「ちゃわんや15世 豊斎のblog」
茶陶、朝日焼の十五世、松林豊斎。
陶芸、お茶、日本の伝統的な美意識のほか、趣味のPCや携帯、そして祇園の遊び方。
 



そして昨日は、家内と 「王朝の華 陽明文庫名宝展」のプレオープンに、出席した。 以前に名和文庫長さんのご厚意で、 陽明文庫を見学させていただいたことはあったのだが。 やはり藤原氏の筆頭の嫡流だけあり、 見ごたえある展観である。 道長の二十数年にわたる自筆の日記はじめ、 聖武天皇から明治期の絵画まで、 すごいものであった。 いく度かの戦乱をくぐりぬけ、 現代までこれらの名宝を伝えてこられたのは、 代々の並々ならぬ思いを重ねられた成果であろう。 先日の法隆寺の件も考えながら、痛感した。 . . . 本文を読む

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今でも諳(そら)んじて歌える。 よろず世かけて亀石の すがた動かぬ宇治川の 流れとともにすえ遠く つきぬ教えぞよどみなき 小学生にわかる筈もない文語の難しい校歌である。 よく高校野球で歌っている校歌の方が、 よっぽどわかりやすい。 しかし今思い出してみると、 五七調で格調高いし、 「宇治川」と「教え」の両方が「淀みなき」に 懸かっていることがわかる。 宇治川は、急流で「淀みがない」という川だったらしい。 しかもこの川は下流に桂川、木津川と合流すると、 淀川となるので、 宇治川はその淀川を対照しているのであろう。 この言葉を使った歌が、他にもたくさんある。 それをふまえて、教えとともに「淀みなき」と結んでいるのを、 最近気がついた。 源氏物語の「橋姫」に、 薫の君が、八の宮の邸に透垣(すいがい)越しに 大君と中の君が、箏と琵琶をひいているさまを、 覗き見るシーンがある。 そんな「八の宮の邸とは、朝日焼さんのあたりだと思う」 と瀬戸内寂聴先生がおっしゃっていた。 その時ざわざわと、 網代木を揺らす宇治川の音が聞こえている。 宇治川とはそんな音のある川である。 今度の土日は、宇治川祭りと桜祭りである。 8日(日)は松露会の「月釜」もかかる。 ぜひ大勢の方々に、宇治川の春を楽しんでいただきたいと思う。 . . . 本文を読む

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