マゾヒズムに花札を!

Female Domination & BDSM …とは殆ど関係ない花札に関する四方山話です。

百円札

2006年09月23日 20時26分31秒 | 菊 - 9月
大連菊さて本日は、このブログでは例外、リアルタイム投稿でいきましょう。
菊に盃、9月の種札は、カス札とみなすことができる…
投稿日付の差以上の過日、話題にしました。
その後色々調べてみるに。

柳(雨)の方の同種例外規定は確立されているようなんですが、菊10点札の例外規定はあまり目にすることがありません。
でも、あるにはあるんですよ。実際はっきり示された記述も目にします。
これもまた、地方によってルールが違っていたことを如実に現す事実といえるでしょう。
そうです。朝鮮半島や、遠く大陸は大連の地でまで遊ばれていた花札です。

ブローバンド時代の今日では考えられない、情報の地域格差ですか?
でもね、いいじゃないですか。
こうして日常楽しんでいる花札が、また知らない遠くの土地で違ったルールで遊ばれているのかもしれない、
と思い抱くこともまた、夢があってよいものです。

そうそう。「とっておきの話を」
僕、九州地方では今でも百円札が流通しているものと思ってたんですよ。
「確かに昔、百円札から百円硬貨への切り替えのとき、九州地方はあとになったという話は聞いているが。そこらあたりの混乱情報じゃないのか?」
と、笑われて赤面、、、

と、この言い回し、



ミ ユ の 掲 示 板  7月 3日(日)12時39分27秒

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて~!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!



2006年09月17日 19時04分36秒 | 菊 - 9月
大連素菊さてさて、お酒とかしこきあたりの話題に終始してる感のある9月菊の月。
今日は、何度かやった花札花言葉でいきましょう。

菊の花言葉は?
ちと複雑なんですよね。
まあ、原則は「真実の愛」とか「高貴、高潔」なんですけど、実は色によってその花言葉が異なるのです。
そういえば、もうせん、菊は色が楽しめるお花、花札の図柄も目立たぬまでも実はしっかり各色とりあわせていると言いましたっけ。
えー、すなわち、白い菊は「真実」赤い菊は「真実の愛」、ま、ま、ここらは似てるからいいとしても、一番代表的な黄色はと言えば?

なんと、なんと、「やぶれた恋」
いやいや、全然意味合いが変わってきます。
白と黄色ではそうそう情感がかわる訳でもないのに、ちょっと興味深いところ。
そこで、そこで調べてみるにです。

「黄」という字には、元々「色が付いた」「着色された」、自慢の英語で補足するなら「colored」という意味があるようなのです。
白に対峙する用例を一つあげれば、黄絹。これは色糸という意味になります、まあ少なくとも、中国はあの三国志の時代には。

世説新語 捷悟篇より、ご存知、三国志・曹操が準主役の笑い話です。

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        評語

曹餓は後漢のときの会稽の孝女で、父の水死を悲しんで江に身を投げた。県令の度尚がこれをあわれんで曹餓の碑を立てた。
魏の武帝があるとき、その曹蛾の碑を見た。碑の裏には「黄絹幼婦外孫X臼」という八字の評語が刻んであったが、その意味がわからない。
「この意味がわかるか」供をしている楊脩にたずねると、楊脩は、
「わかります」
と答えた。
「そうか。まだ言ってはならんぞ。わたしがわかるまで待て」
三十里ほど行ったとき、武帝は、
「わかった」といった。
「黄絹とは色のついた糸で、文字にすれば『絶』。幼婦とは、少女で、文字にすれば『妙』。外孫とは女(むすめ)が嫁して生んだ子で、文字にすれば『好』。X臼とは辛(からし)をいれたあえものを入れる器で、文字にすれば『障O』(辞)。つまり、絶妙好辞(絶妙の名文)という意味だ」
武帝がそういってから、楊脩が書いた解答に眼を通すと、やはりそのとおりであった。
楊脩がほめると武帝はいった。
「わたしの才はそなたに及ばないこと三十里であることが、やっとわかったぞ」

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例の鶏肋の楊脩ですね。
一文字、どうしても出てこない字がありましたので逃げました。
大勢に影響はないと思います。
そうそう、魏の武帝とは勿論曹操のことです。

