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「ちゃわんや15世 豊斎のblog」
茶陶、朝日焼の十五世、松林豊斎。
陶芸、お茶、日本の伝統的な美意識のほか、趣味のPCや携帯、そして祇園の遊び方。
 



そして昨日は、家内と 「王朝の華 陽明文庫名宝展」のプレオープンに、出席した。 以前に名和文庫長さんのご厚意で、 陽明文庫を見学させていただいたことはあったのだが。 やはり藤原氏の筆頭の嫡流だけあり、 見ごたえある展観である。 道長の二十数年にわたる自筆の日記はじめ、 聖武天皇から明治期の絵画まで、 すごいものであった。 いく度かの戦乱をくぐりぬけ、 現代までこれらの名宝を伝えてこられたのは、 代々の並々ならぬ思いを重ねられた成果であろう。 先日の法隆寺の件も考えながら、痛感した。 . . . 本文を読む

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今年も獅子舞が来た。 お正月気分も抜けきらないうちに、今年もはや立春を過ぎてしまった。 一昨日の節分の日、恒例の獅子舞が来た。 伊勢からの獅子舞の一行さんは、私の子供の自分から変わらず 旧正月後に来ていただいている。 もちろん、変わらずといっても、長く来ていただいていた おじいさんが亡くなって、数年前から息子さんに世代交代されている。 いったい、いつごろから来ていただいているのか、 聞いてみようとおもいつつ果たせずにいる。 おせち料理は、家庭料理でなくデパートで買うものになってしまった。 うちでは母が祖母から教わり、母のアレンジを加えながら、 今は家内がさらに今風に変えてはきている。 長男夫婦とは一日だけお雑煮を一緒に祝っているが、 年末には、おせちの準備のお手伝いに長男の嫁も加わっている。 そんな感じで、主婦によって変わりながらも、 うち風のおせち料理が伝わっていくのだろう。 そんなことが珍しいものになってゆく流れは、押しとどめようもないことだ。 寂しいことだが、 せめて「日本の伝統の美しさを次の時代に伝えてゆく」 そのささやかな一端を担うことが、私たちの仕事であり、 その努力を続けていきたいと思う。 . . . 本文を読む

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今回新潟に来てあることに気がついた。 それは上越市の上越と上越新幹線の上越とは意味が違うってことである。 越後の国を、上越、中越、下越と三つに分けて呼んだのが、上越市の上越。 上野(こうづけ)と越後を結んだ線が、上越新幹線の上越だってことである。 上中下の上と群馬の上野と全然違う言葉からきている。 以前、上越市の大和デパートで個展をした時から、 「なんで、上越新幹線も上越線も通っていないのに、新潟とも遠いのに、 上越っていうんだろう?」って漠然と思ってた。 . . . 本文を読む

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先日、中島千波さんが、牡丹の原種を訪ねるNHKの番組を見た。 牡丹は古来より中国で珍重され、今では千数百種にもなるという。 ところが、品種改良が進んだ結果、本来植物が宿す生命力を感じられなくなっていた。と千波さんはいう。 そこで、中国の奥地、雲南省の高地にその原種を求めて旅をする。そしてその原種を見つけスケッチをして、牡丹の対策を完成させるという内容である。 前に私は、この年になって、お店で売られているより「野に咲く花に魅せられる」と書いたことがあった。 よく考えてみれば、野に咲く名もない花(本当は名前はあるのだか…)は、ほとんど人間の交配を経ていない、原種ばかりであろう。 無意識のうちにそういうものに魅かれているんだな、と思った。 より美しい花を求めて研究し、交配を重ねてゆくことを小賢しいとか、無意味だというつもりはまったくない。しかも数百年と世代を重ねてその研究を続けてきたわけである。 今あるのはその結果なのだから、それは人間らしい素晴らしい営みだと思う。 しかし派手な美しさと引き換えに、物足りなくなった生命力や何かを感ずるような、感性もまた素敵なことだ。 私たちの遺伝子には、そんな感性も内包されているというということを大事にしたい。 <写真は窯元の団十郎牡丹> . . . 本文を読む

