月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

61.祭のアウトロー(月刊「祭」2016.12月)

2016-11-12 06:36:35 | 民俗・信仰・文化-伝承・信仰-
祭になると、神社や町によって定められた出し物だけでなく、色々な人が自発的に色々な出し物が出されます。それらは、あるものは恒例の行事になりつつあったり、あるものは単発的なものであったりします。そして、それらの多くが、良くも悪くも、そこに居合わせた人の心に残っていきます。それらの今昔を今回は見ていきましょう。

•現代
珍走団(旧名:暴走族)
三木市では、現在38才の管理人が高校生の頃、大宮八幡宮秋季例大祭終了後に「ボウソウ」といって、屋台の宮出が終わった頃に地元暴走族が爆音で町を走り回っていました。また、同年代たちがそれを見に行くということもあったみたいです。管理人は、青年団に入った年はもちろんのこと、入団前も屋台を担いでヘロヘロの状態で観に行く気にはなれませんでした。ただ、床に着いた時に耳をつんざく爆音が。。。違法行為だし、迷惑な行為ではあるものの、一種の風物詩ともなっていたともいえるでしょう。
また、そのような若い頃の行為を経て、現在は祭のなくてはならない役割を担うようになった人が数多くいる気もします。

同様に姫路市でも10年ほど前に特攻服をまとったお兄さんがまつりで出没しているのをみました。
また、京都の祇園祭のマクドナルドのトイレでそのようなお兄さんと出くわし、ビビってトイレを先に譲ってしまいました。。。

一方、若い人だけでなく、大阪府の某神社の夏祭りでは電動車椅子に布団屋根をつけて練り歩かれる方がいらっしゃいます。これもまた、公式のものではありませんが、祭の名物となっております。

●室町時代
京都祇園祭の現在巡行されている山鉾がほぼ出揃ったのが室町時代とされています。その主な担い手となったのが、力をつけた町衆でした。


ただ民衆のエネルギーは山鉾に向かうだけではありません。无骨(ムコツ)と呼ばれる男は、祇園会のおりにあらゆるところでその軟体を活かした芸をしたそうです。

●平安時代
日本書紀以降の歴史書である「続日本紀」には次のような記事が残っています。( )内は管理人によります。

廿三 辛酉(宝亀十年六月二十三日辛酉の日)。周防ノ國周防ノ郡ノ人外従五位上周防凡直葦原之賤男公自他戸皇子ト称ス。百姓ヲ誑惑ス。伊豆國ニ配ス。

葦原之賤男は他戸皇子に扮したということになります。
他戸皇子は母の井上内親王とともに、父の光仁天皇を呪い殺そうとした罪に問われ、皇籍を剥奪され憤死夭折します。この事件により天皇となった桓武天皇は生涯祟りに悩まされます。百姓を誑惑させたお祭り状態が起きたたいうことで、この記事に入れました。
葦原之賤男は「高貴な方たち」の醜い部分を目の当たりにして、それを風刺していたようにも思えます。今より厳しかった時代にお上を皮肉る気概には感服させられます。

⚫︎編集後記
ほとんど文字だけの12月号です。暴走族、幼い頃はかっこいいとおもっていました。思春期の頃は幼馴染を除けば恐怖の対象でした。今は、見るたびに寒い中ヘルメットを被ったらダメだし、夜遅くまでマナー悪く過ごさないとダメだし、結構大変だなと思います。

平安時代に当時の皇族や貴族を皮肉った葦原之賤男。この気概が現在にも必要なのかもしれません。為政者や社会的地位のある人にとっては、格差拡大固定をしたいのは洋の東西、政治の左右問わない本音です。そして、20年前より階層の固定化と拡大化は進んでいます。階級闘争史観で歴史を見てはダメだとしたり顔で言っている人は、騙されている人か騙している人のどちらかだといえるでしょう。

トランプ大統領になりました。クリントン候補は軍産癒着が取り沙汰されています。トランプ氏は人種差別意識が極めて強い方と言わざるを得ません。「選挙とは、いい人を選ぶのではなく、マシな人を選ぶんやで」。学生時代の友人の言葉が身にしみます。


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