楊脩。
まあ、才が身を滅ぼした人物の代名詞ですけど。
民草はこの様な笑い話を仕立てて、バランスをとってるのでしょう。

と、この言い回し、



事実は漫画よりもマンガ的なり

を丸写ししました。

いくら直しても『障O』になっちゃいますねえ。
受 へん に 辛 という じ (辞) の異字なんですが。
…って…

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いけない僕をイヂメて、イヂメて!
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酒・女・歌

2006年09月16日 16時34分03秒 | 菊 - 9月
大石明治菊さて、一年12ヶ月春夏秋冬を駆け巡りながら、実日付とは違う投稿日付の話題をお届けしている本ブログです。
で、今日は9月ですか。ワンパターンとおっしゃるなかれ、ここはまたお酒の話にお付き合い願いましょう。

それというのも、10点札に配図された盃ですよねえ。
これに注目して、9月菊を俗称でチョコという向きもありまして。ああ、勿論チョコレートじゃなくて、お猪口です。
そして、この札との組み合わせで、花見なり月見なりという役となる、この競技花札・出来役に昔の日本人の酒好きぶりを垣間見てきました。

もっとも酒好きは日本人だけではないようです。
え? またワンパターンの『お隣の国』で外国人の例としようとしてるのか? ですって?
いえいえ、どうもいたしまして。今日はぐっと遠い国に思いを馳せようとしているのですよ。
偶には漢字圏を離れて、遥かヨーロッパは音楽の都ウィーンへと、旅してみましょうよ。

聴こえてきましたでしょうか? あのウィンナワルツが。
J・シュトラウスの「美しく青きドナウ」ならば、誰でも一度は聴いたことがあると思います。
作品番号を調べてみると314、3.14は円周率ですね。
代表的な円舞曲だから314番割り振ったのかは知りませんが、作品番号333番円舞曲「酒・女・歌」は意図的にこれを割り振ったと聞きます。
「酒・女・歌」と3拍子揃えば、この世は極楽なんですか?

そういえば、無類の酒好き蜀山人も、

 無くてよき物は女と香の物

      移り香いとふ老いの身なれば (根岸鎮衛)

を、もじって

 無くてならぬものは女と香の物

     人のさいにもめしのさいにも (四方赤良)

と、やってますか。
蜀山人もまた、「酒・女・歌」を75年の生涯の楽しみとしたわけですね。
あ、「四方赤良」ってのは、蜀山人の別ハンドルです。

ところで、「酒・女・歌」が「酒・男・歌」だったら、、、
なーんか、急にみじめったらしくなっちまいますよねえ。
これもまた性差…

と、この言い回し、



さてさて、今日の入りは

を丸写ししました。

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山越えのカブ

2006年09月15日 21時31分50秒 | 菊 - 9月
カブ9月も大分投稿が進みました。
実際これを書いているのは、同じ9月でももう少し早い日付なんですけどね。
今日は、おいちょかぶから9月の話をしましょう。
そうそうこのカブ競技については日付を前後して何回か話してますから、探してみてください。

ということで、カブでは9が最高のスコアでしたね。
9自体をカブと呼ぶくらいですから。
最初に配られた札が、9月だったらもうこれ以上スコアが伸びることはない、だから札は引きたくないところですよねえ。
でも、そうはいかない。必ず2枚は受け取らなければならないのです。

そして、その2枚目が1月だったら、もう最悪ですよねえ。
ブタ、0点になってしまいますもの。天国から地獄です。
ただし、ただし、これ以上スコアが悪くなることもまたありませんわ。
気を取り直してね任意である3枚目を引いたところ、また9月!

