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月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

264.祭の延期-京都祇園祭編-(月刊「祭」2020.3月2号)

2020-03-08 19:10:00 | 新型コロナと祭、民俗
 
 ●祭延期の歴史

 コロナウイルスの蔓延により、春祭の開催が危ぶまれています。中止か開催かの二択ではなく、延期や一部開催という選択肢を歴史から見ていきます。

 今回は祇園祭編です。




 
 
 2014年の祇園祭山鉾巡行は台風の接近により開催が危ぶまれました。しかし、その決断は「小雨決行大雨強行」という、激しい祭への意思を示したものでした。
 祇園祭は風流な祭と言われたり、神田囃子と比較してその音楽は都の貴族文化をのこした優雅なものだと言われたりします。しかし、その見解は「浅い」と言わざるを得ません。巡行自体が序破急を意識したものになっています。たしかにくじ改め前の囃子は穏やかなものかもしれませんが、山鉾は巡行終了間際の囃子はかなり激しいものになっています。
 
 
 このような「激しい祭」が、世情の流れに飲まれることなく、生き延びたのも柔軟な祭礼日変更の歴史があったからとも言えます。
 
祇園祭山鉾巡行の日付変更
 ここ(祇園祭山鉾巡行の日付変更)は、名著・河内将芳「絵画資料が語る祇園祭 -戦国期祇園祭礼の様相-」(淡交社)平成27年の内容をかいつまんだものとなります。はっきり言えば、この記事より本を手に取られる方が有益な時間となることでしょう^_^;
 
神輿より一日遅れの山鉾巡行 
 現在の祇園祭では先の祭、後の祭、ともに山鉾の巡行が終わってから神輿が動きます。現在は7月の17日と24日が先の祭、後の祭になっていて、旧暦時代は六月の七日と八日でした。
 しかし、この頃は台風や大雨が頻繁な季節です。六月七日に大雨が降った時の祇園会の様子が 中原師守『師守記』康永四年(1345)六月七日と八日条にのこっています。この時は「山鉾」かどうかは分かりませんが、「山以下作物」とあるので、なんらかのものが作られて運行する習慣があったことはみてとれます。
 まず七日条を見ると、洪水により神輿がわたるための浮橋がらかけられなかったけど神輿は「舁渡」ったそうです。
 しかし八日条には
今日、山以下作物これを渡すとうんぬん、昨日雨により斟酌(事情などを、くみとること)、今日これを渡すとうんぬん
 とあり、大雨で神輿は予定通り七日に渡ったけど、おそらく大型と見られる「山以下作物」は次の日に渡ったということです。
 
●冬の祇園祭
 そして、名著・河内将芳「絵画資料が語る祇園祭 -戦国期祇園祭礼の様相-」(淡交社)平成27年には、冬の祇園祭についての記録が紹介されています。
 『康富記』文安六年(宝徳元年、1449)十二月七日条には、次のように書いています。
祇園神輿迎なり、さる六月、山門訴訟により延引せしむるものなり、例のごとく三基御旅所に出でしめたまう、桙(ほこ)山以下風流先々のごとく四条大路をわたるとうんぬん
 
 また、同年十二月十四日、つまり後の祭と思われるところには、「風流山笠桙已下三条大路を渡るとうんぬん」とも書かれており、山門・比叡山の僧侶達の訴訟により天台の別院であった祇園社も祇園会を延引せざるを得なかったことが読み取れます。
 
 その後も河内氏は先程の著書の中で、文安六年(1449)以降は応仁・文明の乱を挟んで元亀二年(1571)までは六月七日、十四日に祇園会がおこなえなかったこと、六月にすら行えなかったことが27回もあったことを書いています。
 
●祭を守るために
 我々が愛する山車やだんじり、屋台の祭は必ずしも日程を、死守したわけではないようです。死守したのは祭の法灯であり、その法灯を絶やさぬように、世情の流れに飲まれぬ舵取りをして今も続いていることがわかります。
 春祭を開催し、感染者が出ることで、場合によってはコロナ拡散の責任をなすり付けられる危険があることが考えられます。延期などの措置をとってもやむなしといったところでしょう。
 
 
 

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