設計図」として描いたつもりである
みんなで!知恵や工夫を持ち寄って、実際に創ることが可能なものであると確信している
このプロジェクトは、現代の閉塞感の一つの突破口となり得るパワーを持っている
現在、地方の自治体は政府主導の「行政システム」からの切り捨てを迫られている
それなら逆に、それを利用して、自ら自立した自治を行うべく準備をすれば良い
そのための一つの「ツール(手段)」として機能できる可能性を通貨「どーも」のシステムは持っていると、私は考える
「趣旨」のところでも書いたように、ある種「独立」するということは、一見受動的に見えるがモノ(例えば、通貨)によって「規定」されるのである
つまり、通貨「どーも」を使って「どーも経済圏」を創ることによって、手垢で汚されてしまった「円」の経済圏から「独立(一つの側面だけではあるが)」し、その「どーも経済圏」の中で、自主的に、かつ積極的に!通貨「どーも」のシステムを利用して、その住民が「自分たちの持つ価値の再発見」を行い、それを「どーも」通貨に置き換え、そして「円」へと変換することを繰り返すことによって、色々なモノ(具体的な資産、および目に見えない財産)を増やしていくことが出来るのである
そして、その一番の財産となるのが「自主性」と「積極性」であり、それが現在の閉塞感を打ち破る原動力、求められているものだと考える。
「民主主義」というシステムは、そこに属する「民」の積極的な関わりを前提として、レイアウトされたものである
今までは、富が富を生み、バブル期までは大きなお金の流れがあったから、「民」は不在のままでも、予定調和的に物事は進んでいった(実際、生活水準は50年前と比べて確実に上がっている)
しかし、我々は「民主」の意味を翻訳し間違えていたのである
「民が主」を「民(お客様)は神様です」と言うように「民のために」が強調され過ぎていた…
本当は「民が主体的に!」「民による」が必要だったのである
ひと昔前(もっとかな?)に、「三無主義」「モラトリアム」などの若者を批判する言葉がもて囃された
しかし今、ひるがえって「自己分析」をして頂きたい
そのとき、そして今「自分は社会に対して、どうであったか?」と
「無関心」「無参加」「無責任」の三ナシ状態ではなかっただろうか
一人の人間の持つパワーは小さいし、選挙でいえば「住民分の一」の力でしかないわけで「無力感」を感じざるをえないわけだが、「不在」であってはいけなかったのである
そして、そのツケが具現化したのが現在の八方塞がりの「閉塞感」なのである
現在(※筆者注、これは2004年当時です)、美幌の町では「町長がはっきりしない」「議会は何をやっているんだ!」などの声を聞く
確かに、それぞれの立場において求められている機能を果たしていないことは事実だろう
その理由をあげるとするならば「状況が解っていない」「今までに経験したことがない」「解決策が見えていない」の3ナシ状態のどれか(あるいはその全て)が理由であるといえるだろう
しかし、根本的な問題は「民主主義」の主体であるべき「民」がその持ち場を離れて「お客様」になってしまっていたこと
「主体の不在」という状態では、民主主義のシステムは機能しないし、「お客様ばかり!」では、そこに依存する費用ばかりが増大するのである
それの蓄積が、政府の財政破綻であり、今までの「王様気分」ではいられないのである
また「民主主義を守ろう!」「住民参加の自治を作ろう!」などという言葉を叫ぶのは簡単である
「いま、地方自治の在り方が問われている!」といっても、具体的なモノとして見えなければ「在り方など、有り得ない」のである
ナゾ掛けみたいなものである
また「21世紀はこころの時代」などというユートピア思想ともいえる言葉が語られた時期がある
しかし、ユートピアは誰かが作ってくれるものではない
自分たちの手で創り上げなければならないモノなのである
そこで、この「どーも」というモノがある
それは、みんなの工夫や英知を結集することの出来る「入れ物(ツール)」である
それらを「資産」として蓄積することの出来るシステムでもある
みんなの思いを持ち寄り、それをまとめるための「柱」になれる要素を持っていると考える
だが、しかし「どーも」があれば、幸せになれるというものではない
それに「いのち」を吹き込むことが必要である
それが「主体的かつ積極的」にそれを利用することである
モノは、それを使う者の心を映す
刃物は、人を殺す武器にも、人を生かす包丁にもなるのである
「どーも」は、それを「誰かのために」使おうとしたとき、はじめてその「真価を発揮する」ものである
人はその間(あいだ)で、何かを交換してはじめて「人間」になれるのである
交換できるものは、なるべく、お互いが損をした気分にならないように、「等価」で交換すれば良い
足りないモノがあれば、「知恵と工夫」を持ち寄って、乗り越えれば良い
それらをつなげるために「どーも」は存在するのである
それを使って「共に生きる道」をさぐって行きたいと考えるのである
北海道にはかつて「フロンティア・スピリット」というものがあったとよく言われる
しかし、必ずしもみんながみんな「大志を持っていた」わけではない
また我々のどこかに、内地で生活出来なくなった者のよせ集め!?という負い目が「遺伝子化している」のかも知れないし、その劣等感が精神を萎縮させているのかも知れない
そして「寒冷地で生活が大変だから」という依存体質がどこかにあるのかもしれない
それらが、現在の「補助金依存の北海道」を作ってしまったと言えるのである
しかし、いま、現代に生きている我々は、本州とも、世界に対しても5分と5分であるべきなのである
現在(2004年当時)のあり様は、あまりにも「本州の富」に頼り過ぎてきたのである
他人に依存していては「共生」ではない
北海道には、まだ我々が気づいていないモノ(可能性)が眠っているはずである
それにも増して「人間という財産」がある
それぞれが自分の出来る限りを使って、それらの可能性を掘り起こし、また色々なものを交換しながら「共に生きている」ことを実感しながら、やっていくことが今、やらなければいけないことと考える
あのときの「フロンティア・スピリットをもう一度!」とは言わない
新しいフロンティア・スピリットを、共に生きる中で見つけて行きたいと考える
一緒に、一生懸命にやっていきましょう!