この「!」のことを、『山越えのカブ』と呼びます。
人生は勝負だせ、山あり谷あり、万事が塞翁が馬。
まあ、そうそういきがるのも野暮ですから、ここは視点を変えて。
この『山越えのカブ』の哲学、なにがしか恋愛にも通じるところがありますぞ。
そういえば大昔は通い婚、男は毎晩、野を越え山を越えて妻の元に通ったんでしたねえ。
万葉集から名高い、柿本朝臣人麻呂、石見の国より妻に別れて上り来る時の歌二首 并せて短歌、を引きましょう。

 石見(いはみ)の海(うみ) 角(つの)の浦廻(うらみ)を 浦なしと 人こそ見らめ 潟(かた)なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも 鯨魚(いさな)取り 海辺を指して 和田津(にきたづ)の 荒礒(ありそ)の上に か青く生(お)ふる 玉藻沖つ藻 朝羽(あさは)振る 風こそ寄らめ 夕羽振る 波こそ来寄れ 波の共(むた) か寄りかく寄る 玉藻なす 寄り寝し妹(いも)を 露霜の 置きてし来れば この道の 八十隈(やそくま)ごとに よろづたび かへり見すれど いや遠(とほ)に 里は離(さか)りぬ いや高に 山も越え来ぬ 夏草の 思ひ萎(しな)えて 偲(しの)ふらむ 妹が門(かど)見む 靡けこの山(2-131)

       反歌二首

 石見のや 高角山(たかつのやま)の 木の間より 我が振る袖を 妹見つらむか(2-132)

 小竹(ささ)の葉は み山もさやに さやげども 我は妹思ふ 別れ来ぬれば(2-133)

宮廷歌人として数々の歌を詠んだ柿本人麻呂は、晩年石見の国の国主を務めました。
当時の地理的分類によれば、山陰は因幡まで。都まで25日かかる石見は員数外だったというわけです。
この歌は、都に戻る折に現地妻との別れを惜しんだ人麻呂の、珍しく私的な歌です。
この地方というのは、冬場は曇りがちな日が多いのですか?
僕も、冬場に生まれた赤ん坊はわずかな晴れ間の日に裸で日光浴させる、と聞いたことがあります。
まさにそんな冬の日の荒涼たる光景を、「石見の海 角の浦廻を~」と詠み始めます。

地理的にも海岸際は切り立ったがけの多いこの地方です。
遠景から詠み始める、人麻呂おとくいの手法、いくつかの対句を使いながら、眼下の情景を詠み進めます。
そして、ふと海岸に打ち寄せられた玉藻にフォーカスを絞ったところで転調です。

ほら、映画でもよくあるでしょう?
遠景から近景へとフォーカスを絞り、ひとつのオブシェを捉え、そしてそれが恋人に姿に変形する、ってのが。
まさにそれですよ。
玉藻が、別れて来た妻の姿になって、そこから「寄り寝し妹」への思いが情熱的に歌われていくわけです。

「靡けこの山」、愛しい妻のあの家がみたい、みたい、みたーい! (そのためには)なくなっちまえ、こんな山なんか!
とんでもない誇大表現が、誇大表現にならないのは、前半部で石見路の荒涼たる光景を歌いあげていたその成果でしょう。
そして、反歌。

最初のほうに、初めて妻の具象が出てきますが、「見つらむか」あくまでも人麻呂の心中のこと、ネット馬鹿のいうとこの「脳内妄想」です。
そして、「我は妹思ふ 別れ来ぬれば」とまた元のひとりぼっちの道中風景でエンドになります。
長歌において、荒涼たる光景から因を発した内情を情熱的に歌い、反歌において情熱的な内情が再び眼前の荒涼たる光景に帰す…
長歌反歌一体となり、一大恋情交響楽を構成していることがお分かりいただけたでしょうか?

ところで、このときの人麻呂はもう晩年。
なのにかくも情熱的に妻を愛することが出来たとは!
毎晩毎晩、片道13キロの道を通ってたんですよ。

男性受けだとか、甚だしくはM男だなどと大でたらめを称し、寝そべって♀から愛撫されないと絶頂を迎えることもできないダメ♂の皆さん。
一人の異性を愛するというのは、これだけの根気と情熱のいる大事業なんですからね。
 
と、この言い回し、



犬養博士の講義を聞き返しましたゾ

を丸写ししました。
まあまあ、僕のようなマゾ騙り軟弱スケベ男が叱られていることですし、ここは穏便に、穏便…に…

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わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

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もっと、イヂメて~!!