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今日は土曜日でもあるから、夜桜見物の花見の宴か、若い人たちの歓声が朝日焼まで聞こえる。 でも夜桜を楽しめる時期は、その華やかさに比しまだまだ寒いものだ。若い人たちしか楽しめない宴だろう。 今日午前中は雨模様だったのに、お昼から晴れたせいか、まるで東日本の震災なんてなかったようなずいぶんの人出だった。 今日自宅から朝日焼へ向かっていると2度道を尋ねられた。一組は東京の人らしかったし、もう一方は台湾からの観光客だった。少なくなったとはいえ、外国からの観光客もまだまだいるらしい。 . . . 本文を読む

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今、3月3日から個展で山形に来ている。 12日まで十字屋デパートで開催中だ。 ホテルの窓から見える市内の風景が少し違う。 瓦葺の家が見当たらないということ。 ビルはともかく、普通の民家はほとんどカラートタン葺き、 あるいは今風の屋根の素材で葺かれている。 山際の農村に行ったときのこと。 昔ながらの茅葺の家はほんの少しだが残っている。 だけどそのほかの家々は、年の郊外と変わらないような家だ。 西日本の農村に見られる、 入母屋瓦葺総檜造りの御殿のような家はない。 日本の農村らしくない風景だった。 . . . 本文を読む

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お正月が終わったと思っているうちに、 はや2月になってしまった。 今朝は窯元門前の宇治川岸で、ユリカモメが行列を作っていた。 なにがどうなっていったのかわからないが、 ここ数年、いろんな小鳥が宇治川を賑わしてくれている。 一年中いる小鳥も、季節によって飛来してくる鳥たちもいるが、 この寒い冬が特に多いように思う。 小鳥のことには詳しくないので、いちいち説明できないのが残念… . . . 本文を読む

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竹垣  


先日、東京滞在中のホテルの前の、 何気ない竹垣が美しいと思った。 真新しいものでなく、少し色あせかけている。 棕櫚縄が一部ほどけかけているし、 竹も少しだけズレている。 遠くない時期に手入れが必要だが、 こんな何気ない竹垣だが、ことさら美しいと思った。 . . . 本文を読む

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以前からよく耳にする言葉で、 「外人にはなかなか、日本のわびさびは理解できないだろう。」 なんて… そして私の、次の質問に絶句することになる、 「わびとさびって、どう違うの?」 . . . 本文を読む

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昨夜、私のロクロ場で「スィーッチョン、スィーッチョ ン」といやに大きな鳴き声が聞こえるなと思ったら、な んとキリギリスが窓の縁にいてないていた。 外に逃がしてやろうと窓を明けてやったのに、逆の抽斗 の裏側に消えてしまった。 しょうがないなー。もうっーっ。 . . . 本文を読む

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今日五月一日は、富山は高岡の御車山祭だったんですが、 生憎の雨で巡行が中止になりました。 残念… 写真はゆうべ、前夜祭のライトアップで撮りました。 . . . 本文を読む

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「サクラ」という名の歌をよく耳にする。 森山直太朗 コブクロ ケツメイシ、などなど… あと桜の付いた歌もいっぱいある。 いずれも心に沁みるいい曲が多い。 これらはたいてい別れの歌が多い。 卒業式によく歌われるそうである。 そうか今の若い人たちにとって、 「サクラ」は卒業式の花なんだ。 . . . 本文を読む

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宇治という観光地も、 源氏物語の町などというようになってから ずいぶん宇治川畔も整備されてきた。 サイン計画にのっとって、 美しい案内看板も見られるようになってきた。 ただ、木目風のプラステックの看板も目立つようになり、 これは私はどうにも受け入れられない。 なにも宇治に限ったことでなく、 全国的な風潮なので、 宇治のだけをを批判するつもりはないのだが… . . . 本文を読む

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お茶を知らないひとが茶席にはいると、 「お茶碗を右に回すか左に回すか間違ったら恥をかく」 って思って緊張している感じ。 「作法で細かく決まっていることを、知らないことが恥」。 そんな風に考えているもんだそうだ。 「三回回して飲む」なんて迷信も結構徘徊している。 三回も回す流儀なんて多分ないのに。 なんで? . . . 本文を読む

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一年中休みなく働いた昔の人には、 お盆とお正月という休みを、 無理にでもとることが、 昔の人の知恵だったのだろう。 そういえば、秋の落ち葉がたくさん散って、 庭の掃除がたいへんだったのに、 お正月のころになると、 すべての落ち葉が落ちてしまって、 三が日、掃除をしなくてもいいくらいになる。 自然も、お正月休みを応援しているのかも。 . . . 本文を読む

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