「ちゃわんや15世 豊斎のblog」
茶陶、朝日焼の十五世、松林豊斎。
陶芸、お茶、日本の伝統的な美意識のほか、趣味のPCや携帯、そして祇園の遊び方。
 




「お茶にする」って言葉は、単に「お茶を一緒に飲もうよ」という意味だけではない。
「休憩しよう」とか「一緒にお話しよう」とかいう意味も含んでいる。
「休憩」には「一服する」という言葉もある。これはもともとタバコを一服吸おうという意味であったのだ、タバコのことは忘れ去られて、タバコを吸わない人でも「一服しよう」と言うようになった。ただタバコだけでなく「お茶を一服」という意味もあるようだ。
低次元の例で恐縮だが、ナンパするのも「お茶飲まない?」。
別にコーヒーでもいいんだけど…
「(酒を)呑む」や「食事をする」と同じようにひととひとのコミュニケーションの媒体などだ。

イギリスならば、アフターヌーンティー。これは温めていない牛乳を先にカップに入れ、濃い目の紅茶をその上から注ぐもので、tea with milk というもののむしろ milk with tea といった感じのものだ。しかしスコーンにジャムをつけて一緒に飲むお茶は、一つの文化と言ってもいいだろう。
あとフランスのカフェで飲むカフェオレはともかく、薄いアメリカンコーヒーを職場のコーヒーメーカーで淹れたものや、セルフサービスが基本のスタバの場合は果たして文化と呼べるかどうか。
中国にいたっては、蓋つきコーヒーカップの中にお茶っ葉とお湯をいれその蓋でお茶っ葉を口の中に入らないようにしながら飲むお茶などは、もはや文化と言えるものではない。
抹茶は中国の宋より鎌倉時代に伝わったものだが、本家の中国ではとうの昔に抹茶を飲む習慣は絶えている。日本だけがその抹茶の習慣を伝えてきたのである。
韓国の場合は、もともと茶を飲む習慣がなかったようだ。李朝の仏教弾圧とともに消えてしまったらしい。

ただ、近年中国や韓国でも、日本の茶道のようなものができている。
といっても抹茶ではないので、煎茶道みたいなものである。私の知る限りの印象では、作法というか淹れ方とそのパフォーマンスみたいなものである。
日本の「茶の湯」とは歴史も奥深さも次元が違う。

いずれにしても、お茶がコミュニケーションツールなのは世界共通項だが、その文化はその民族それぞれで、中でも日本のものは独自に発展し、非常に個性的な文化であることは間違いないだろう。
第一お茶が緑色なのは日本だけである。日本以外はみんな茶色。
そういえば、私は小学生の頃、クレヨンの色を見て「どうして茶色が緑でないんだろう?」って疑問に思っていた。
しかし日本語の「茶色」って言葉が、どうして世界標準の色を表すんだろう。ま、日本茶にも「ほうじ茶」のような色はあるけど…

また、日本は独自の茶の文化がありながら、コーヒーや紅茶、そして中国茶なども輸入し楽しんできたのだが、近年抹茶や緑茶も徐々に輸出が増え始めているようだ。
昔は全国のお茶の小売店の方が、仕入れに宇治の茶問屋に来られ、うちにも立ち寄られたものだった。時代が変わりそのような人たちが見かけなくなったと思っていたら、昨今はたいへん国際的なお茶の取引先の方々を見かけるようになった。
結構な傾向にあると思っている。

緑茶に含まれるカテキンに抗癌効果があるってこともあるので、緑茶、抹茶ともに世界に広めていければいいと思う。付随するいろいろな文化とともに。


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