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夜長月・長雨月

2006年09月14日 19時30分50秒 | 菊 - 9月
長月秋というのは、季節の移り変わりが急なものです。
花札を見るに。
9月は、特に新暦旧暦の違いを入れなければならない月と言えるでしょう。
即ち、旧暦9月と言えば、10月後半から11月前半にかけて。
もう肌寒くなってきたころです。

9月の異称、長月の語源は「夜長月」とも「長雨月」とも。
いずれにせよ、太陽光がいとおしくなる時分、花札の菊もそんな時節を請けて描かれてます。
前にも話したでしょう。朝晩の霜で変色した残菊の風情を感じます。

では、更に季節感を出すべく、御馴染み百人一首から長月の歌を拾いましょうか。

   今来むと 言ひしばかりに 長月の 有り明けの月を 待ち出でつるかな

百人一首21番・素性法師、出展は古今和歌集<恋四・六九一>ですね。
さて、内容にご注目。これ女性視点なんですよね。
坊主がこんなことやってさ、って、宗教関係者が出るたびの悪口、

と、この言い回し、



昭和後期の歌謡曲の定番

を丸写ししました。

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わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
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十三夜月 遁走す

2006年09月13日 20時33分38秒 | 菊 - 9月
たばこ菊では、9/13に、もう1稿。
今日もまた名月ですね。まあ、勿論旧暦の話です。

まあ、一年最後9/9の菊の節句の後ですので、どんな時期になるかは、容易に想像できます。
そうですね、繰り返しますが旧暦。そして、これもまた何度も使っているネタですが、今年2006は7月が閏だったための影響で、普通に数えるのなら11月になってからです。
何度か話した、花札の図柄のような残菊の面影含みの菊を見た宵のことと頭にイメージして、次の句をみましょう。

   麻薬うてば 十三夜月 遁走す (石田波郷)

十三夜の名月。これを後の月に呼びます。
13<15なのに、れれれ?
それは、名月=旧暦8月15日 十三夜=同9月13日 だから。

このころはもう寒く、風物もまたものさびてきて、名月を賞する心得とは、おのずから趣が違う、節物の枝豆や栗などを月に供えて祭る。
と歳時記にはあります。
そういや、樋口 一葉に十三夜なんて話も、
って全く読まずの知ったかちゃんですが。

と、この言い回し、



ちょっとコワい句を

を丸写ししました。

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菊と雪隠

2006年09月13日 07時26分00秒 | 菊 - 9月
hawai菊おやおや、お酒の話が随分続きましたね。
再び花札9月のテーマ植物である菊の話に戻しましょう。
とは言っても、あまり上品でなく、不謹慎でもあり、何よりも菊の花にはあまり関係ないのですが。

菊の御紋のあの家の話なんですけど。
第二次世界大戦敗北により、現人神から人へと降格します。
ご存知のとおり、進駐軍によって。

「ウヌ、マッカーサーノ野郎」

歌人の斎藤茂吉は昭和天皇が東京・赤坂の米国大使館にマッカーサー元帥を訪問した1945年(昭和20年)9月27日の日記に書いたそうですよ。

そうですよねえ。
わかります。大概の日本人はそう思っていたんでしょうけど、公にすることはできません。

いや、うーんと時代が下った昭和50年頃でさえも。
この頃オカマで有名だった東郷健が、劇団でやったらしいんですよ。
終戦に伴い人間天皇となった昭和帝が、マッカーサーにカマを掘られ、

「あっそー、あっそー、テーノー陛下万歳」

と叫ぶ筋書きを。
まあこれですから、健サンは逆に右の人から命を狙われたんですけどね。

菊… 右翼から…
二題噺よろしく、何度か触れてます『家畜人ヤプー』に話を振れます。

登場の(元日本男児である生きたトイレ)『セッチン』は作業歌である和歌を詠みます。
まあ一口にセッチンといいましても、その成績如何 (そうです。専修学校で訓練されるのです) でランク分けされているのです。
歌詠みとして登場するセッチンはエリートにあらず、公園の公衆トイレ備え付け、志願して辛うじて女子用になれた、という身の上なのです。

公園の便所に入ってくるのは平民女性ばかり、20年間七〇〇〇日、彼の口を便所として使った『女神』は延べ7万人。
セッチンにすれば、顔も名も分らないまま、ただ彼女たちの白い太ももに下から接近奉仕するとき、
   
