月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

138. 神戸市東部三段布団太鼓(月刊「祭」2019.7月19号)

2019-07-22 21:27:36 | 屋台・だんじり・神輿-台車、骨組み、かけ声、楽器、担ぎ方-

●太鼓台の名産地・神戸市南東部
神戸市南東部。ここでは東灘区から兵庫区あたりの神戸市内でも有数の繁華街が集中している地域をさすことにします。この地域に現在は布団太鼓はほとんどありません。
東灘区や灘区にはだんじりはありますが、布団太鼓は見られません。しかし、神戸市南東部には優れた布団太鼓文化が見られた時期はあったようです。時は幕末から明治くらいでしょうか。その名残を紹介します。

●明石市岩屋神社宮付屋台(参考:岩屋神社布団太鼓保存会「岩屋神社布団太鼓チラシ」平成28年)
 元々は灘区敏馬神社の氏子町の太鼓台です。昭和30年代に岩屋神社が購入しました。敏馬神社の記録等を見ていないので分からないのですが、サイズ的に江戸末期から明治期のものでしょうか。
 岩屋神社が購入した時に、水引幕や高覧掛などの刺繍物を加東郡の小紫商店(絹常)より購入したそうです。
 となると、それ以前は彫刻主体の太鼓台だったことが推測されます。また、天井の碁盤の目も現在の播州屋台より、随分大きいです。




●西宮市大市八幡神社現宮付き太鼓台(旧下大市太鼓台)
 明治時代に神戸市灘区の新在家より購入したことが墨書きより分かりました。さらに屋台天井碁盤板に天保五年(1834)の墨書きが見つかり、天保五年製作の作品であることが判明しました。そして、彫刻が中川藤助なる人物によりなされた物であることが分かりました。
 この太鼓台も彫刻主体で、碁盤の目は広くなっています。





●三木市御坂神社志染中屋台
 彫り師は、中川為助と考えられていましたが、刻まれた名前を見ると藤助、つまり、上記大市八幡神社のものと同一人物によるものと思われます。鳴り太鼓の制作が文政五年となっており、この頃に本体も作られたと考えるのが、中川藤助の活躍した年代からうかがえます。屋根の碁盤は広かったです。
 また、刺繍も播州や淡路の業者になるものが志染中が購入した時にはありましたが、この刺繍もまた、文政五年当初のものでなく、明治以降の物です。

 

●神戸市南東部三段布団太鼓台の特徴
 1彫刻主体の太鼓台です。
 2碁盤の目は広いです。
 3座布団すぐ下の布団台は黒い。
 などが挙げられるでしょうか。

 そして、「4三段布団屋根である」というのも興味深い点です。
 三段布団屋根は神戸市の東となりの西宮市にはありますが、さらに東となりの尼崎になると五段となります。
 1,2,3は大阪などの影響といえますし、4は播州の特徴です。このあたりが、西宮から灘区あたりが三段布団屋根の海岸部の東限りといえるでしょう。


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