マゾヒズムに花札を!

Female Domination & BDSM …とは殆ど関係ない花札に関する四方山話です。

きさらぎ

2006年02月04日 17時32分56秒 | 梅 - 2月
越後任天堂梅さて、節分の翌日は立春、というこでもう一稿に投稿します。
暦の上では春というものの、まだまだ寒い日が続きますよねえ。
そんな2月の異称は如月、寒いので着物をさらに重ねて着るというので『衣更着』などとも書きます。

でも、これは俗説のようですよ。
考えてみれば旧暦2月は3月です。
いくらなんでも、更に重ね着する時期ではないでしょう?
陽気が発達する時節であることから『気更来』、草木が更新する時期の意で『木更月』などの別説の方が自然に思えます。
そう。
旧暦2月は、花札のとおり梅のまっさかりです。

畿内の気候では他の花にさきがけて梅が咲くけど、北のほうではみんな一遍になってしまう。
随分前に書いたような気がしますが、朔のことですね。
いやいや、なんでもない。三春という地名です。
梅、桃、桜の三つの春が一遍にくると。

戦国時代、この三春の地を治めていたのは坂上田村麻呂の末裔といわれる田村氏ですね。
田村氏にまつわる女武者の話があるのですが、こっちに書くより…
いやいや、これまたなんでもない。戦国時代より前の源平時代の女武者に話題を移しましょう。こっちなら既に…

いやいや、ますますなんでもない。巴御前です、巴御前!
愛する木曽義仲のために超人的な活躍をする場面が、平家物語等に描かれますね。
源平時代の最強の女傑は? と聞かれたら、この女性の名前を思い浮かべる人が多いでしょう。
どこぞで話した某会員制サイトBBSでもそのような声があがってました。

けど僕は不賛成、北条政子を押します。

頼朝の死後の政情不安に付け込み、鎌倉幕府に不満を持つ坂東武士たちが鎌倉に攻め入ってきました。
尼将軍といわれた政子は2万の武装兵の前に寸鉄も帯びず立ちふさがり、

「現在のあなたたちがあるのは誰のおかげだとおもってるんですか?
 わが亡夫頼朝公のおかげに他ならないのではありませんか?
 その恩を忘れて武装蜂起したいのなら、先ずこの尼を八つ裂きにして跨いでいきなさい!」

と一喝して追い返したとか。
いやいや、睨みをきかしただけで追っ払う、これが最強です。
三国志演義の諸葛孔明も、そんな役割を引き受けることが多いですね。

しかも、堂々たる偉丈夫の諸葛孔明とは対照的に、記録に残ってる政子という人は150cm程度の小柄な女性だったとか。
これはこれはとばかりに花の吉野山。

と、この言い回し、



源平時代の最強の女傑は?

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて~!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!


梅咲けど

2006年02月04日 07時49分53秒 | 梅 - 2月
梅短花札のルーツとなった絵合わせで『花鳥あわせ』というのがあります。
なんでも、梅に鶯はこの花鳥あわせにもあった組み合わせとか。
将しく『あかよろし』、本当によく似合います。
そして、繰り返しに繰りますが、長い冬もようやく終わりにの慶びを感じさせてくれるものです。

江戸時代の大俳人・小林一茶に、

梅咲けど 鶯鳴けど ひとり哉

という句があります。
うーん、梅&鶯ベストカップリングをもっても癒されない寂しさとは?
父親を亡くした寂しさ、だと言われています。

いや確かに家族を亡くした悲しみは何物によっても癒されないものです。
そして、それが年老いてからのものになると…
投稿日付に拘わらず前に、万葉の代表歌人・山上憶良&大伴旅人の話をしました。
そうでしたよねえ。
かなり高齢になってからの九州赴任、ともに妻に先立たれての境遇、でしたね。

妹が見し 楝の花は 散りぬべし わが泣く涙 いまだ干なくに

巻五・七九八、同じく山上憶良。
大伴旅人に奉った「日本挽歌(バンカ)」の反歌の中の一首です。

涙は古くは「なみた」と清音で読みました。
番号も798=ナクヤ、亡妻にちなんだものが消えてゆくのを嘆いた歌ですよねえ。

歌に詠まれた女性が旅人の妻か憶良の妻かについては両説があるあるものの、兎も角♂にこんな悲しい思いをさせてはいけません。
妻たるものは絶対に夫より先に死んでしまってはいけない、

と、この言い回し、



神となった悲劇の歌人
女たるものは

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて~!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!