    小林(おばやし)に われを引き入れて せし人の 面も知らず 家も知らずも

とくちづさみつつ、(貴族女性の家に専用便器として買われていった)旧友たちを羨むのみなのです。

この設定ですから、セッチン最エリートが(女)王家のそれであることは当然でしょう?
ここで菊の話に繋がるのです。
肛門のみことを雅語的隠語で「菊門」というますよねえ。
菊の家紋、その家が女王家のセッチンだと言うのです。

それが原因で作者沼氏は、右の武闘派から付け狙われた、と言われてますよねえ、いや、言われてますんですよ。
真相は分りません、知る由もないし積極的知ろうとも思いません。

ただ、僕は。
都度触れているよう、嫌英感情の惹起がこの奇書の目的と感じられてならないのです。

と、この言い回し、



では続けて『目指せ!! 平成の女蜀山人!版 もうひとつの万葉集』を

を丸写ししました。

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花間 一壺の酒

2006年09月12日 20時40分41秒 | 菊 - 9月
朝鮮菊月見で一杯、花見で一杯。
何かにつけて飲みたがる日本人です。
まあ、僕なんか酒をやりませんから疑問符なんですけど、と言いつづけました。
でもね、酒と風雅はつきもののようですね。花札を見るにつけ、これは認めざるをえません。

そして、文化の先生となったお隣の国を見ても…
いましたよ、いました。世界一の詩人は大酒のみでしたよ。
飲んでよっぱらっちゃ、名詩を残す。まあぐちゃぐちゃ言わず、見てみましょうか。

月下獨酌 其の一  李白

 花間 一壺の酒
 独酌 相親しむ無し
 杯を挙げて明月に迎えば
 影に対して三人を成す
 月 既に飲を解せず
 影 徒らに我身に隨う
 暫く月と影を伴い
 行樂 須く春に及ぶべし
 我歌えば 月 徘徊し
 我舞えば 影 零乱す
 醒時 同に交歓し
 醉後 各々分散す
 永く無情の遊を結び
 相い期す遙かなる雲漢に

僕の好きな読み下しを採ってみました。
ああ、古詩ですから自由に作れる、韻が途中で変わりますよね。

これですよ。
これですよねえ。

 挙杯邀明月  対影成三人  

もー、この感性!
サイコーです(*^◇^)/
としか評しようがありません。

 我歌月徘徊  我舞影凌乱  

李白先生、すっかり酔っ払ってるものだから、周りの景色もクーラクラ。
それを、月が~、影が~、と言ってるんですよねえ。

やっぱ世界一の詩人でしょうなあ。
そして酔狂人。こういう風流が絶滅してしまった現代です。

水に映った月を取ろうとし手を伸ばして溺れ死んだ、最高の死に方じゃないですか。

と、この言い回し、



で、「外国人」の例です

を丸写ししました。

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不許薫酒入山門

2006年09月11日 18時16分05秒 | 菊 - 9月
大連菊菊に寿の盃は10月のタネ札、桜の光札と組み合わせれば花見で一杯、芒のそれとで月見で一杯…
さてさて、またまた飲兵衛さんのお話です。

どんなにお酒が好きでも、職業柄飲むことの出来ない人と言うものありまして。

 不許薫酒入山門

薫酒、山門ニ入ルヲ許サズ…
山門とはお寺の門のこと、つまりは僧侶は生臭物と酒は厳禁という意味です。
そうですよねえ、宗教者として厳しく自らを律しなければなりません。
酔っ払ってへべれけになるなんて、もっての外。

ところが、この山門の戒碑を3文字目で切って読んだ人がいるのですよ。
えーっと、

 薫ヲ許サズ、山門ニ入ル

殺生厳禁の僧侶が生臭物を食べるなんて、もっての外、その代わり慈悲深いお釈迦様は飲酒は大目に見てくださる、
なんて、解釈になっちまいまして。

まあ、この曲解がなかったとしても、『般若湯』だなんて符牒で飲む人は飲みますけどね。
ついでに言えば、卵は『白なすび』マグロの刺身が『赤豆腐』、不許薫酒入山門の戒めも次第次第に形骸化していきました。
そして、生活そのものも堕落します。
羊羹 (小豆で作った羊の羹の代用品) なんてやってるうちは可愛げがあったんですけど。

