福岡の看板屋 独り言(看板.・カワムラ)TEL092-935-7058

皆様に生かして頂いてる看板屋としての呟きです。内容は独り言なので、万が一気分を害された方が居られましたら何卒ご容赦。

昭和の巨匠

2010年11月17日 | Weblog
♪「ぼろは着てても 心の錦んにゃ」♪(チーター大好き!)

名曲「いっぽんどっこの唄」を書かれた 作詞家 星野哲郎さんが逝かれた。

私事、この歌の「人のやれない事をやれ♪」というフレーズに心をうたれ

この人生の応援歌を、深く心肝に染めて生きてきた一人なのですが 

過去、氏が関わられたヒット作品を見れば 「へえ!この曲も そうなの!?」と

なんと 引き出しの多い事 多い事・・・・


様々な世代の心を鷲づかみにする 詩が書けるのは きっと、天が与えた才能

なのだろう・・・悲惨な目に遭った戦後の人々を励ますために 

使命をもって この世に生まれてこられた方かも知れませんね。

名作は多くの世代の心を捉え 決して 古くならないし 人々の心の中に

永く生き続けるだろう。

天に仕えた 昭和の巨匠に哀悼の意を表したい。


話は変わりますが 20代の頃 職場でパースやデザインが上手い 憧れの

先輩(上司)がおりまして 我々が奇抜な看板のデザインを提出するたびに 

いつもボツを喰らっておりました。普段、口数が少ない方なので 

何処が悪いのか指摘してもらえない事を嘆き 思い切って聞いてみた。

私:「Kさん、看板のデザインは奇抜な方が目立って良いのではないですか?」

氏は、忙しく図面台に向かって仕事をしていた手を止め 私と正面から向き合う

姿勢をつくり 居住まいを正したように 呟かれた。

K氏:「いつまでも 古くならない看板を作りたいんだよ」


あれから20数年経って なるほど K氏の言われた意味が分ったような

気がする。確かに氏がデザインしたサインは今見ても古臭くない

今でも十分に受けいられる看板だ。


当時 K氏に手直しを喰らった作品は基本の書体を忠実にほんの少しだけ

イジッタ用にしか見えなかったのだが 何十年も先の事を考えてデザイン

されていたとは・・・

当時の私は独創性に囚われて 肝心な事に気づいていなかった。

若かったんすねえ・・・

まあ、何れの世界でも長けた人物とは 未来の事を見据えて仕事しているの

かも知れない。


偉大な作詞家の死を知り芸術という接点から ふと、身近な芸術家

先輩K氏の事を思い出してしまった。




全く別の話ですが

昔、ギターで曲を作っていた手前 ある後輩から お経の様に

羅列した曲の感想を聞かれました 帽子を横にかぶり ズボンをずり下げ

半ケツ状態で飛び回る姿に (よく すっ転ばないなあー)と関心しつつ

目を瞑っていると アフリカのマサイ族が 槍を片手にピョンピョン

飛び上がっている光景が浮かんだ それに 箇条書きに並べたような

気持ちの入っていない棒読みの詩にうんざりして

 
私:「うーむ せめて 君も日本男児ならば 都都逸(どどいつ)か 

  川上音二郎のおっぺけ節の方を追求したらどうだろうか!?」と

  提言して差し上げた。

後輩:「かっ川上?都都逸!?なんすか そりゃあ!?」

 私:(なんだ しらんのか・・・・)と肩を落とす。

 私:「出家して 坊さんになれ!その方が人々に感謝されるぞ

   日蓮宗で法華経を読め!高揚すっから」

後輩:「・・・・・・・」

ムカッとしてたかも知れないが 多くの人達に受け入れられる

物を残せと言いたかったのだが 多分伝わらなかったと思う 

残念!

追伸 もう10数年位経つだろうか 昔、依頼を受け施工した看板が

平べったい ポスターを貼り付けたような看板にリメイクされていた。

折角 10数年かけて定着させたイメージなのに クライアントが心変わり

したのだろうか?施工当時は、褒めちぎるほど喜んでいただけたのに・・

残念だが、ごちゃごちゃして なんと書いてあるのか分らない。

奇抜さというのは 使い方次第でイメージの耐久年数を短くしてしまうのでは

ないだろうか・・・・










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