かつて、平清盛や織田信長は由緒ある寺を焼き討ちしました。
それは、彼らが宗教嫌いだったから? 恨みがあったから?
そうでないですよねえ。
由緒ある寺に認められた治外法権をいいことに、巣食っていたならず者たちが暴れていたからですよねえ。
真面目に学問をしようとしていた人たちが、どれだけ迷惑してたことか。

僧の形をした無頼の徒…
なんか似てますね。

と、この言い回し、



「火中の栗を拾う」 具体的には他者発言を私が言ったと言われかねないような言動をとること
閉鎖後の2006/6/30 加筆部

を丸写ししました。

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酒を讃むる歌

2006年09月10日 00時13分03秒 | 菊 - 9月
山與菊さて、投稿日付は9/10。
以前お話したように、十日の菊です。
花札競技で同義を探すに、投稿日に拘らず前にお話しました『かつぎの鬼札』あたりになるのですが、それはさておきましても、ものには時間の効用というものがあるわけです。

ところが例外もありまして。
まあ、菊に寿の図柄に配されまする酒などがそうでしょう。
別に9/9を逃して、10日に飲んだって構いません。
飲兵衛はなんだかんだ理由を付けて、9/10を飲酒の日にしてしまいますよ。『不思議の国のアリス』のお茶会、「誕生日でない日を祝えば」のクチですね。
まあ酒をやらない僕には、あまり歓迎できないことなんですけど、それは押さえて。
千年以上も昔の男、大伴旅人センセーが示してましたよねえ。

どどーんと13首、全部いっちゃいましょう!

 験なき 物を思はずは 一坏(ひとつき)の 濁れる酒を 飲むべくあるらし

 酒の名を 聖(ひじり)と負ほせし 古(いにしへ)の 大き聖の 言の宣(よろ)しさ

 古の 七の賢(さか)しき 人たちも 欲りせし物は 酒にしあるらし

 賢しみと 物言ふよりは 酒飲みて 酔ひ泣きするし まさりたるらし

 言はむすべ 為むすべ知らず 極りて 貴き物は 酒にしあるらし

 中々に 人とあらずは 酒壺に なりてしかも 酒に染みなむ

 あな醜 賢しらをすと 酒飲まぬ 人をよく見ば 猿にかも似む

 価なき 宝といふとも 一坏の 濁れる酒に 豈まさめやも

 夜光る 玉といふとも 酒飲みて 心を遣るに 豈しかめやも

 世間(よのなか)の 遊びの道に 楽しきは 酔ひ泣きするに あるべかるらし

 この世にし 楽しくあらば 来む世には 虫に鳥にも 我はなりなむ

 生まるれば 遂にも死ぬる ものにあれば この世なる間は 楽しくをあらな

 黙然(もだ)居りて 賢しらするは 酒飲みて 酔ひ泣するに なほ及(し)かずけり


さてさて、今日は6番目の『中々に~』に注目したいと思うんです。
これには元ネタがありますよね。
古代中国で呉の国の鄭泉(テイセン)という酒好きな男が、死んだらかまどのそばに埋めよ、数百年の後、土と化して酒壺に作られるのが心願だ、と遺言したという故事に基づいてます。

どうなんでしょう?
ここまでくると、倒錯性向に近いような気がします。
鄭泉にせよ旅人にせよ、(たとえ酒壺になったとしても現世の自分は)「酒は飲めない」ということを承知の上で「酒壺」に作り変えられたい、と願ってる、そういった意味で目的と手段の逆転がありますから。
と、何いってるのか自分でもわからなくなってきたとこで、転調します。

まー、男の人たちの中には、酒壺ではなくて「とある繊維製品」に生まれ変わりたいと願ってる人もいるんじゃないですか?
結構多いそうですね、これって。
♀には殆ど例がないのですが。

え? これもイミフ?

と、この言い回し、



もし無生物に生まれ変われるとしたら?

を丸写ししました。

………
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